雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

クライネシャイデック~ユングフラウヨッホ

2018-07-15 18:53:25 | 旅行

アイガー北壁と右にメンヒ 手前はホテル(Bellevue des Alpes(Sheidegg Hotel))

6月20日、クライネシャイデックの山岳ホテル1泊目が明けた。朝5時過ぎに目覚ましをかけている。窓から外を見ると、一点の雲もない晴天だ。身支度をして、一人でホテルを出る。
ロビーにはまだ従業員が来ていない。ホテルの玄関ドアを開けようとしたら、鍵が閉まっているではないか。よくよく見たらドアのフックに鍵がぶら下がっている。勝手に開けて出ろということか。そうすることにした。

もう日の出が近いというのに、付近には人っ子一人いない。マッターホルンのモルゲンロートとはえらい違いだ。
昨日新田次郎の碑を探して登った丘に登る。360°の景色が広がっている。眼前にアイガー北壁、右に目を転じればメンヒ、さらに右にユングフラウ、その右の真っ白い三角はシルバーホルンだ。
朝のこの景色を、私一人が独占しているのだ。
アイガー山頂とメンヒ山頂直下の壁に朝日が射した(下写真)。いずれも、北壁に対して東から日が当たっているので、昨日のマッターホルンのようなダイナミックさはない。カメラが記録した時刻(現地時間)を写真の横に記した。
        アイガー                       メンヒ

5:25


5:32

5:32
アイガー北壁

ユングフラウ山頂とシルバーホルン山頂にも陽光がが届いた(下写真)。
          ユングフラウ                             シルバーホルン

5:38

アイガー北壁と反対方向、つまり北に目を転じると、この丘にも陽光が届き始めた(下写真)。

5:39

そして、私が立っている丘にも朝日が昇ってきた(下写真)。太陽の右横の絶壁の上の頂は、ヴェッターホルン(英語で言えばウェザーホーン(天気岳))、写真の右端はアイガーの頂である。

5:40

新田次郎碑にも朝日が注がれている(下写真)。次郎さん、見えていますか?


私がホテルに帰る最後の最後まで、とうとう誰にも会わなかった。ご来光を独り占めした数十分間であった。

ホテルの写真を紹介しておく。左下写真はロビー付近、右下写真は食堂の窓から見える風景だ。ユングフラウとシルバーホルンが見えている。
 

本日は、ガイドさんに連れられてユングフラウヨッホに出かける。約束の9時15分にロビーに行き、ガイドさんと合流した。
ここクライネシャイデックは標高2000m、そして登山電車で行くユングフラウヨッホは標高3400mだ。ヨッホはドイツ語で“肩”の意味で、ユングフラウとメンヒの山の間の峠の意味であろう。下の写真は、登山電車の窓から撮ったユングフラウである。左1/4付近の肩の部分に建物が見える。そこが今回の目的地である。
         ユングフラウヨッホ                    ユングフラウ


下の写真、左に見える白い三角はシルバーホルンだ。この左、写真からは外れているがユングフラウだ。
    シルバーホルン


登山電車の最初の停留所がアイガーグレッチャー、その先は、アイガーとメンヒの山腹をくり抜いたトンネルだ。途中、アイスメーアで停車する。電車を降りて地下道を行くと、山腹をくり抜いた窓がある。そこからの景色(東方)が下の写真だ。
                       シュレックホルン              フィッシャーホルナー?

[東方]                フィッシャー氷河

登山電車は終点のユングフラウヨッホに到着した。登山電車は地下の停車場に入る。電車を降りると、地下のいろいろな施設を見て回り、外に出て展望を楽しむことができる。今回はガイドさんに連れられているので、ガイドさんに従い、順番に見て回る。
最初は氷の宮殿だ。氷河をくり抜いたトンネル内を歩いてまわる。氷河ではあるが、太陽光はここまで届かないようだ。

