雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

5月4日-帰国

2007-05-30 20:56:16 | 旅行
いよいよ日本へ帰る日である。
飛行機は18時20分発だから、昼間は観光の時間がある。
最初の計画では、ホテルをチェックアウトした後トランクをホテルに預け、市内観光の後にもう一度ホテルに戻り、荷物を受け取って空港へ向かう予定にしていた。しかし、空港行きのバスは市街の中央、カタルーニア広場から出発する。一方、ホテルは市街の中央からちょっと離れている。それであればカタルーニア広場には荷物預けがあるに違いないから、荷物を持ってホテルを発ち、荷物はカタルーニア広場で預けようということになった。ホテルのフロントで「カタルーニア広場に荷物預けはあるか」と聞いたところ、分からないが多分あるのではないか」ということだった。

荷物を持って地下鉄に乗り、ウルキナオナ駅で降りる。カタルニア広場のインフォメーションは、地下にあった。下の写真の左上がインフォメーションへの入り口、右下が出口である。インフォメーションで列に並び、荷物預けについて聞くと、「ここにはない。歩いて10分の鉄道の駅にある」との答えだった。

 インフォメーション

さて、地上に出たは良いが、その鉄道の駅がどちらにあるのかが分からない。広場の中で、地下鉄以外の鉄道を探す。広場の西端に郊外電車の駅があるのでそこへ行ってみた。地下で係員に声をかけると、そばのオフィスを指し、「あちらで聞け」という態度である。またそのオフィスで列に並ぶ。そして聞くところでは、「荷物預けはサンツ駅にしかない」という答えであった。ここから遥かに遠い。

今からホテルに戻るかどうするか。私は、荷物を持って市街を歩いて回ることとした。

カタルニア広場から、南に向けて歩き出した、つもりであった。ほどなくしてカテドラル地区に着くはずである。しかしいつまでたっても着かない。道を間違えたようだ。街路名を地図で確かめようとするが、地図の中に見つからない。やむなくちょっとだけ戻った。すると、本日降車した地下鉄のウルキナオナ駅が見つかったではないか。ほとんど歩いていなかったことになる。
すると急に腹が痛くなってきた。トイレを探さなければ。ここからだったら昨日行ったデパートが近い。デパートの最上階のレストラン街で、昨日と同じトイレを利用した。

さて、随分時間を浪費してしまった。しかし気を取り直して、取り敢えずは荷物を引きずってカテドラル地区へ行くことにする。
道を確かめながら歩いたところ、今度はすぐに到達した。
市歴史博物館へ行ってみる。荷物を預けなければ入れない。受付で、「この荷物を預かってくれるか」と聞くと、大きな押入状の荷物入れの鍵を開け、この中に入れろという。そこには、他の客の荷物もたくさん入っている。荷物を入れたが、預かり証をくれるわけでもない。押入の鍵を締め、「これで大丈夫だ」という態度である。
荷物が心配なので、早々に中を見学することにする。
この博物館の地下には、ローマ帝国時代の遺跡が残っている。地下全体が遺跡発掘現場、といった趣である。1枚だけ写真を撮った(下の写真)。後で確認したら、撮影不可のマークが付いていた。
荷物も心配だし、集合時間のこともあるので、さっさと見て回って外に出た。受付で申し出ると、押入の鍵を開け、「どれだ」というから自分の荷物を指さし、受け取ってくる。いい加減なものだ。
  
 市歴史博物館の地下   カタルニア広場から南へ

デパートで家内と落ち合い、最上階の食堂街へ行く。窓際の見晴らしの良い席に座るのが目的である。しかし昼時で、カフェテリアは客が多く、とても窓際の席は取れそうもない。仕方なく、併設されているレストランの方へ行く。窓際の席は取れた。左下の写真が、そこからの景色である。
  
 カタルニア広場     デパートのレストラン

メニューには英語があるが、イメージが湧かない。知っている単語が並んでいるメニューを選んだ。
家内が、「ヌードル、シュリンプ」とあるメニューを選んだところ、右下の写真のものであった。昨日と同じではないか。
私は「ブラックライス、ロブスター」とあるメニューを選んだ。ウェイターが皿に盛り(右上写真)、出てきたのが左下の写真である。
とても食べきれなかった。
  
