ベネツィアからフィレンツェまでの鉄道の予約を変えることはできなかったが、それならばフィレンツェへ行く途中の街まで行ってその街を観光し、そこから予定していた列車に乗り込むことが可能だと思いついた。ボロニアまで行ったのではフィレンツェに近すぎる。その他でガイドブックに載っている街というと、ベネツィアの近くにパドヴァという街がある。ホテルのフロントで聞いたら、われわれが予約している列車もパドヴァに停車するようである。それではそこへ行こうということになった。
ホテルからリアルト橋まで荷物を引いて歩いた。朝早いせいか、それほど雑踏に悩まされることはなかった。リアルト橋からサンタルチア駅まではヴァポレットである。
駅の切符売り場でパドヴァまでの切符を買う。二人で5ユーロである。ヴァポレットが一人で5ユーロだったのと比較し、何と安いことか。ヴェローナ行きに乗ればいいこと、我々の乗るユーロスターがたしかにパドヴァに停車することもそこで教えてもらった。
電車はそれほど待たずに出発した。ガイドブックにはベネツィアから30分と書いてあったが、実際には小一時間かかったようだ。駅到着前の車内アナウンスがない。乗り過ごすとやっかいだ。ボックス席の我々の前に座った若いイタリア人に聞いたら、「自分たちもパドヴァで降りる」ということで安心した。
パドヴァの街の様子についてはこちらを見て欲しい。
ガイドブックによると、パドヴァで最も重要なのはスクロヴェーニ礼拝堂である。ジョットのフレスコ画がすごいらしい。しかし予約が必要で、極めて少人数しか見学できないようだ。文化財保護のためのようである。そのため、スクロヴェーニ礼拝堂見学は早々にあきらめた。
そこで、もうひとつの重要なスポットであるサンタントニオ聖堂を訪問することにする。
荷物を駅に預けて歩き始める。パドヴァ駅を出ると、そこはごく普通の大きな街であった。閑散とした田舎を想像していたので意外であったが、それはこちらの先入観念にすぎない。
駅から南へ歩くと、川を渡ってまずスクロヴェーニ礼拝堂に至る。公園の中にぽつんと建った小さな煉瓦造りの建物であり、観光客も少なく閑散としている。「こちらは裏側かな?」と思った側が、ガイドブックの写真によると表側であった。中に入れる人数が15分に25人と極めて少ないので、このように静かなのであろう。
さらに南に進む。道路の両側にある歩道は、ポルティコ(柱廊)と呼ばれる構造が多く、それがこの町の特徴のようだ。歩道は、建物の2階以上の部分の下にあり、車道側の柱と建物の壁との間に配置されている。
サンタントニオ聖堂は、駅から直線距離で1.8キロほどのところにある。イタリアでも名高い聖地ということで、大阪の四天王寺のような雰囲気を予想していたが、それほどにぎやかではなかった。
聖堂内の祭壇の後には拝観の行列ができており、皆が熱心に拝観している。その中央には、人間の下顎の骨らしきものを飾った宝物があった。"dento di S.Antonio"と書いてあったように記憶している。
サンタントニオ聖堂の近くに植物園がある。世界遺産であり、ゲーテを引きつけた棕櫚の木を見るとこができるとのことで、入る予定にしていたが、入場料4ユーロということで止めにした。
サンタントニオ聖堂近くのバールで昼食をとる。
帰りはパスに乗ろうと、サンタントニオ聖堂近くの大広場(プラート・デッラ・ヴァッレ)に向かう。広大な公園には無数のテント屋台が建ち並んでいた。比較的近くに大きな寺院が見える。サンタ・ジュスティーナ教会であった。なんでこんな田舎にこんな大きな寺院が、と不思議に思う。
どのバスに乗ればいいのか分からないので、最寄りのバス停留所で待ち、やってきたバスの運ちゃんに「スタツィオーネ?」と聞くとうなずいた。あわててバスに乗り込んだが、切符を持っていないことに気付いた。乗客に「チケット?」と聞くと運転手を指さす。運転手から切符を購入した。すると別の乗客が車内の刻印機を指さす。購入した切符の刻印が必要であることが分かった。
バスは市街を大回りし、無事に駅に到着した。
