プラハ最後の日である。本日、プラハ観光の後、帰国の途につく。
《ベツレヘム礼拝堂》
まずはホテルから南に向かい、ベツレヘム礼拝堂を目指す。路地が入り組んでいるので、ちょっと道を間違えた。
ベツレヘム礼拝堂、昨日話題にしたヤン・フスがチェコの民衆に向けてチェコ語で説教を行ったという礼拝堂だ(下写真)。元の建物は18世紀に全壊し、現在見られる教会は、資料を基に1950年頃に昔の姿に忠実に再現されたものだという。時間がないので外から写真を撮るに留めた。
《カレル橋》
カレル橋はヴルタヴァ川にかかる石の橋で、プラハを代表する建築物である。われわれもプラハを訪れた最初の日にこの橋をわたっているのだが、紹介するのが最後になってしまった。この橋は、14世紀後半から15世紀にかけて、カレル4世の時代に建造されたものだ。橋の両端に橋塔がある。下の写真は、東岸の旧市街側橋塔の上から見たカレル橋とプラハ城だ。
本日は、ベツレヘム礼拝堂を過ぎて西へ進み、カレル橋よりも南側でヴルタヴァ川東岸へ出た。そこから見たカレル橋が左下写真だ。北上してカレル橋近くまで行く(右下写真)。
ブルタヴァ側東岸からカレル橋 カレル橋東岸の南側
カレル橋の西岸、プラハ城の下の地区はマラー・ストラナ(小地区)と呼ばれる。カレル橋の西側橋塔が小地区側橋塔である(左下写真)。カレル橋の欄干には、合計30体の彫像が飾られている。そのうちの2つが下中央と右の写真だ。
小地区側橋塔 欄干の聖人像 欄干の聖人像
カレル橋からヴルタヴァ川の南側(上流)を見たのが左下写真だ。川の流れの様子から浅瀬であることがわかる。
左遠方に見える高い建物は国民劇場だ。長らくハプスブルク家がチェコを支配し、ドイツ語で支配されていたチェコ人が、「チェコ語によるチェコ人のための舞台を」というスローガンで寄付を集め、1881年にこの劇場が完成した。ホテルで市街地図をもらうとき、フロントの兄さんがマークした観光スポットの一つがこの国民劇場だった。チェコ人にとっては記念すべきモニュメントであるようだ。
本日は旧市街側橋塔に登る予定だ。10時ちょっと前でまだオープン前の時間だが橋塔の扉をあけて中に入る。上がれるようだ。らせん階段を上がっていくとてっぺんに出る。四方を眺めることができた。ここでは南の方角を見た写真(下中央写真)を挙げておく。
橋塔の前の広場にはカレル4世の銅像が建っている(右下写真)。
カレル橋から南方 カレル橋旧市庁舎橋塔から カレル4世像
《聖フランティスク教会》
広場を挟んで橋塔の向かい側に、聖フランティスク教会がある。特に有名な教会ではないが、一応のぞいておこう。外から見た正面はさほど豪華ではないが、中に入ってみると重厚な装飾がほどこされた立派な教会だった(下の写真)。
《クレメンティヌム》
カレル橋東端の東側に、クレメンティヌムがある。地図で見ると広大な面積を専有している施設だ。ガイドブックによると・・・
クレメンティヌムは、強大化する一方のフス派に恐れをなしたフェルディナント1世が、フス派に対抗する宗教勢力としてカトリックのイエズス会をプラハへ招き、1556年に修道院を創建したのがそもそもの始まり。1601年にはプラハで最初のイエズス会の教会である聖サルヴァートル教会を建てられた。ハプスブルク家の手厚い保護もあって2ヘクタール余りの敷地に3つの教会、礼拝堂、図書館に講堂、天文台、出版局などが次々と建設され、最終的にプラハではプラハ城に次ぐ規模を持つ巨大な複合建築となった。館内ガイドツアーでは、壮麗なバロック様式の図書の間や子午線観測室の象限儀を見学した後、天文台に上がることができる。
以上のようなガイドブックの記述を読んでいたので、ここクレメンティヌムで天文台を見に行こうと考えていた。敷地の内部に入ると多くの建物が入り組んでいる。やっと案内所のようなところを見つけ、聞いてみた。すると、現在は工事中で見学は中止しているとのことであった。残念である。それが前日のことだ。
本日、再度クレメンティヌムに入り込んだ。すると家内が思い出した。家内はプラハ訪問は2回目なのだが、前回訪問したときにこのクレメンティヌムに来たというのだ。天文台らしきものも見た記憶があるという。
下の写真は、クレメンティヌムの構内で撮った写真である。
こうして最後の日のプラハ観光も終わった。
ホテルに帰り、荷物をまとめてチェックアウトを済ませる。タクシーを頼んでもらった。フロントのあんちゃんが、「来るときはどの会社のタクシーだったか」と聞くから、「駅から歩いてきた」と答えた。適当にお薦めの会社を選んでもらう。
プラハ14:15-KL3124-15:45スキポール17:40-KL861-(5月8日)11:40成田
戻る 続く
《ベツレヘム礼拝堂》
まずはホテルから南に向かい、ベツレヘム礼拝堂を目指す。路地が入り組んでいるので、ちょっと道を間違えた。
ベツレヘム礼拝堂、昨日話題にしたヤン・フスがチェコの民衆に向けてチェコ語で説教を行ったという礼拝堂だ(下写真)。元の建物は18世紀に全壊し、現在見られる教会は、資料を基に1950年頃に昔の姿に忠実に再現されたものだという。時間がないので外から写真を撮るに留めた。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1476.jpg)
《カレル橋》
カレル橋はヴルタヴァ川にかかる石の橋で、プラハを代表する建築物である。われわれもプラハを訪れた最初の日にこの橋をわたっているのだが、紹介するのが最後になってしまった。この橋は、14世紀後半から15世紀にかけて、カレル4世の時代に建造されたものだ。橋の両端に橋塔がある。下の写真は、東岸の旧市街側橋塔の上から見たカレル橋とプラハ城だ。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1501.jpg)