 デパートのレストラン

空港行きのバスは、デパートの近くから頻繁に出発している。無事に乗り込み、時間の余裕をもって空港に到着した。

まず税金の払い戻しだ。マドリッド三越での買い物について、払い戻し書類をつくっている。
チェックインの前に、カウンター近くにいた係員に聞くと、あっちの左だ、と方向を示された。そちらに歩いていったが、税関のオフィスらしい入り口は見つからない。うろうろしていたら、別の白人観光客が銀行窓口で質問し、場所を教えてもらっていた。銀行のすぐ横の壁に小さな窓が閉まっており、そこが開いて壁の向こうにいる係官が顔を出した。その窓が窓口なのだ。
窓口で用紙を出すと、すぐに判をついてくれた。その用紙をもって隣の銀行に行き、ユーロの現金と交換する。今回はこれで終了だ。

チェックイン後は、買い物をしたりアイスクリームを食べたりして時間を過ごす。

ゲート前の待合室で搭乗を待つ。電光掲示板に20分遅れと出ている。しかし、予定時間から20分を過ぎてもまだ搭乗の気配がない。結局、1時間以上遅れて搭乗した。しかし、全員が搭乗したにもかかわらず、今度は飛行機が出発する気配がない。どうも、パリ付近に嵐が発生し、それがおさまるのを待っている様子だ。われわれはパリドゴール空港で乗り継ぎに3時間以上の余裕があるので、比較的冷静である。しかし、乗り継ぎできなかった場合を考えなければならない。
「とにかく出発する」とのアナウンスで、飛行機は離陸した。2時間遅れか?
バリに近づいた。嵐に突入するかと気をもんだが、飛行機はそれほど揺れずにドゴール空港に着陸した。
乗り継ぎ便に急ぐ。それほど距離のないウィングのようだ。道案内に従って進むと、今までドゴール空港で利用したことがないような薄暗い変な通路を通った。

この空港で出国する。出国チェックのところに、何やら荷物検査のデスクがある。先に家内がそのデスクに呼ばれ、手荷物チェックを受けている。私も当然のようにそのデスクへ往き、手荷物のファスナーを開けた。「これは何か」と聞かれ、「チョコレート」と答えると、「オー、ノー、チョコレートはダメなんだ」という。ふざけているのだ。そのうちにリンツのチョコレートを見つけ、笑いながら自分のふところに隠そうとする。よっぽど退屈していたのだろう。
やっと開放され、乗り継ぎ便のゲートに到着した。

ゲートに到着して驚いた。溢れている人たちのほとんどが日本人だ(当たり前だが)。この1週間、日本人の大集団にほとんど遭遇していなかったので、なんか日本人に酔いそうである。
我々が乗る東京行きAF278便(定刻23時25分発)も、結局は30分遅れとなった。ヨーロッパの各地からこの便を目指して乗り継いで来た人のなかには、この30分遅れで助かった人も多かったに違いない。助からなかった人もいたようだ。人は搭乗できたものの、荷物が間に合わなかった人も何人かいるようだ。

飛行機は無事成田に到着した。成田空港は空いている。荷物受け取り場も動いているコンベアは2つぐらいだ。税関を簡単に済ませ、外に出た。
まずレンタルの携帯を返却し、帰りの切符を購入する。成田エクスプレスもリムジンもすぐに予約ができそうだ。今回はリムジンバスを利用する。
新宿からはタクシーに乗り、無事わが家に帰還することができた。

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5月3日-フラメンコ

2007-05-29 21:20:40 | 旅行
スペインといえば闘牛とフラメンコである。我々も、取り敢えずこの2つを観光の中に組み込んだ。
闘牛もフラメンコも、スペイン南部のアンダルシア地方が発祥である。しかし大都市であれば、マドリッドにもバルセロナにも観光客にフラメンコを見せる店がある。タブラオと呼ばれる。