ここには展望箇所が2箇所ある。一番高い所にある展望台、スフィンクス・テラスと、ヨッホ(肩(峠))の雪原だ。ガイドさんの案内で、最初は峠の雪原に出た。

南には、遙か彼方まで続くアレッチ氷河だ(下写真)。ヨーロッパ最長の氷河で、全長22kmという。

[南方]                    アレッチ氷河
                            ユングフラウ

[西方]
                              メンヒ

[東方]
下の写真、ふもとには小さくクライネシャイデックの駅とホテルが見えている。

[北方]

雪原を後にし、施設内に入る。“アルパイン・センセーション”と呼ばれる、同じく氷結した地下に設けられた長い廊下を進む。その先、エレベーターで上がったところが、スフィンクス・テラスだ。標高は3571mとある。屋内からも展望できるし、屋外も360°の展望が楽しめる。本日は天候が良好なので、屋外からの展望だ。
                      メンヒ

[東方]


[北方]
                                            メンヒ

[東方]
                             ユングフラウ

[西方]


[南方]                  アレッチ氷河


                      アレッチ氷河

ここで、人間が写り込んでいる写真を2枚掲載する。いずれもスフィンクス・テラスから撮影した。ユングフラウヨッホに豆粒のように見える人、アレッチ氷河のトレールをたどる小さな人と駐機しているヘリコプターの大きさに注目して欲しい。ヨーロッパアルプスの山容があまりに大きいので、つい近くの風景と思い違いしてしまう。
         ユングフラウ

                            ユングフラウヨッホ
          トルーグベルク

                        アレッチ氷河

ずっと眺めていたい景色だが、帰りの登山電車の時間が決まっている。ガイドさんの歩調に合わせ、展望台を後にした。
施設内には売店が並んでおり、リンツのお店、スイスゆかりの時計の店などを見て回る。

乗車する登山電車の出発時刻だ。
電車は元来たトンネル内を通過し、トンネルから出たところにある停留所、“アイガー・グレッチャー”で降車する。ここから、登山電車一駅分を歩いて下るのが、本日のハイキングコースだ。
まずは、アイガーグレッチャーの駅に隣接する食堂で昼食を摂った。
                         メンヒ


                  ユングフラウ                      シルバーホルン


             ラウバーホルン                 チェッケン

                               ファルボーデンゼー
上の写真、手前に池(ファルボーデンゼー)、そのむこうにクライネシャイデックの登山電車駅とわれわれの宿泊しているホテルが見える。
ここから見えるアイガーは、西壁が見えており、ここからでは北壁が見えない。
                    アイガー西壁


                                  ユングフラウ


《槇有恒氏とミッテルレギ小屋》
歩いていると、下の方に小さな建物が見える(下写真)。小屋のある丘と、対岸の村との間は、大きくえぐれた谷が隔てている。氷河の浸食によるものだろう。


小屋の前まで来た。

ガイドさんの説明によると、この小屋は、日本の登山家である槇有恒(まきゆうこう)氏にゆかりの小屋だそうだ。私がガイドさんに「まきありつねと呼ばないのですか」と聞いてみたところ、このスイスの地で、槇有恒氏のご家族が「“ゆうこう”が正しい」と言われたそうだ。
現在、小屋の中に入ることはできない。入口のガラスを通して中を見ると、この小屋が使われていた当時を再現しているようだ(左下写真)。右下写真は、槇有恒氏に違いないだろう。
 
 小屋の内部                         槙有恒氏の写真

ウィキによると、槇有恒氏は1921年(大正10年)、グリンデルヴァルトの登山ガイド3名と共にアイガー東山稜(ミッテルレギ)を初登攀する。その記念として3年後に1万スイスフランを寄贈してミッテルレギ小屋(en)を作ったそうだ。
ネット記事によると、「2001年 ミッテルレギ小屋2号が建てられた際小屋1号をアイガーグレッチャー駅の近くに移動。その後、2011年に現在の位置(ハイキングコース)に移動させました。」とある。

下の写真は、われわれが宿泊しているホテルの廊下に飾られている写真だ。“Yuko Maki 10 Sept. 1921”と署名されている。槇氏ご本人が“ゆうこう”と名乗られていたことがわかる。


             アイガー(北壁(左)と西壁(右))

