http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50323804.html
ここの論考がかなり面白いです◎◎◎
++++++
もう出国まで60時間あまり、
その間に卒業式・大道芸の仕事・追いコン・8000字の原稿仕上げ・・と
あまり時間も残されていないので 特にコメントはしませんが
今、僕が言いたいことは。
++++++
【ボナンザ問題】
注目が集まるのは良いこと。
ただ、数年以内にトッププロが公式試合で負けることはほぼ確実でしょ???
ということは、そうやってトップが負けて、
「あーあついに将棋も負けちゃったのね、人間(プロ)ってたいしたことないね。」
となった時にどう普及を進めるのか?
+
そこんとこ、今から考えてすぐ実行に移しておかないと、手遅れになるのでは。
ちなみに僕は教育系と結びつけるのが火急の課題と思っています。
「将棋推薦」の制度が無ければ、基本的に将棋が全国トップなのは東大と京大です。
(蛇足ながら、僕の母校の将棋部ではもう10年以上にわたって、
高校将棋全国大会で都代表になった部員の70%以上が現役国立大学合格、50%が現役東大合格です。)
学校全体では現役東大合格は全校生徒の約20%であることを考えると、凄まじい数値です。)
偏差値的な能力の部分と、将棋で求められる論理的思考能力は間違いなく相関しています。
ここに着目して、プロがコンピュータに負けないうちに
アクションを起こさないことにはどうにもならないでしょう。
+++++
【女流問題】
何が問題なのかもはっきりしない状況です。情報公開が少ないから。
なので特に何も書きません。
++++++
あと、こうしてプロに注目が集まることで、
「将棋」というものが矮小化されている感があります。
当たり前だけど将棋はプロ棋士のものでもなければ、
プロ棋士によって存続しているものでもなければ、
プロ棋士のために存在するものでもありません。
例えば「将棋を通じたコミュニケーション」も
地域社会の中や世代間交流の中で用いることのできる効果的なツールとなるでしょう。
これは21世紀を象徴するとすら言われている市民活動と組み合わせることができます。
絶滅しかけたサーカス文化もNPO・NGOの支えがあって初めて復興・発展しました。
2008年には東京ディズニーランドにサーカス劇場が出来上がります。
こういう活動に携わっていけるプロ棋士がいるか、というといないですね。
てか本職は対局なんだし。
#あ、別にNPOを礼賛しているわけでは全くありません。あくまで例の一つです。
+
そもそも、
将棋のプロになるための技術水準が高く求められれば求められるほど、
将棋のプロが「将棋の強さ以外になんらかの技能を持っている確率」は下がります。
弁護士兼プロ棋士、とかって無理ですよね。今の制度だと。
+
一番気をつけないといけないのは、こうやってプロの問題が話題を呼んで、
プロの問題の解決ばかりに目がいって
(=プロが給料をもらうための仕組み作りを皆が考えてばかりで)、
もっと根本的に重要な部分がすっぽり抜け落ちてしまうことを心配しています。
+++++++++++++
今日、とても才能のある人材とお話する機会をいただきました。
その人は非常に活動的で社交的でまさに囲碁界に寄与することだろうと思いきや、
囲碁の世界にはもう愛想が尽きてしまったそうです。
そうやって、才能のある人材が、プロ棋士の目に見えないところで、ひっそりと絶望し、
どんどん将棋から離れていってしまう可能性を僕は心配しています。
彼/彼女が将棋の世界に協力してくれたらどれだけ力強いだろう、
そんな人はなんだかんだとけっこういます。
でも、その時に受け皿となるべき団体の態度が
例えば「寄付を待つ」とか「一方的に協力を求める」という態度では、
誰も手伝いたがらないと思います。
+
そうならないためには。
せめてお金に余裕のある人だけでも、お金を得ることはひとまずおいておいて。
今、社会が何を求めているのか。時代は何を欲しているのか。
人々(将棋ファンのことではない)は何を探しているのか。
そして、そこに、将棋を通じてどのようなアプローチがありうるのか。
そこを探求しないことには、
既存のお金がもらえる仕組みを無理やり拡大しようとしているだけでは、
なかなか解決には至らないのではないでしょうか。わかんないですけど。
#既存の仕組み:
#(スポンサー)-(将棋界=プロ棋士たち)-(将棋メディア)-(将棋ファン)
#
#でも、この直線的な関係の周りに社会があり、多様な価値観、多様なニーズがある。
#そこへのアプローチ方法は。
教育、福祉、地域社会、防災、防犯、自然との共生、精神的な健康、男女共同参画・・
あ、もしよかったらトップページだけでも
http://www.cao.go.jp/
