雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

玉川上水その1

2008-11-23 22:09:12 | 旅行




 
羽村駅西口        馬の水飲み場跡
 
羽村取水所            羽村取水所前の多摩川
 
 水神社           玉川上水羽村陣屋跡




 
第1水門           第2水門
 
取水堰そばの多摩川     羽村取水堰と小吐水門
 
玉川上水上流部案内図         牛枠(川倉水制)

玉川兄弟像
 
     第2水門と第3水門の間の区間

第3水門
 
第3水門から堂橋の間         堂橋から
 
河岸段丘の中腹に沿って      堂橋と新堀橋の間
 
加美上水橋から            加美上水橋
 
宮本橋から            田村酒造
 
宿橋から             新橋から
  
せいがんいんばしから     熊野橋から   かやとばしから
 
牛浜橋             牛浜交叉点

ほたる公園から
 
青梅橋から           福生橋から
 
五日市線線路        五日市線熊川駅
 
水喰土(みずくらいど)公園  玉川上水開削工事跡
 
玉川上水開削工事跡
 
拝島近郊
 
橋の上               日光橋
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讃岐うどん

2008-11-16 18:56:30 | 旅行
高松を訪問したからには、讃岐うどんを食さねばならぬ。

高松市内の不動産屋を土曜に訪問したときに、窓口の女性に讃岐うどんのおいしい店を紹介してもらった。「高松市内にはいい店がない」という答えであったが、2店を紹介してくれた。こんぴらや竹清(ちくせい)である。
しかし竹清は土日(祝日除く)定休で営業時間は11:00~14:30、こんぴらやは日曜定休で営業時間は19時までである。ときは土曜の18時過ぎ。今からだったら急いでこんぴらやへ行くしかない。
こんぴらやは、兵庫町商店街のアーケードにあった。
 
こんぴらや          さぬき麺業

こんぴらやを外から除くと、何だかセルフサービスの小さな店である。その隣にさぬき麺業という店がある。ちゃんとした椅子席である。今回はそちらに入ることとした。
メニューを見るがいろいろ書いてあってよくわからない。そこで、店員さんにお勧めを聞いてみると、「釜あげです」ということだ。そこで、「てんぷら釜あげうどん」を注文する。

 てんぷら釜あげうどん
夜、市街を歩いていたら、たまたま「竹清」の前を通りかかった。実に小さな店である。

翌日、別の不動産屋に行ったら、「さぬきうどんの作り方」という本が置いてあった。開いてみると、昨日のさぬき麺業も編集に加わっている。釜あげうどんの由来が書いてあった。
 
さぬきうどんの作り方       釜あげうどん

釜あげうどんは「さぬきうどんの代表的な食べ方の一つが釜あげうどん。打ちたての麺を茹で、茹で湯とともに器に入れてつけ汁で賞味する。」と説明されていた。

また、この本には、讃岐うどんに特有の「セルフ」についての説明があるとともに、竹清が1ページをかけて紹介されていた。
「セルフ型うどん店」では、かけうどんが一玉150円前後と激安である。そのうどんを、客が自分で湯の中に漬けて温めるのである。また山積みされている天ぷらの中から欲しいものを選び、代金を支払い、最後に自分でどんぶりの中につゆ(讃岐うどんでは「だし」という。)をかけてできあがりである。
香川県のうどん店の多くが製麺所から生まれたという独特の理由によるらしい。うどん玉を卸す製麺所が工場のそばでお客の注文に応じてセルフスタイルで売り始めたため、普通の飲食店よりはるかに安い売値がつけられた。

「竹清」もセルフ店だそうだ。昼にはすぐに行列ができる。この店の奥さんが天ぷらを揚げ、ご主人は奥の厨房でもくもくとうどんを打つという。天ぷらの中では「茹で玉子の天ぷら」が大人気という。セルフだから3人目の店員がいなくても客はうどんを食べられるのだろう。
 
セルフについて          竹清

月曜の昼にもう一度讃岐うどんを食べる。竹清を予定していたのだが、噂では行列ができるということであり、電車の時間が決まっているので竹清は敬遠し、再度さぬき麺業を訪問した。また店員さんに「釜あげの次にお薦めは何ですか」と聞くと「生醤油です」ということだ。今回は「てんぷら生醤油うどん」を注文した。
器の中にはだしの入っていないうどん、醤油壺に入った生醤油がついている。うどんに生醤油をかけて食するのだが、生醤油をかけすぎないように注意しないといけない。私はその注意を聞く前にたくさんかけすぎてしまった。

以上のように、われわれは「釜あげ」と「生醤油」を食べたのだが、メニューを見るとその他に「ざる」「かけ」「ぶっかけ」などが並んでいる。

ウィキペディアで調べると以下のことが判った。
かけ :うすめのだし汁をかけ、刻みねぎや天かすを載せたうどん。薄切りの板かまぼこを加える場合もある。シンプルで値段も安く、20世紀後半まで最も主流の食べ方だった。
生醤油(きじょうゆ) :うどん玉に醤油を少しかけただけのうどん。しょうゆうどんとも呼ばれる。醤油は火入れしないいわゆる生醤油とは限らない。調味された醤油が使われたり、薬味や具が入ることもある。麺そのものの味が味わえ、家庭でも手軽にできるため、店では「かけ」家庭では「生醤油」が讃岐うどんの定番という人も多い。
釜揚げ :ゆでて水洗いする前の熱いうどん。麺の状態のことを指すこともあれば、完成した料理のことを指すこともある。料理としての釜揚げうどんは当該項目を参照。
ぶっかけ :濃い目のだし(つけだしに近いぶっかけだし)が、少なめにかけられたうどん。ぶっかけうどんは、具のあまり乗っていないシンプルなものから豪華なものまで、店によって様々であり、共通点は「濃い目のだしが少なめにかけられている」という点である。


