雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

ツェルマット~クライネシャイデック

2018-07-12 21:55:59 | 旅行


6月19日、本日はツェルマットからクライネシャイデックまでの移動日だ。

朝、5時過ぎに目覚ましで目覚める。窓から外を見る。まだ暗い夜空に星が見えている。晴天だ!
今朝はまず、近くの川にかかる橋からマッターホルンのモルゲンロートを見る予定にしている。
長いこと立ちづめとなるので、セーター2枚を重ね、登山用レインコート上下を着込んで出かける。
ちょっと早めに橋に着くと、すでに橋の上には大勢の人たちが来ている。マッターホルンよりの欄干部はすでに埋まっており、その一列後に位置を占めた。
空はすっかり明るくなっているのに、マッターホルンにはなかなか日が差さない。ひょっとして太陽が出る東の方向は雲がかかっているのでは、と懸念し始めたとき、マッターホルンのてっぺんに赤みが差した。
そしてそれからの様子は、下の写真に示すとおりである。写真右に、カメラが記録した現地時間を記した。確認したところ、カメラの時計は1分程度遅れている程度で、ほぼ正確である。15分ほどのできごとだったことがわかる。

《マッターホルンのモルゲンロート》
5:32

5:33

5:35

5:37

5:41

5:49

このとき、同じアングルで撮影した写真をすべて使って、連続写真動画を作ってみた。表示間隔を0.5秒としている。計算すると、1分が1秒に短縮されているようだ。
https://youtu.be/iC4DEUs0mn4
モルゲンロートがどんな現象か、知らずにいた。それにしても、こんな現象であろうとは想像できなかった。どんな現象かというと、日に照らされた部分はあくまで赤く、そして日照部分と日陰部分との境界がぼやけずに鮮明であったということ。境界部が、山頂から山腹に降りてくるまでを20分も見続けることができたこと、など。

もう一つ驚くべきこと。
モルゲンロートを観察した橋には、観光客が鈴なりになっていた。観察すると、その全員が東洋人であった。白人は一人も見当たらない。
ガイドさんによると、この橋は以前は“日本人橋”と呼ばれていたらしい。現在は日本人は少数派であり、“中韓人橋”と呼ぶのがふさわしいだろう。

ホテルに帰る。重装備をしていたお陰で、寒さは感じなかった。まだ時間は早いので、一休みし、それから食堂で朝食をとった。

ホテルの食堂

われわれの部屋の窓は南向きであり、残念ながらマッターホルンを見ることはできない。一方、ベランダから見下ろすと、そこは昨日見に行った“穀物倉庫群”であった(右下写真)。
 
ホテルの部屋のベランダから

ここツェルマットの街では、ガソリンエンジン車やジーゼルエンジン車は走ることができない。そこで街の人たちは、特注で電気自動車を作製し、街中ではその電気自動車のみが走行している状況である。その特注の電気自動車、価格が1300万円というから驚きだ。決して高級車ではなく、下の写真のような小型車だ。
最近は、日産をはじめとして電気自動車が市販されている。ずっと安いはずだ。何で市販の電気自動車が走っていないのか、ガイドさんに聞いておけば良かった。

ツェルマット市街を走る電気自動車

今、今井(高橋)通子さんの「私の北壁」を読んでいる。今井通子さんが世界最初に女性二人でマッターホルン北壁に登ったのは1967年だ。そのときから、ツェルマットはガソリン車を拒絶していたようだ。まだ電気自動車は使えなかったため、ツェルマットの街中では馬車が使われていた。今井さんたちは駅で馬車タクシーを拾い、宿所まで荷物を運搬したとある。

本日は、以下の行程でクライネシャイデックまで移動する。
ツェルマット-フィスプ(乗換)-シュピーツ(乗換)-インターラーケン(乗換)-クリンデルヴァルト(乗換)-クライネシャイデック
時間は十分にあるので、この移動にどのようなオプションを追加するか、検討してきた。
「朝、ツェルマットからマッターホルン・グレッシャー・パラダイスを往復する」という案も出た。ケーブルとロープウェーで標高3900mまで一気に上がる。展望台からは、モンブランも見えるらしい。魅力的な計画だったが、昨日は私が高山病でさんざんだったので、この計画は見送った。
シュピーツとインターラーケンは、トゥーン湖に面している。出発前から、「シュピーツからインターラーケンまで船で移動しよう」という計画があった。そこで、この計画を実行することとした。
シュピーツまでは以下の電車を利用した。
ツェルマット10:13-11:22フィスプ11:28-11:53シュピーツ
ツェルマット-フィスプ間は、一昨日の氷河特急のルートを逆に進む。そしてフィスプ-シュピーツ間は大部分がトンネのの中だ。
シュピーツの駅は、トゥーン湖の湖面よりだいぶ高い所にある。ガイドブックには船着き場まで徒歩15分とあった。トランクをがらがら引きながら、坂道を下る。そしてシュピーツの船着き場に到着した。

