雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

ダブル誕生日

2011-07-08 23:34:34 | Weblog
6月28日は家内の誕生日、そして7月8日は私の誕生日だ。
お祝いに花束とケーキを買ってきた。
“花の命は短い” そこで、写真として残すことにした。

花束は、ビッグフラワー永福町店(井の頭線西永福駅近くの井の頭通り沿い)で作ってもらった。下の写真である。5千円ちょっとでこれだけの豪華さである。


ケーキは、同じ西永福駅近くのブルボン(お店の情報)だ。バースデーケーキはブルボンと決めている。電話で予約して作ってもらい、その時間に取りに行く。

今回は、二人分なので大きいローソク12本と小さいローソク4本だ。

2011年デンマークの旅

2011-07-05 23:36:39 | 旅行
2011年ゴールデンウィークにはデンマークに出かけた。

最近何年かは、ヨーロッパの主要な都市2つ以上を選んで、都市間を鉄道で移動する旅行であった。今回も、コペンハーゲンともう1箇所有名な都市を回ろうとしたのだが、スカンジナビア半島の主要都市に渡ろうとするとどうしても飛行機での移動となってしまう。
そこで今回は、デンマーク国内だけを回ることとした。デンマークで有名な都市はコペンハーゲンしかない。そこでガイドブックを参照し、コースを考えた。
デンマークは、コペンハーゲンを擁する東側のシュラン島、真ん中のフェン島、西側に位置し、ヨーロッパ大陸とつながり最大面積であるユラン(ユトランド)半島からなっている。今回は、まずコペンハーゲンに宿泊し、次いでユラン半島のオーフス、さらにフェン島のオーデンセ、そして最後にコペンハーゲンに戻ってくる旅程とした。

4月29日(金)出発
 成田21:55 AF277 -
4月30日(土)コペンハーゲン
  - 4:15パリ7:30-AF1750-9:20コペンハーゲン
 Hotel D'Angleterre泊
5月1日(日)コペンハーゲン-鉄道-オーフス
 Aarfus Hotel Royal泊
5月2日(月)オーフス 同上泊
5月3日(火)オーフス-鉄道-オーデンセ
 Odebse Radison Blu HC Andersen Hotel泊
5月4日(水)オーデンセ-鉄道-コペンハーゲン
 Hotel D'Angleterre泊
5月5日コペンハーゲン 同上泊
5月6日コペンハーゲン-帰路
 コペンハーゲン-18:05-AF1051-20:05パリ23:35-AF278 -(7日)18:00成田

旅人 家内と私

             以下、旅行記の詳細に続く

5月5日コペンハーゲン~ヘルシンオア~帰国

2011-07-02 23:35:34 | 旅行
《5月5日 ヘルシンオア往復》

本日は日帰りでヘルシンオアへ出かける。
宿泊しているホテルからだと、コンゲンス・ニュートゥから地下鉄で一駅のNorreportでヘルシンオア行きの国鉄に乗り換える。終点ヘルシンオアが目的地だ。国鉄の所要時間は50分程度か。

ヘルシンオアの観光スポットはクロンボー城である。
駅を降りると、港をぐるっと一回りし、徒歩でクロンボー城に到着する。ずいぶんと長い距離を歩かされる。

クロンボー城 西から
 
城はほぼ四角形で、中央にやはり四角形の中庭を配している(下写真)。
中庭
 

最初の見学コースは城の地下だ。左下の写真は、伝説の英雄ホルガー・ダンスクの像だ。デンマークの危機の際には数百年の眠りから立ち上がり、祖国を救うと言われている。
地下の経路は、ほとんど真っ暗だ(右下写真)。多分ここが地下牢だった場所だろう。そんな場所が延々と続く。
ホルガー・ダンスク像                     地下牢
  

地下牢の見学が終わると、城内の他の見学コースを回る。
クロンボー城内
  
城を囲む城壁の上には大砲が設置されている。城内の窓から撮った写真で間に合わせた(下写真)。
 
  
城の北側の出入り口を出て東側に周り、城の外側を一周した。東側は北海とバルト海を結ぶ海峡のうち、最も狭くなっている部分に面している。対岸のフィンランド・ヘルシンボリが見える(下写真)。
 
吹きさらしのクロンボー城一周は寒かった。身体がすっかり冷えてしまった。国鉄の駅まではまた延々と回り道を歩かなければならない。
途中のホテルのような建物に入った。1階のホールが食堂のようになっている。
クロンボー城近くでの食事
  