旅行から帰ってしばらくして、朝のテレビ番組を見ていたら、かばちゃんと女子アナが讃岐うどんを食べる、という番組を放送していた。3軒のうどんやを廻ったが、いずれも山や田畑のど真ん中にある店だった。あばら屋のような建物で営業している。われわれが不動産屋でおいしい讃岐うどんの店を紹介してもらったとき、「高松市内にはあまりない」ということであったが、このテレビ番組で紹介されたような店が、地元の人にとって「おいしい店」なのであろう。

番組では、1軒目でぶっかけ、2軒目で生醤油、3軒目で「釜玉」を食べていた。釜玉というのは、まずどんぶりに生卵を溶いておき、それに熱々の釜あげうどんを入れてかき混ぜるのである。「和風カルボナーラだ」といって食べていた。
生醤油を食べるとき、店の女将から「醤油をかけるときは一回り半」と説明されていた。かけすぎないようにということだろう。
釜玉について、ウィキペディアには以下の説明がある。
釜玉(かまたま) :湯を切った釜揚げのうどん玉、卵、薬味、だしまたは醤油を混ぜて作られるうどん料理。うどん玉が冷めないうちに卵をかき混ぜて半熟にし、少量ずつ薬味とだしを自分の好みに合わせ、好みに応じて揚げ玉も入れる。綾川町の山越うどんが発祥といわれている。サッカー四国社会人リーグのカマタマーレ讃岐の名称の由来にもなっている。

実は、高松市内で穴吹工務店の不動産屋に入ったとき、カマタマーレ讃岐のポスターが張ってあった。ユニフォームの旨に穴吹工務店の表示がされていたので、メインスポンサーであることが知れた。
また、穴吹工務店が高松を地盤とすることがこのことから推測された。タクシーの運転手さんに聞いたら、その通りであった。また、別会社で穴吹興産という会社があり、穴吹工務店と別の道を歩んでいるらしい。運転手さんによると、両者の社長は兄弟同士だ(だった?)ということだ。
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高松市と栗林公園

2008-11-16 13:32:16 | 旅行
11月1~3日、高松市に滞在した。宿は兵庫町の東横インである。
 
高松市中心を南北に貫く広い道路 中央公園の菊池寛像

高松市街を歩いての第一印象、それは自転車が大切にされていることである。市街の主な道路は、車道、自転車道、歩道と分かれており、自転車専用レーンが用意されているのである。このような街としては、今までアムステルダムで経験したのみである。
そして実際、高松に住む人々は自転車を最大の移動手段として利用しているようである。
県庁や市役所などの官庁街でも、庁舎の地下に駐輪場が設けられており、駐車場は庁舎とは別の場所にある。

市街の中心には立派なアーケード街がある。アーケード街が市街の南北を貫通しているので、この街路については雨を気にせずに歩くことができる。アーケードの中心部にはすごいドームが建設されていた。
 
アーケード街     アーケード中心のドーム

高松市街の南部に栗林公園がある。歩いても行けるが、駅の近くからタクシーを拾って出かけた。タクシーの運転手さんによると、「日本三名園より栗林公園の方が立派」ということであった。

栗林公園案内図

説明書きによると、
元亀、天正の頃(安土桃山時代末期)に当地の豪族であった佐藤氏によって築庭されたのが始まりで、その後寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公によって南湖一帯が造営され、寛永19年(1642年)入封した松平頼重公(水戸光圀公の兄君)に引き継がれた、とある。
 以来5代松平頼恭公に至る100年余の間、歴代の藩主が修築を重ね、1745年に完成した。
 

 

 
公園の南、南湖に面して掬月亭という建物がある。歴代藩主が大茶屋と読んで愛用した茶室だそうだ。その茶室で抹茶をいただくことができる。
 
掬月亭西面            掬月亭北面
 
掬月亭から桶樋滝を見る      掬月亭南面

桶樋滝は人口の滝である。江戸時代、山の上に桶が配置され、藩主が庭園を訪れるときに水を運び上げて桶に水を満たし、滝を実現したということだ。現在はポンプで上げており、昼間はずっと滝が流れている。
 
掬月亭内部            南湖に面する掬月亭

座敷に敷かれた毛氈に座って待っていると、抹茶が運ばれてくる。付いてきたお菓子は、「献上栗」という菓子だった。
抹茶を運んできた女性が、この掬月亭の雨戸について説明してくれた。ここの雨戸は、例えば北面と西面の雨戸が一つの収納庫に収納されており、雨戸を立てるときは、北面を経由して角を直角に曲がり、西面へと運ばれる。実際にやってみてくれた。
 
角にさしかかった雨戸          雨戸収納納戸
 
コーナー上部            コーナー下部

掬月亭から南湖の岸辺をめぐり、南湖にかかる偃月橋を飛来峰から見る。
 

讃岐うどんについては別の機会に。
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