駅についてもまだ時間がある。駅の周辺でデパートのような店を探したが見つからなかった。駅周辺はオフィス街のようで、銀行の建物が多い。
銀行の外側にはATMのような機械が設置されている。そのうちのひとつを使ってみた。手持ちのクレジットカードを挿入し、"identification"と促されたので暗証番号を入力する。100ユーロを要求したところ、無事に100ユーロの現金が出てきた。どの程度のレートで換金されたのか、結果が郵送されてくるのが楽しみである。
まだ時間がある。駅で待合室を探した。案内板に"Sala di attesa"と書かれた場所に行ってみたが、事務室らしき部屋があるのみだ。中に入って"Sala di attesa?"と聞くと、あっちだという。そちらに行ってみたが、ベンチが置いてあるのみだった。取り敢えず、イタリア語のSala di attesa=待合室を覚えた。salaはサロンに通じるようである。
我々が乗るユーロスターは、定刻(15時5分)に到着した。フィレンツェ着も定刻(17時21分)だったと思う。
ホテルは駅から5~10分のところにある。
ホテルの部屋に落ち着くと、まずはフロントでモンブランの店の有無を確認した。家族へのみやげは名前入りのモンブランと決めており、フィレンツェにモンブランの専門店がないと困るのである。フロントの人が端末で確認し、ホテルの近くに店があるということで、地図上で店の場所を教えてくれた。
モンブランの店はヴィーナ・ヌオーヴァ通りにあり、ホテルからトルナブオーニ通りを通って最初の五叉路で道を間違えたが、何とか店を見つけることができた。
ペンのスタイル、外観の色、万年筆ペン先の太さなどのバリエーションを聞き、家族本人たちの意見を電話で確認した上で再度翌日訪問することとした。
その後、無目的に街を歩き、レプップリカ広場からシニョーリア広場に至った。シニョーリア広場内、ベッキオ宮の対面にあるオープンカフェで夕食をとる。トマトスパゲッティとオムレツを頼んだが、味は今ひとつであった。
ホテルはインターネットができるということになっている。部屋にはLANコネクターがある。ザウルスを繋いでみたのだが接続できない。もうパジャマに着替えているし、ホテルとの相談は明日することにした。
戻る 続く
ホテルからリアルト橋まで荷物を引いて歩いた。朝早いせいか、それほど雑踏に悩まされることはなかった。リアルト橋からサンタルチア駅まではヴァポレットである。
駅の切符売り場でパドヴァまでの切符を買う。二人で5ユーロである。ヴァポレットが一人で5ユーロだったのと比較し、何と安いことか。ヴェローナ行きに乗ればいいこと、我々の乗るユーロスターがたしかにパドヴァに停車することもそこで教えてもらった。
電車はそれほど待たずに出発した。ガイドブックにはベネツィアから30分と書いてあったが、実際には小一時間かかったようだ。駅到着前の車内アナウンスがない。乗り過ごすとやっかいだ。ボックス席の我々の前に座った若いイタリア人に聞いたら、「自分たちもパドヴァで降りる」ということで安心した。
パドヴァの街の様子についてはこちらを見て欲しい。
ガイドブックによると、パドヴァで最も重要なのはスクロヴェーニ礼拝堂である。ジョットのフレスコ画がすごいらしい。しかし予約が必要で、極めて少人数しか見学できないようだ。文化財保護のためのようである。そのため、スクロヴェーニ礼拝堂見学は早々にあきらめた。
そこで、もうひとつの重要なスポットであるサンタントニオ聖堂を訪問することにする。
荷物を駅に預けて歩き始める。パドヴァ駅を出ると、そこはごく普通の大きな街であった。閑散とした田舎を想像していたので意外であったが、それはこちらの先入観念にすぎない。
駅から南へ歩くと、川を渡ってまずスクロヴェーニ礼拝堂に至る。公園の中にぽつんと建った小さな煉瓦造りの建物であり、観光客も少なく閑散としている。「こちらは裏側かな?」と思った側が、ガイドブックの写真によると表側であった。中に入れる人数が15分に25人と極めて少ないので、このように静かなのであろう。