《トゥーン湖の船旅》
シュピーツ12:28-13:49インターラーケン・ヴェスト(西)
われわれはスイス・トラベル・パス・フレックス(1等)を持っており、本日は利用日だ。このパスを持っていると、船の1等席に追加料金なしに乗船することができる。
 
シュピーツの船着き場            トゥーン湖を進む

結構大きな船だが、船の写真を撮り忘れた。
シュピーツからインターラーケンまで、いくつもの船着き場に寄りながらの航行だ。船着き場毎にもたもたしていたのでは時間のロスになる。運行を観察していると、船長(又はヘルムスマン)の腕は確かだ。無駄なくスムーズに接岸している。
さらに、船を船着き場に舫(もや)う船員の腕もすごい。ポンツーンの柱に、投げ縄を一発で投げ入れるのだ(右下写真)。二人がそれぞれ投げ縄を投げる。写真を撮りに行ったとき、若い方の船員は最初失敗した。それに対して、写真に撮った年配の船員は、失敗することなく、一発で投げ入れ成功していた。
 
トゥーン湖を進む              船着き場での、船員の投げ縄の技

インターラーケンには、鉄道駅が二つ(ヴェスト(西)とオスト(東))ある。船はヴェストに着岸し、登山電車はオスト駅から出発する。ヴェスト駅からオスト駅まで電車を利用する。

オスト駅から利用した電車の時刻を正確に覚えていないが、以下のような電車を利用したと思う。
インターラーケン・オスト14:35-クリンデルヴァルト-15:19クライネシャイデック

下の写真は、グリンデルヴァルトに到着する直前に車窓から撮ったアイガーである。写真の右半分がアイガー北壁、左半分は、北壁とのつながりがよくわからないのだが、北壁に連なる山稜である。

アイガー北壁

グリンデルヴァルト駅


登山電車はクライネシャイデック終点に到着した。近くの店の人にホテルを聞く。歩いてすぐのところにある建物がそうだ。本日から2泊、この山岳ホテル(Bellevue des Alpes(Sheidegg Hotel))に宿泊する。
まずはチェックインして部屋に落ち着いた。
まだ日中だが、周囲の山々には雲がかかっている。

《新田次郎銘板》
ガイドブックにはクライネシャイデックについて、「線路を渡った丘の上には、小説家新田次郎の記念碑もある。・・・1980年に亡くなったあと、夫人によってクライネ・シャイデックのアイガーが見える場所に碑が設置された。」と記載されている。そこでまずは、新田次郎の碑を探しに出た。

といっても、その碑がどこにあるのか見当が付かない。そこで、駅のインフォメーションに行ってみた。インフォメーションといっても、切符売り場と兼用だ。列に並び、順番が来たので窓口のお姉さんに聞いてみた。「それなら・・・(と指さす)にあるよ。」との回答である。
よくわからなかったが、取りあえずは指さした方向に行ってみよう。

  
線路を渡ると、たしかに丘がある。丘に登る階段があったので(左上写真)、登っていく。写真にあるように、最初の階段を上りきると右に曲がってさらに階段がある。登り切るとなだらかな丘だ。しかし丘のどこにも、“碑”らしきものは見当たらない。振り返ると、右下写真のような景色だ。右方向の丘の下にある建物が登山電車の駅舎、左の奥に見える建物がわれわれが宿泊しているホテルだ。ホテルの後方の岸壁が、有名なアイガー北壁の下部である。上部は雲に隠れている。
ゆったりと写真を撮っていると、二人連れの女性が上がってきた。日本人だ。やはり新田次郎碑を探しているという。3人で話しながらさらに探す。“ひょっとして”ということで、最初の階段を上がったところから、右に折れないで真っ直ぐに進んでみた。ほんの2mもいったところに、探していた碑が見つかった(右上写真)。
“碑”というから、遠くからでも見える石碑が建っているものと想像していたがまったく違った。右上写真に見える石垣の上に、30cm×20cmほどの銘板がセメントで固定されているものであった(左下写真)。
  
銘板には「アルプスを愛した日本の作家 新田次郎 ここに眠る」と記されている。「ここに眠る」とはどういう意味だろうか。ネットで調べると、「遺髪が安置されている」などいろいろな説があるようだ。
この丘からは、確かにアイガー北壁がよく見える。新田次郎は、私が今立っているこの場所から、アイガーを眺めていたのだろうか。

夕食はホテルの食堂だ。
メニューは、肉料理、魚料理、ベジタリアンからの選択である。妻は肉料理、私は魚料理を頼んだ。魚は"King 何とか"と名付けられている。ウェイターの兄ちゃんに「これは何ですか」と聞いてみたが埒があかない。取りあえずは注文した。
出てきた料理はエビであった。妻が「シュリンプ」というとさっきの兄ちゃんが「オー、シュリンプ」と反応した。さっきは、「シュリンプ」の単語を思いつかなかったのだろう。量的には私にちょうど良かった。

戻る                            続く

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