を見てみるとヒントになるかもしれません。内閣府のページです。
+++++
僕は、将棋を通じて価値を創造したいと考えています。
将棋を通じて、将棋に全く興味のない人でも、
その人自身の興味のあることと関連つけて、
「面白いな」とか「参考になった」とか思ってもらえるようなことを
生み出していきたいと考えています。
+++++
その際に、将棋の強さはもはや関係なくなると予想しています。
些細な技術の多寡は、10年後のコンピュータの前には大した問題でなくなるでしょう。
すぐに注目は囲碁へ移ってしまいます。
#囲碁はコンピュータがまだまだ弱い。
「人間代表」の看板を背負ってられるのは、ほんとに残りあと数年。。
+
コンピュータに負けないうちは(現在含む)、
「人間ならではの要素」=「将棋の強さ」
でした。
10年後には、「強さ」以外で人間らしさを引き出せるような要素、
あるいは社会と密接に関連させられるような要素を
将棋から引き出していかねばならなくなる時期がくると考えています。
きっと、プロ棋士やアマチュア、学生の中にも、
同じような考えを持っている人はいるのではと思ってます。
+++++
国家の庇護を得る時代はとうに過ぎ、(将棋で言えば江戸時代。)
企業の経済力の傘下におさまって口を糊する時代も過ぎ去りつつあります。
(新聞社に、あるいはほかの企業に、スポンサーになってもらう時代。)
次の時代に対応することを考える必要があります。
その時にはプロ棋士の制度も根本的に変わってくるでしょう。
20年後くらい?わかんないですけど。
想像のつきにくいことだとは思いますし、でもだからこそ、
20年先を予測するための手がかりを、今、
少しでもかき集めたいなと考えています。
また、将棋分野が率先してこれからの時代に適合し
社会の中で一つの文化として存続してゆけるようなモデルを提示できたら、
それは大変画期的なことですし、
将棋に関わる全ての人にメリットが生まれる可能性があります。
+++++
そしてその時代が変わってゆく際に、
少しでも摩擦やらコストやらストレスがかからないで、
新時代の体制に段階的に移行できるための下準備を、
本当に微力ながら陰ながら、実践していきたいなと考えてます。
以上。
って、なにもわかってない大学生が偉そうに何書いてるんだぼけ!!!
って思った方には、ごめんなさい。。
すみませんです。
今、立場・意見はどうあれ一生懸命将棋の問題に取り組んでいらっしゃる方には
敬意を持って動きを拝見させていただいています。なんだかんだで毎日色々目を通してます。
そして、一人でも多くの人が少しでも満足の行く形での解決を、願っています。
それでは。。。
ここの論考がかなり面白いです◎◎◎
++++++
もう出国まで60時間あまり、
その間に卒業式・大道芸の仕事・追いコン・8000字の原稿仕上げ・・と
あまり時間も残されていないので 特にコメントはしませんが
今、僕が言いたいことは。
++++++
【ボナンザ問題】
注目が集まるのは良いこと。
ただ、数年以内にトッププロが公式試合で負けることはほぼ確実でしょ???
ということは、そうやってトップが負けて、
「あーあついに将棋も負けちゃったのね、人間(プロ)ってたいしたことないね。」
となった時にどう普及を進めるのか?
+
そこんとこ、今から考えてすぐ実行に移しておかないと、手遅れになるのでは。
ちなみに僕は教育系と結びつけるのが火急の課題と思っています。
「将棋推薦」の制度が無ければ、基本的に将棋が全国トップなのは東大と京大です。
(蛇足ながら、僕の母校の将棋部ではもう10年以上にわたって、
高校将棋全国大会で都代表になった部員の70%以上が現役国立大学合格、50%が現役東大合格です。)
学校全体では現役東大合格は全校生徒の約20%であることを考えると、凄まじい数値です。)
偏差値的な能力の部分と、将棋で求められる論理的思考能力は間違いなく相関しています。
ここに着目して、プロがコンピュータに負けないうちに
アクションを起こさないことにはどうにもならないでしょう。
+++++
【女流問題】
何が問題なのかもはっきりしない状況です。情報公開が少ないから。
なので特に何も書きません。
++++++
あと、こうしてプロに注目が集まることで、
「将棋」というものが矮小化されている感があります。
当たり前だけど将棋はプロ棋士のものでもなければ、
プロ棋士によって存続しているものでもなければ、
プロ棋士のために存在するものでもありません。
例えば「将棋を通じたコミュニケーション」も
地域社会の中や世代間交流の中で用いることのできる効果的なツールとなるでしょう。
これは21世紀を象徴するとすら言われている市民活動と組み合わせることができます。
絶滅しかけたサーカス文化もNPO・NGOの支えがあって初めて復興・発展しました。