さらに南に進む。道路の両側にある歩道は、ポルティコ(柱廊)と呼ばれる構造が多く、それがこの町の特徴のようだ。歩道は、建物の2階以上の部分の下にあり、車道側の柱と建物の壁との間に配置されている。
サンタントニオ聖堂は、駅から直線距離で1.8キロほどのところにある。イタリアでも名高い聖地ということで、大阪の四天王寺のような雰囲気を予想していたが、それほどにぎやかではなかった。
聖堂内の祭壇の後には拝観の行列ができており、皆が熱心に拝観している。その中央には、人間の下顎の骨らしきものを飾った宝物があった。"dento di S.Antonio"と書いてあったように記憶している。
サンタントニオ聖堂の近くに植物園がある。世界遺産であり、ゲーテを引きつけた棕櫚の木を見るとこができるとのことで、入る予定にしていたが、入場料4ユーロということで止めにした。
サンタントニオ聖堂近くのバールで昼食をとる。
帰りはパスに乗ろうと、サンタントニオ聖堂近くの大広場(プラート・デッラ・ヴァッレ)に向かう。広大な公園には無数のテント屋台が建ち並んでいた。比較的近くに大きな寺院が見える。サンタ・ジュスティーナ教会であった。なんでこんな田舎にこんな大きな寺院が、と不思議に思う。
どのバスに乗ればいいのか分からないので、最寄りのバス停留所で待ち、やってきたバスの運ちゃんに「スタツィオーネ?」と聞くとうなずいた。あわててバスに乗り込んだが、切符を持っていないことに気付いた。乗客に「チケット?」と聞くと運転手を指さす。運転手から切符を購入した。すると別の乗客が車内の刻印機を指さす。購入した切符の刻印が必要であることが分かった。
バスは市街を大回りし、無事に駅に到着した。
駅についてもまだ時間がある。駅の周辺でデパートのような店を探したが見つからなかった。駅周辺はオフィス街のようで、銀行の建物が多い。
銀行の外側にはATMのような機械が設置されている。そのうちのひとつを使ってみた。手持ちのクレジットカードを挿入し、"identification"と促されたので暗証番号を入力する。100ユーロを要求したところ、無事に100ユーロの現金が出てきた。どの程度のレートで換金されたのか、結果が郵送されてくるのが楽しみである。
まだ時間がある。駅で待合室を探した。案内板に"Sala di attesa"と書かれた場所に行ってみたが、事務室らしき部屋があるのみだ。中に入って"Sala di attesa?"と聞くと、あっちだという。そちらに行ってみたが、ベンチが置いてあるのみだった。取り敢えず、イタリア語のSala di attesa=待合室を覚えた。salaはサロンに通じるようである。
我々が乗るユーロスターは、定刻(15時5分)に到着した。フィレンツェ着も定刻(17時21分)だったと思う。
ホテルは駅から5~10分のところにある。
ホテルの部屋に落ち着くと、まずはフロントでモンブランの店の有無を確認した。家族へのみやげは名前入りのモンブランと決めており、フィレンツェにモンブランの専門店がないと困るのである。フロントの人が端末で確認し、ホテルの近くに店があるということで、地図上で店の場所を教えてくれた。
モンブランの店はヴィーナ・ヌオーヴァ通りにあり、ホテルからトルナブオーニ通りを通って最初の五叉路で道を間違えたが、何とか店を見つけることができた。
ペンのスタイル、外観の色、万年筆ペン先の太さなどのバリエーションを聞き、家族本人たちの意見を電話で確認した上で再度翌日訪問することとした。
その後、無目的に街を歩き、レプップリカ広場からシニョーリア広場に至った。シニョーリア広場内、ベッキオ宮の対面にあるオープンカフェで夕食をとる。トマトスパゲッティとオムレツを頼んだが、味は今ひとつであった。
ホテルはインターネットができるということになっている。部屋にはLANコネクターがある。ザウルスを繋いでみたのだが接続できない。もうパジャマに着替えているし、ホテルとの相談は明日することにした。
戻る 続く