                       ファルボーデンゼー
ハイキングは、ファルボーデンゼーに到着した。ここまで来ると、アイガーは北壁を見せ始める(上写真)。
北壁をアップで捉えようとしたが、タイミングが遅すぎた。雲が出始めたのである(下写真)。
                   アイガー北壁


《アイガー北壁》
さて、ここからはアイガー北壁物語である。
ヨーロッパアルプスの三大北壁として、アイガー北壁、マッターホルン北壁、グランド・ジョラス北壁が知られている。
下のTシャツは、私が購入したもので、アイガー北壁と代表的な登攀ルートが記されている。
 
アイガー北壁の初登攀は1938年だ。
上のTシャツの図には、4つのルートが記されている。出発時点で左から2番目であり、その後ジグザグに登り、途中最も左のコースを取って山頂に至るルートが、ノーマルルートだ。頂上の下、"Spinne"と書かれた雪田は、日本語で「白い蜘蛛」と呼ばれている困難箇所だ。

1969年、加藤滝男を隊長とし、今井通子氏を含め、総勢6人が、世界ではじめて「アイガー直登」を成し遂げた。Tシャツの右から2番目の直線コースだ。
最初に、「赤い壁」と呼ばれる大岸壁を直登する。この壁は、全体がオーバーハングしている。Tシャツでいうと、"2.Eisfeld"(第1氷田)の右の方である。
アイガー北壁で最も手強いのは落石であり、オーバーハング岸壁であれば、落石の直撃を受けないので安全と考えたようだ。
7月14日から赤い壁のルート設営を開始し、赤い壁のルートが9割方できあがった7月30日、全員でベースキャンプを出発した。無事登頂に成功したのは8月15日だ。
私の北壁〈続〉 (1982年)
今井通子
朝日新聞社

赤い壁を登攀中の8月2日、今井氏は背中に落石の直撃を受けた。その翌日、今井氏は登攀を継続する。オーバーハングした赤い壁のフィックスド・ロープを登る。
『上から声がかかった。「シャモー。そこで止まれ。待てよ」
私を確保しているメインザイルを固定した加藤隊長がカメラをかまえる。
「上を向けー。足をケルンダー」
私は顔を上げ、右足を思い切る後ろにそらせ空中バレリーナとなった。この時のポーズの写真は今(1972年)もグリンデルワルトの駅の売店に絵はがきになって売られている。』(続・私の氷壁)
私も絵はがきを探していたのだが、クライネ・シャイデックの売店で見つけることができた。下の写真だ。
 
"Foto Takio Kato"とある。加藤氏が、自分の股の間からカメラを構えて撮ったのだろう。加藤氏の足も映っている。なお、“シャモ”とは今井通子氏に付けられたニックネームだ。シャモのようにどう猛だったのだろう。
                         アイガー北壁

                           クライネシャイデックのホテル
                          アイガー北壁

下1/3付近に見える壁が「赤い壁」であろう。

宿泊したホテルの廊下にも、加藤隊の写真が飾られていた(左下写真)。
中央が今井通子氏、その左は隊長の加藤滝男氏だろうか。今井氏の右は、背が高いので、加藤保男氏(滝男氏の実弟)と思われる。
 
加藤隊長は、登攀前にクライネシャイデックのフォン・アルメン氏に面会し、助言を受けている。
『フォン・アルメン氏とは、アイガーの真下にあるクライネシャイデックのホテルの主人で、長年アイガー北壁をながめ続けてきた人である。』(続・私の北壁)
私が宿泊しているホテルのフロントで、お姉さんに「フォン・アルメン氏をご存じか」と聞いてみた。お姉さんは廊下の写真を示し、「この人がフォン・アルメンだ」と教えてくれた。右上の写真である。

本日もホテルのレストランで夕食である。本日は、妻が魚料理、私が肉料理を選んだ。肉料理は、確かカツレツだったと記憶している。

p.s.ユングフラウ、メンヒ、アイガーの3山全体の写真を撮り忘れていた。ウィキペディアに転載できる写真がないか調べたところ、下の写真に到達した。すごい写真だ。特に、高精細で見たときの細部がすごい。撮影者に感謝だ。
Photographer: Armin Kübelbeck, CC-BY-SA, Wikimedia Commons


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