2008年には東京ディズニーランドにサーカス劇場が出来上がります。
こういう活動に携わっていけるプロ棋士がいるか、というといないですね。
てか本職は対局なんだし。
#あ、別にNPOを礼賛しているわけでは全くありません。あくまで例の一つです。
+
そもそも、
将棋のプロになるための技術水準が高く求められれば求められるほど、
将棋のプロが「将棋の強さ以外になんらかの技能を持っている確率」は下がります。
弁護士兼プロ棋士、とかって無理ですよね。今の制度だと。
+
一番気をつけないといけないのは、こうやってプロの問題が話題を呼んで、
プロの問題の解決ばかりに目がいって
(=プロが給料をもらうための仕組み作りを皆が考えてばかりで)、
もっと根本的に重要な部分がすっぽり抜け落ちてしまうことを心配しています。
+++++++++++++
今日、とても才能のある人材とお話する機会をいただきました。
その人は非常に活動的で社交的でまさに囲碁界に寄与することだろうと思いきや、
囲碁の世界にはもう愛想が尽きてしまったそうです。
そうやって、才能のある人材が、プロ棋士の目に見えないところで、ひっそりと絶望し、
どんどん将棋から離れていってしまう可能性を僕は心配しています。
彼/彼女が将棋の世界に協力してくれたらどれだけ力強いだろう、
そんな人はなんだかんだとけっこういます。
でも、その時に受け皿となるべき団体の態度が
例えば「寄付を待つ」とか「一方的に協力を求める」という態度では、
誰も手伝いたがらないと思います。
+
そうならないためには。
せめてお金に余裕のある人だけでも、お金を得ることはひとまずおいておいて。
今、社会が何を求めているのか。時代は何を欲しているのか。
人々(将棋ファンのことではない)は何を探しているのか。
そして、そこに、将棋を通じてどのようなアプローチがありうるのか。
そこを探求しないことには、
既存のお金がもらえる仕組みを無理やり拡大しようとしているだけでは、
なかなか解決には至らないのではないでしょうか。わかんないですけど。
#既存の仕組み:
#(スポンサー)-(将棋界=プロ棋士たち)-(将棋メディア)-(将棋ファン)
#
#でも、この直線的な関係の周りに社会があり、多様な価値観、多様なニーズがある。
#そこへのアプローチ方法は。
教育、福祉、地域社会、防災、防犯、自然との共生、精神的な健康、男女共同参画・・
あ、もしよかったらトップページだけでも
http://www.cao.go.jp/
を見てみるとヒントになるかもしれません。内閣府のページです。
+++++
僕は、将棋を通じて価値を創造したいと考えています。
将棋を通じて、将棋に全く興味のない人でも、
その人自身の興味のあることと関連つけて、
「面白いな」とか「参考になった」とか思ってもらえるようなことを
生み出していきたいと考えています。
+++++
その際に、将棋の強さはもはや関係なくなると予想しています。
些細な技術の多寡は、10年後のコンピュータの前には大した問題でなくなるでしょう。
すぐに注目は囲碁へ移ってしまいます。
#囲碁はコンピュータがまだまだ弱い。
「人間代表」の看板を背負ってられるのは、ほんとに残りあと数年。。
+
コンピュータに負けないうちは(現在含む)、
「人間ならではの要素」=「将棋の強さ」
でした。
10年後には、「強さ」以外で人間らしさを引き出せるような要素、
あるいは社会と密接に関連させられるような要素を
将棋から引き出していかねばならなくなる時期がくると考えています。
きっと、プロ棋士やアマチュア、学生の中にも、
同じような考えを持っている人はいるのではと思ってます。
+++++
国家の庇護を得る時代はとうに過ぎ、(将棋で言えば江戸時代。)
企業の経済力の傘下におさまって口を糊する時代も過ぎ去りつつあります。
(新聞社に、あるいはほかの企業に、スポンサーになってもらう時代。)
次の時代に対応することを考える必要があります。
その時にはプロ棋士の制度も根本的に変わってくるでしょう。
20年後くらい?わかんないですけど。
想像のつきにくいことだとは思いますし、でもだからこそ、
20年先を予測するための手がかりを、今、
少しでもかき集めたいなと考えています。
また、将棋分野が率先してこれからの時代に適合し
社会の中で一つの文化として存続してゆけるようなモデルを提示できたら、
それは大変画期的なことですし、
将棋に関わる全ての人にメリットが生まれる可能性があります。
+++++
そしてその時代が変わってゆく際に、
少しでも摩擦やらコストやらストレスがかからないで、
新時代の体制に段階的に移行できるための下準備を、
本当に微力ながら陰ながら、実践していきたいなと考えてます。
以上。
って、なにもわかってない大学生が偉そうに何書いてるんだぼけ!!!