旅行の日程上、われわれはバルセロナでフラメンコを見ることにした。現地に着いてから予約なりをしようと考えていたのだが、日本からの出発前日の夜中、ガイドブックに書いてあったバルセロナのタブラオにインターネットでアクセスしたら、ネットで予約できることが分かった。それではと予約を入れた。ショーは8時15分、10時、12時の3ステージである。日本の感覚で、あまり遅くない8時15分を選択した。すると予約できる日は5月3日だ。ということでこの日に決まった。

ネットで予約を入れ、クレジットカード番号を入力し、ネット上では予約が完了した。しかし本当に予約は確保されているのだろうか。予約完了を告げるメールは届かない。
バルセロナに着いた最初の日、ホテルから会場に電話を入れてみた。予約を確認したいと言って日付と名前を告げたら、大丈夫だとの返事を受けて安心した。

我々が行くタブラオはコルドベスという名で、ランブラス通りのレイアール広場近くにある。ホテルからは地下鉄を2つ乗り継いでいく。ショーが終わるのは夜10時頃で遅いし、タクシーを利用するとストレスが溜まる。ホテルから広い通りをしばらく歩いて地下鉄に乗ると、乗り継ぎ無し1本で行けることが分かった。そこで、まず往路でそのルートを試すことにする。

雨が降り出している。雨の中、しばらく歩いて地下鉄の駅に向かった。

地下鉄を降り、ランブラス通りを少し歩くとコルドベスは見つかった。8時頃だったか。雨の中、店の前に行列ができている。係の人に「予約しているのだが」と告げると、この近くで待っていてくれ、ということだ。行列の後ろについて待つことにする。
するとそのとき、われわれの後に到着した日本人女性3人組から、「この前お会いした方ではないですか」と声をかけられた。我々もびっくりである。マドリッドでトレド行きのツアーに参加したとき、同じツアーに参加していた方々である。家内がちょっとだけ会話をしていたので、こちらのことを覚えていたのだ。それにしても、マドリッドとバルセロナを駆ける奇遇であった。日本のツアー会社のオプショナルツアーで、このフラメンコにも参加した模様である。
しかし話をする間もなく、私の名前が係員から呼ばれたので案内に従う。何かの順番に客を店内に案内しているようだ。

2階に上がると、ショーの会場がある。それほど広くない室内に、椅子が所狭しと置いてある。すでに舞台近くの席は客で埋まっている。案内された順に席を詰めていく。われわれはやや前よりの席であった。下の写真1は、われわれの席から舞台と観客席を含めて撮った写真である。
この店の予約は、食事付きと食事なしの2種類がある。食事付きの場合、ショーが始まる前に食事を採る。おそらく、食事付きの客が先に案内され、舞台前の席を占めることになったのだろう。そうと知っていれば、我々も食事付きにするのであった。
  
 写真1                写真2

 写真3

ショーが始まる。
最初に出てきたおばさん(写真2)は、ちょっと声がかすれ気味だった。写真2で後ろに立つ3人の男性は、杖を持っている。足が悪いわけではない。この杖を床に打ち付けることにより、打楽器として使っているのである。
演者が次々に入れ替わり、踊りと歌を披露する。上手なのか下手なのかはよく分からない。観客のほぼ100%は観光客だから、目の肥えた観客はいないはずだ。優れたアーティストが演じているとは考えない方がよいだろう。

舞踏家がバラを口でくわえたり、カスタネットを鳴らしたり、扇を持ったり、といったパフォーマンスは見られなかった。

演者の履いている靴底には鋲が打ち付けてあるらしいが、足を踏み鳴らしたときの音はすさまじい。歌声と、この足拍子と、手拍子と、アコースティックギターのみが音源である。しかし総合した音量には圧倒される。それがフラメンコの魅力なのだろう。
今回の講演では、踊りそのものは副次的であるようだった。踊り手も足拍子で音を出すことが主な役割のようだ。

ショーは2時間弱で終了する。ショーの部屋から出ると、別の部屋で食事を終えた人たちが待機していた。次のショーを観る食事付きコースの人たちだろう。


帰りは地下鉄に乗り、往きと逆コースでホテルに帰る。
パセジ・ダ・グラシア駅で降りて地上に出ると、交差点のどちら方向がホテルなのかがわからない。交差点の一角に、ライトアップされた建物がある。見るといかにもガウディ的な建物だ。ガイドブックによると、交差点の南西側にガウディの建てたカサ・バトリョがある。偶然にガウディ建築をひとつ余計に見ることができた。
そしてこのカサ・バトリョの位置からホテルの方向を定め、ひたすら歩いてホテルに到着した。