本日は、ベツレヘム礼拝堂を過ぎて西へ進み、カレル橋よりも南側でヴルタヴァ川東岸へ出た。そこから見たカレル橋が左下写真だ。北上してカレル橋近くまで行く(右下写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1484.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1487.jpg)
ブルタヴァ側東岸からカレル橋 カレル橋東岸の南側
カレル橋の西岸、プラハ城の下の地区はマラー・ストラナ(小地区)と呼ばれる。カレル橋の西側橋塔が小地区側橋塔である(左下写真)。カレル橋の欄干には、合計30体の彫像が飾られている。そのうちの2つが下中央と右の写真だ。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1319.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1327.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1329.jpg)
小地区側橋塔 欄干の聖人像 欄干の聖人像
カレル橋からヴルタヴァ川の南側(上流)を見たのが左下写真だ。川の流れの様子から浅瀬であることがわかる。
左遠方に見える高い建物は国民劇場だ。長らくハプスブルク家がチェコを支配し、ドイツ語で支配されていたチェコ人が、「チェコ語によるチェコ人のための舞台を」というスローガンで寄付を集め、1881年にこの劇場が完成した。ホテルで市街地図をもらうとき、フロントの兄さんがマークした観光スポットの一つがこの国民劇場だった。チェコ人にとっては記念すべきモニュメントであるようだ。
本日は旧市街側橋塔に登る予定だ。10時ちょっと前でまだオープン前の時間だが橋塔の扉をあけて中に入る。上がれるようだ。らせん階段を上がっていくとてっぺんに出る。四方を眺めることができた。ここでは南の方角を見た写真(下中央写真)を挙げておく。
橋塔の前の広場にはカレル4世の銅像が建っている(右下写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1322.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1494.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1333.jpg)
カレル橋から南方 カレル橋旧市庁舎橋塔から カレル4世像
《聖フランティスク教会》
広場を挟んで橋塔の向かい側に、聖フランティスク教会がある。特に有名な教会ではないが、一応のぞいておこう。外から見た正面はさほど豪華ではないが、中に入ってみると重厚な装飾がほどこされた立派な教会だった(下の写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1522.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1519.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1520.jpg)
《クレメンティヌム》
カレル橋東端の東側に、クレメンティヌムがある。地図で見ると広大な面積を専有している施設だ。ガイドブックによると・・・
クレメンティヌムは、強大化する一方のフス派に恐れをなしたフェルディナント1世が、フス派に対抗する宗教勢力としてカトリックのイエズス会をプラハへ招き、1556年に修道院を創建したのがそもそもの始まり。1601年にはプラハで最初のイエズス会の教会である聖サルヴァートル教会を建てられた。ハプスブルク家の手厚い保護もあって2ヘクタール余りの敷地に3つの教会、礼拝堂、図書館に講堂、天文台、出版局などが次々と建設され、最終的にプラハではプラハ城に次ぐ規模を持つ巨大な複合建築となった。館内ガイドツアーでは、壮麗なバロック様式の図書の間や子午線観測室の象限儀を見学した後、天文台に上がることができる。
以上のようなガイドブックの記述を読んでいたので、ここクレメンティヌムで天文台を見に行こうと考えていた。敷地の内部に入ると多くの建物が入り組んでいる。やっと案内所のようなところを見つけ、聞いてみた。すると、現在は工事中で見学は中止しているとのことであった。残念である。それが前日のことだ。
本日、再度クレメンティヌムに入り込んだ。すると家内が思い出した。家内はプラハ訪問は2回目なのだが、前回訪問したときにこのクレメンティヌムに来たというのだ。天文台らしきものも見た記憶があるという。
下の写真は、クレメンティヌムの構内で撮った写真である。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1523.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/2010eu/s/IMG_1524.jpg)
こうして最後の日のプラハ観光も終わった。
ホテルに帰り、荷物をまとめてチェックアウトを済ませる。タクシーを頼んでもらった。フロントのあんちゃんが、「来るときはどの会社のタクシーだったか」と聞くから、「駅から歩いてきた」と答えた。適当にお薦めの会社を選んでもらう。
プラハ14:15-KL3124-15:45スキポール17:40-KL861-(5月8日)11:40成田
戻る 続く