カフェテリア方式である。オープンサンドのような食べ物が並んでいる(上写真)。それ以外に、ボークを頼むことができるというので、それを一皿注文した(下写真)。皮の部分がカリカリに固く、肉は軟らかいという、コペンハーゲンで以前食べたやつである。
私は、何だか全然食欲がない。胃が働いていない様子だ。ほんの僅かだけ食した。
 

駅に戻る途中のヘルシンオア市内に、教会が二つある。最初は聖マリア教会だ。
聖マリア教会
  
教会の外壁がレンガ造りであるのはすべてのデンマークの教会と同じだが(左上写真)、この教会は、内部もレンガ造りのままであった(右上写真)。
また、教会に付設してレンガ造りの回廊が設けられていた(下写真)。
  

続いて聖オーライ教会だ。
こちらは、外壁はレンガ、内壁は白壁という通常のデンマークの教会様式となっている(下写真)。
聖オーライ教会
   
 

やっとのことでヘルシンオア駅にたどり着いた。
ヘルシンオア駅
 
ヘルシンオア駅正面はレンガ造りの立派な駅舎だ(上写真)。
ガイドブックによると、19世紀半ばにコペンハーゲンからの鉄道が北に延びるにつれて、北海への港となるこの町は再び活気を取り戻した、とある。その当時は、このヘルシンオア駅がデンマークの一つの玄関口であったに違いない。

クロンボー城は、シェイクスピアの「ハムレット」の舞台となった城として有名だそうだ。
ヘルシンオア駅正面に、下の写真のような一対の像が立っている。何の像か説明がなかったが、ハムレットと、恋人のオフィーリアの像かもしれない。
 

体調が良くない。風邪を引いたようだ。風邪が胃に来て、食べたものが消化していない。身体全体も熱っぽい。
ヘルシンオアからコペンハーゲンへの列車の中でずっと寝ていたが、それでも体調は回復しなかった。

ホテルに到着した。
とにかく、ホテルのベッドで寝ていることにする。

4月30日に同じこのホテルに宿泊したときは、正面の建物ではなく、裏側の翼に連なる部分の部屋に宿泊した。
それに対して今回は、実に建物正面中央の部屋が割り当てられた。左下写真の正面2階の部屋である。部屋の入り口ドアも、右下写真のように立派なドアであった。前回も今回も同じ宿泊料なのに、なぜこのような違いが出たのであろうか。たまたま部屋の空き具合の関係だったのだろう、というのが家内の観測である。
ホテル・ダングレテール
  

《5月6日 出発の日》
本日の夜出発する便で日本に帰国である。
しかし体調は戻らない。
私は時間が許す限り、ホテルのベッドで寝ていることにした。フロントで聞いたところ、チェックアウトは12時ということだ。
家内は一人で市内へお土産の品々を買いに出かけた。

さて、出発の時間だ。
本来の予定であれば、本日の午後はコペンハーゲンの観光に充てるつもりだった。しかし私が健康を害してしまったので、それは叶わなかった。やむを得ずそのまま、ホテル近くのコンゲンス・ニュートゥから地下鉄でカストロップ国際空港に向かう。

空港に到着したら、まずは消費税の払い戻しだ。
大部分の買い物の分は、グローバルブルーという窓口で済ますことができた。一部の買い物については、すぐその横の別の窓口へ行く必要があった。
無事にタックスフリーの手続を済ませ、チェックインした。搭乗までには十二分の時間がある。まずはエールフランスのラウンジに腰を落ち着けた。私はそのまま、搭乗までの時間をそこで過ごした。家内も、ラウンジやタックスフリーのショップで時間を過ごすこととなった。
帰路は以下の便である。
 コペンハーゲン-18:05-AF1051-20:05パリ23:35-AF278 -(7日)18:00成田

パリのシャルルドゴール空港では、往路で利用したと同じラウンジを利用した。

パリから成田への飛行機の中で、一つの悲劇が起きた。
コンパクトデジカメをショルダーの中に放り込み、そのショルダーを座席の足元に置いていたのである。座席をリクライニングするときにそのショルダーが引っかかった。
日本に着いてから、カメラのスイッチを入れてみたら、液晶が破損していたのである。キャノンのPowerShot S90という機種であり、1年半にわたって利用し続けてきたカメラである。液晶交換修理に出したら大枚を要求されるであろうし、この機種もすでにS95という後継機種に切り換えられていることもあり、修理には出さずにこのまま臨終させることとした。とても残念である。

ところで私の体調であるが、帰宅して家内にお粥を作ってもらって食べた。その結果、胃の不調は快癒したようである。ありがたいことだ。
ほぼ2日間にわたって絶食状態が続いていたため、体重は2キロほど減った。2ヶ月が経過した現在でもまだ体重は元のレベルまで戻っていない。

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