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5月3日-バルセロナ

2007-05-28 21:55:24 | 旅行
本日の昼間はバルセロナ観光を行い、夜はフラメンコを見に行くことになっている。

まずは中央郵便局だ。
地下鉄で昨日と同じジャウマ・プリメ駅まで行き、歩いて中央郵便局に向かう。中央郵便局の建物は趣のある立派な建物である。記念切手売り場は、奥まったオフィスのカウンターであった。背広姿の紳士が応対する。日本の郵便局とは大違いだ。
いろいろ聞いてみると、一昨年の記念切手すべてを包含するセット、昨年のセット、それに今年の記念切手全て、というような選択ができるらしい。その3セットを各1セットずつ購入することにした。

 中央郵便局

さて、ゴシック地区にある名所旧跡を順番に回っていくことにする。
最初はサンタ・マリア・ダル・マル教会だ。大きな教会である。中央は聖母子像である。そしてその手前に、木造帆船らしい模型が飾ってある。下の写真は手ぶれボケしてしまった。
ガイドブックによると、昔の海岸線はこの教会のすぐ近くであり、船乗りはこの教会で祈りを捧げて航海に出かけたという。船の模型が飾られているのはそのようないきさつがあるからだろう。
  
  
   サンタ・マリア・ダル・マル教会

ついでピカソ美術館に向かう。入り口近くまでいくと、行列ができている。しばらく行列に並んで、中に入ることができた。
ピカソの年齢の若い順に、多くの絵を見ることができる。若い頃はノーマルで上手な絵をたくさん描いている。それがある時期から、「絵を下手に描こう、下手に描こう」と努力し、練習している様子が現れる。同じ題材で何枚も絵を描き、その中でもっとも下手に描けたものを手本として次に進んでいる様子である。

ピカソ美術館の向かいは織物・衣裳博物館だ。その博物館に附属して、カフェレストランが店を出している。昼はそこで食べることにした。
1皿目はスープと野菜盛り合わせだ。下の写真である。2皿目は違った品を2品頼んだはずだが、思い出せない。

デザートはMacedoniaとブラウニーだ。イタリア語でマチェドニアンはフルーツポンチだ。ブラウニーがチョコレートケーキであることを家内が知っていた。そこで、その2品を頼む。ただし、「マチェドニアン」と頼んだら、ウェイトレスに「えっ」と聞き返された。スペイン語では「マセドニア」なのだ。出てきたのは期待通りのものだった。

次はカテドラルである。
正面はご覧の通り修復中であった。去年のミラノと同じだ。ただし、中に入れるのでその点ではミラノほど不運ではない。
カテドラルには屋上に上がるエレベータがある。ほとんど行列はできていない。エレベータで屋上に上がると、それほどすばらしい景色が見えるわけではなかった。遥か遠くにサグラダ・ファミリアが見えた(下の写真)。
  
カテドラル正面         カテドラル後陣
  
カテドラル内部             カテドラル屋上から
カテドラル正面、東の端から路地を抜け、左にはいると、王の広場に出る。建物に囲まれた中庭だ。王の広場の右に見える階段は、新大陸到達の航海から戻ったコロンブスが、イザベル女王に謁見するために上がったという由緒ある階段である。
  
カテドラル東側の路地      王の広場
土産物屋に入ったら、展示物の中に日本語で「さわらないでください」と札がある。日本語だけである。観光客の中で、展示物に触るのは日本人だけなのであろうか。記念に写真を撮っておいた(下の写真)。もっとも、一人だけいた店員は日本人であった。要するに、土産を買おうという客のほとんどが日本人なのかもしれない。

土産物屋で

このあと、夜8時15分からフラメンコだ。その前にホテルで夕食を済ませることにした。地下鉄でホテルに戻る。
地下鉄をジローナ駅で降りる。ホテルのすぐ近くに市場がある。その市場に入ってみた。果物類は1キロいくらの量り売りだ。イチゴを1/4kg購入する。1/4kgを身振り手振りで説明した。最後に売り子の姉さんが「ああ、クアトロ何とかね」のようなことを言って理解してくれた。それとパイナップルを購入した。