って思った方には、ごめんなさい。。
すみませんです。
今、立場・意見はどうあれ一生懸命将棋の問題に取り組んでいらっしゃる方には
敬意を持って動きを拝見させていただいています。なんだかんだで毎日色々目を通してます。
そして、一人でも多くの人が少しでも満足の行く形での解決を、願っています。
それでは。。。
僕の書いた範囲の話では、
「将棋をやったら頭が良くなる」ことが論理的に帰結しないのは確かですね。
これについてはまた機会があれば書こうと思います。
noxさん>
おおむねおっしゃるとおりを存じます。
serialという単語、初めて知りました。
直列的かどうか、という見方は面白いですね。
またコミュニケーションという観点から見ると、
自分の思考を表現する際に将棋では駒を動かすのが、
例えば実社会では身振り手振りや言葉による表現だったり、
といった違いがあることも見逃せないですね。
>無記名の方
なにを以って「頭がいい」とするのかは難しいところですね。
また「いい大学」というのも同じく、
何を以って「いい」とするのかは難しいところです。
なので表現に気をつけた結果、
「偏差値的な能力の部分」
「将棋で求められる論理的思考能力」
と書きました。
>いしのひげさん
「将棋に結果(勝敗)を求めるのか、プロセスを楽しむのか」
とても大切な視点と思います。
台湾ではビジネスマンの方にお世話になり、
おいしい料理やお酒をいただきながらのんびりと
一局の将棋を指すという体験をして参りました。
それも、プロセスを楽しむ例の一つかと思った次第です。
Thank you.
私のようなへぼ将棋ファンからすれば、
人間がコンピュータに負けるのは、プロ棋士が思うほどのショックは無いような気がします。
強さを志向する棋士であればあるほど、危機感を持っていらっしゃるかもしれませんが。
へぼファンは何年も前からパソコンの将棋に勝てなくなりました。ボナンザに勝てるのはアマ強豪だけでしょう?
それでも、やはり将棋は面白いです。
強くなると、より将棋が楽しめる。けれども勝つだけが目的なのか?
将棋に結果(勝敗)を求めるのか、プロセスを楽しむのか、そこをどう捉えるかがこれからの将棋だと思いますね。
がんばってください。
ってほんとなの?
>頭の良い奴 -> 将棋が強い
どちらも正確ではないでしょう。
>>>蛇足ながら、僕の母校の将棋部ではもう10年以上にわたって、
>>>高校将棋全国大会で都代表になった部員の70%以上が現役国立大学合格、50%が現役東大合格です。)
>>>学校全体では現役東大合格は全校生徒の約20%であることを考えると、凄まじい数値です
からわかるのは,「将棋が強い」(A)と「頭がいい」(B)には相関があることだけで,因果関係は明らかではありません。Aが因でBが果かもしれないし,Bが因でAが果かもしれません。もっと複雑で,AとBには相互作用があるのかもしれません。
我田引水は避けるべきだとは思いますが,将棋が論理的思考力を培うであろうこと,それが受験にも何らかの効果をもたらすであろうことは,あながち間違いではないと思います。
ですから,この辺りを積極的にアピールしていくことは,やはり重要だと思います。
#これを書いていて思ったんですが,
#将棋で培われるのは因果関係が明白な
#直列的(serial)な思考力なのかも。
#現実社会ではしばしば,
#どちらが因でどちらが果かわからない事象や,
#相互作用のある事象を扱う必要があるけれど,
#そういった能力を養うには,
#将棋よりむしろ囲碁のほうがいいかもしれない。
#(特に相互作用系は囲碁向き?)
これは違うでしょ。勝手読み。
実際は 頭の良い奴 -> 将棋が強い ってだけ
筆者さんは相関関係についてしか書いてないですよ
灘高とかにも聞いてみたいですね。
ちなみに%の数字は、
僕の6代上の世代~5代下の世代までを
名前挙げつつ数えた数字です。
コメントありがとうございました★
高校将棋全国大会で都代表になった部員の70%以上が現役国立大学合格、50%が現役東大合格です。)
学校全体では現役東大合格は全校生徒の約20%であることを考えると、凄まじい数値です
これ、もっと喧伝したほうがいいね。
将棋→頭が良くなる、は最高に分かりやすくいアプローチですよ。
学校への普及は急務だと僕も思います。
若輩者の意見にも耳を傾けてくださいまして、
恐縮するとともに嬉しく思っております。
教育はやはり重要な要素ですよね。
とはいえ責任を持つ立場で率先して動いていくこと、
長く続いてきた組織の中で動きを興すということ、
とてもとてもエネルギーの要ることなのだろうなと拝察いたします。
コメントどうも有難うございました、今後ともよろしくです。
ただ、山内さんのようにそこまで危機感を持って真剣に考えている人が、外部だけでなく内部にもっといなければいけないはずなのに、現実は違う。
はがゆいですね。