ホテルの部屋で例によってお湯を沸かし、最後に残った即席麺をつくり、さきほど買った果物と一緒に食べて食事を済ませた。

このあとのフラメンコについては、別の記事としよう。

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5月2日-サグラダ・ファミリア

2007-05-27 09:35:01 | 旅行
サグラダ・ファミリア教会は、ガウディによって設計され、1882年に建設開始、現在も建設が進行している教会である。普通の教会の常識で言うと、南が正面、北が後陣、東と西は側面である。しかしわれわれは、東側面の誕生のファサード(ガウディ生前に完成)と、西側面の受難のファサード(1952年から建設開始)がサグラダ・ファミリアの正面のようにイメージしている。
ホテルから歩いてサグラダ・ファミリアに到着した。西から近づいたので、受難のファサードを見ながら近づく。ファサード全景を写真に撮るのを忘れた。

この記事で、教会の全体が見渡せるのは下の写真7だけだ。写真7は南から撮ったもので、右が東側の誕生のファサード、左が西側の受難のファサードである。写真の正面に見える部分が南の正面、奥が後陣である。

入場券を買って受難のファサードから中に入る。塔に上がるエレベータが見つかったが、待ち行列が長い。もう一つエレベータがあるようなので、教会の中に設けられた通路を進む。教会の中央部は工事中である。通路は、西側の受難のファサードから、南側の正面を通り、東側の誕生のファサードに抜ける通路のみであり、まさに工事現場の安全通路だ。
教会内部の天井を支える柱が立っている(写真1)。細い柱だ。後陣に当たる部分は工事用のタワーが天井まで達している(写真2)。
   
  写真1            写真2            写真3
誕生のファサードに着くと、正面付近の写真(写真3)を撮った後、まずは歩いて上がる階段を探した。しかし見つからない。案内の人に聞いてみると、現在はエレベータでしか上がれないとのことだ。仕方がないので誕生のファサード側にあるエレベータの待ち行列に並ぶ。
    
  写真4            写真5            写真6
東西の各ファサードにはそれぞれ4本の高い塔が建っている。一番高い塔は120m程度の高さのようだ。エレベータは60mの高さまで運んでくれる。エレベータを下りた地点から反対側の受難のファサードを見たのが写真4だ。真上を見上げると塔がそそり立っている(写真5)。
塔からの下りは螺旋階段を歩いて降りる。螺旋階段の真下を見下ろすと、遥か下方まで見渡せる(写真6)。まるでアンモナイトだ。

教会の地下には博物館がある。この教会の骨格模型、オリジナル石膏モデルの破片、建設の過程を示す写真展示などがある。
ひな形模型を眺め、サグラダ・ファミリアの完成形を思い描こうとするが、なかなか判然としない。

順路の最後はショップだ。
ここで、この教会の最終完成形、構造などについて書かれた書物を探す。展示されているほとんどの書物は、外形的なデザインに着目したものだった。1冊だけ構造について記載された本を見つけ、購入した。

さて、帰国してから、購入した本を読んで謎を解こうとした。

現在のサグラダ・ファミリアは、東西の誕生のファサードと受難のファサードが完成形である。それぞれ主に4つの高い塔からなっており、一番高い塔の高さは120mである。下の写真7は上から見た現在の状況である。
ところがこの教会の建設計画では、もっと凄いことになっているのである。左下の図で、茶色い部分が現在できあがっている部分、空色の部分が今後の建設計画である。教会の中央、東西の両ファサードの間に、高さ170mの大ドームが建設されるというのである。さらにこの大ドームは、地面から塔が立ち上がるのではなく、ドームの下は教会の内部空間(空洞)なのである。どのようにしてこの大ドームを支えるのであろうか。
ところが図面から読み取るところ、大ドームの重量の大部分は4本の石の柱で支えられている。上の写真1に示すような石の柱だ。
私が持っている常識から推し量ると、このような細い4本の石の柱で、高さ170mの大ドームの重量を保持できるはずがない。
  
  図                 写真7

私は、この教会の構造として鉄筋コンクリートは採用されていないと想像していた。
石でつくる構造は、圧縮には強いが引張に弱い。石柱などは、だるま落としを高く積み上げたようなものだ。簡単に崩れてしまう。これに対し、鉄筋コンクリートとすると、引張にも強くなる。
鉄筋コンクリートの鉄筋は鉄であるから、本質的には酸化して錆びていくはずである。しかし鉄筋コンクリート中の鉄筋は錆びない。理由は、鉄筋のまわりのコンクリートがアルカリ性だからである。単純化して、ここではCa(OH)2がアルカリ性を示すとしよう。
一方、空気中の炭酸ガスがコンクリートの中に浸透し、コンクリート中のCa(OH)2は徐々に炭酸化してCaCO3に変化する。表面から炭酸化が進む。炭酸化した部分は、もはやアルカリ性ではない。
表面からスタートした炭酸化が内部まで進み、鉄筋部分まで達すると、その時点から鉄筋は錆び始める。鉄は錆びると膨張し、周囲のコンクリートを破壊する。これが鉄筋コンクリートの寿命である。大体100年程度だ。

サグラダ・ファミリアは着工からすでに100年以上が経過し、完成はまだまだ先である。完成しても1000年以上の寿命を想定しているはずである。そうであれば鉄筋コンクリートを採用するはずがない、というのが私の想定であった。

ところが、サグラダ・ファミリアは鉄筋コンクリートを採用しているらしいのである。本にもそう書いてある。また、実際に工事中の部分で鉄筋が露出しているところをこの目で見た。例えば下の写真8や上の写真4。

 写真8

サグラダ・ファミリアの謎は深まるばかりである。
(1) 高さ170mの大ドームを、あんな細い4本の柱で支えられるはずがない。石柱であれば当然、中に鉄筋が入っていても無理であろう。
(2) 鉄筋コンクリート構造物は寿命100年であり、1000年以上持たせようとする構造に使えるはずがない。しかし使っているらしい。

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5月2日-バルセロナ

2007-05-26 19:54:38 | 旅行
ここバルセロナで泊まったホテルは、広い自動車道路に面している。そしてこの部屋は、その広い道路に面した2階である。昨晩は、道路を走る自動車の騒音がうるさく、家内がほとんど眠れなかった。
そこでまず、部屋を静かな部屋に交換してもらう交渉である。フロントへ行って文句を言ったら、あっさり新しい部屋の鍵を渡してくれた。今度の部屋は4階(日本流に言うと6階)である。行ってみると、道路に面してはいないので今までの部屋よりは静かだ。ただし、今までの部屋は二重窓だったが、新しい部屋は一重窓(ただし合わせガラス)で、表通りの騒音が少し入ってくる。それでも昨日よりはずっと改善されている。

バイキングの朝食は、マドリッドのホテルと比較してメニューが貧弱であった。生野菜がない。我々が食堂に入ったすぐ後に大勢の客が現れ、満員となった。日本人客はやはりほとんどいない。

本日の目玉はサグラダ・ファミリアである。泊まっているホテルはマドリッドの東の方にあり、サグラダ・ファミリアまで歩いても遠くない。歩き始めて程なく、サグラダ・ファミリアが見えてきた。ここサグラダ・ファミリアについては、別記事で詳細に述べたいと思う。
  ・・・
そしてサグラダ・ファミリアの見学は終わった。
次は地下鉄でゴシック地区に向かう。

ここで、私の所持品の持ち方について説明しなければならない。
まず、インナーベストを身につけている。インナーベストには、自分のパスポート、予備の円紙幣、予備のクレジットカードなどを保管している。
次に、ナイロン製の財布をズボンの中に挟み込んでいる。この財布に、ユーロ紙幣とクレジットカードを保管している。従来の海外旅行では、小銭もこの財布に保管していた。
私の持っているナイロン製の財布は、マジックテープが使われており、財布を開くときにベリッという音がする。この音が不評だったので、今回はこの財布とは別に普段使っている革の財布も持参した。そして、少額のユーロ紙幣と小銭をこの財布に入れ、財布をショルダーのサイドに収納していた。

話は元に戻る。
地下鉄に乗るべく、サグラダ・ファミリア駅に向かった。ちょうど回数券が切れたので、チケット売り場で回数券を購入する。このとき、私が革の財布を出し、料金を支払った。そしてショルダーのサイドに財布を入れてファスナーを閉め、ショルダーを肩にかけて階段を下り始めた。階段を下りる途中、ショルダーに何かが当たるショックを感じた。後ろの人の足が当たったのかと思ってショルダーをちらっと見る。ホームまで降りたとき、不吉な予感がしてもう一度ショルダーを見ると、サイドのファスナーが開いている。そして、入っているはずの革の財布がない。
スリにやられたのだ。階段を見上げたがもうそれらしき人影はない。

財布に入っていたのは、数十ユーロの現金、三越カード、買ったばかりの回数券である。保険を申請するために警察に相談に行くほどの被害ではないので、とにかく旅を続けることにする。
三越カードだけは連絡しておこうと、地下鉄を降りてから携帯で日本のカード連絡先に電話をかけたが、日本時間で夜に入っているので、通じなかった。翌日の朝に三越に連絡を取った。

入っている金額が少額であることから、油断していたのが敗因である。三越カードは、たまたま一昨日使用したままこの財布に入れていたのだが、別の場所に移動しておくべきであった。
被害は少額であるとはいえ、自分スリにしてやられたというのは悔しいものである。しばらくは気分が沈んでしまった。

予定では、次の訪問先は中央郵便局である。家族のおみやげに現地の切手を買っていく約束をしている。地図で調べると、ゴシック地区の海よりのところに中央郵便局を見つけることができた。地下鉄でジャウマ・プリメまで行き、そこからライエタナ通りを歩く。途中で食堂を見つけ、そこで昼食をとることとした。
ランチメニューがある。セットで8.75ユーロだ。地元の人たちがランチを注文している。我々もランチメニューから選ぶことにする。メニューは下の写真である。ウェイトレスと話すが、英語は通じない。PRIMERO(プリモのこと?)の一番上が「ハムと何とか」というので、それを2人前頼む。SEGUNDO(セコンドの意味?)については、魚のフィレというのがあるので、やはりそれを2人前頼む。
出てきたPRIMEROを見て驚いた(下の写真)。グリンピースである。家内は豆類が苦手なのであった。別々の種類の皿を頼むべきであった。
SEGUNDO(下の写真)は柔らかい魚であった。
POSTREにはYOGOURT, FRUTA DEL TIEMPO, HELADOとある。最初はヨーグルトだろう。2つめは、イタリア語でフルッタは果物だから多分果物だろう。3つめは、イタリア語でジェラードはアイスクリームだから多分アイスクリームだろう。そこで、HELADOを2人前頼んだ。出てきたのは、袋入りの四角いアイスクリームであった。
  


食事が終わり、中央郵便局へ向かう。ホールのインフォメーションで、両方とも心許ない英語で会話したところでは、本日は記念切手の販売は終了しているとのことだ。明日の午前中に来れば購入できるらしい。

次は陶器店だ。ガイドブックによると、レイアール広場の南に陶器店があるのでそこを目指して歩く。目指す場所に、アート・エクスディジェスという店が見つかった。そこで、ガウディ柄の花瓶を3つ購入した。希望の大きさのものはひとつしかなく、大きさ違いの3つとなった。

次はデパートである。
地下鉄のドラサナス駅を目指し、ランプラス通りを南下する。通りの前方、やや遠いところにコロンブスの銅像を飾った塔が見える。後ろ姿だが。
地下鉄でカタルーニアまで行く。最初は、カタルーニア広場の西にあるフナックという大きな店である。希望の品は置いていなかった。そこでカタルーニア広場を東に横断し、アル・コルテ・イングレスに入る。大きなデパートだ。この店の各階をめぐり、あれこれ土産物の買い物を済ませた。

夕食は、デパートの最上階にある食堂で済ませる。カフェテリア方式である。パエリアはちょうど売り切れであった。代わりに、細くて短い焼きそばのようなものにエビが入ったメニューをひとつ選んだ。あとはサラダ、パン、パイナップル、紅茶である。

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