京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京の孤高時間」

2020-03-31 09:00:26 | 時計修理

3月31日仏滅。
バカ殿が死んでしまいました。志村けんさんがあっさり死んだ。
昨夜チェロスケールの練習中、突然涙が止まらなくなりました。
昭和時代長崎の田舎でも志村けんさんの番組がありました。
京都に進学後同級生の話題についていけない田舎者でした。民放はNBC長崎放送の一局だけの時代。
父親の仕事の関係で県内を転校してそのたびにイジメにあったけどドリフターズはどこでもいっしょについてきてくれた。
志村さんがメンバー入りした年、私は19歳。国鉄湖西線の鉄道工夫で入学資金稼ぎの時代。
誰の助けも望めない孤高の時代。お互い新世界を夢見た時代でした。
今朝の朝日新聞に載っていた遺影を見ると腕にはフランクミューラー・ツゥールビヨン。
彼のセンスと経済的な大成功の人生でしたね~。合掌!

「月天心 貧しき街を 通りけり」 与謝蕪村。
今朝 仏光寺通りにある蕪村の終焉の地を通って貧乏時計師は出勤してきました。
京都産業大学のコロナ騒ぎで地下鉄はガラガラ。
今や大学全入時代なのに大学側のタラレバお粗末対応にびっくりします。それにしても不思議なことがある。
就職が直近に迫っている3月。民間企業なら事前の必須スキルの習得期間に当たる。
「中小企業診断士」「簿記一級」「会計士」「英検一級、第二外国語」などなど山積みの学習資料で追い込まれているはず。
こんな時期にのんびり海外旅行できる学生が存在したことに私もびっくり。これに対応できなかったのでしょう。

まして私の母校立命館の貧乏大学なら就職後の最低必要資金50万円程度におびえる期間になります。
馬に例えると京都大学は野生の野良馬、4年間は大学は生協だけ利用しながらどこかで生きている。
同志社は厩舎も餌もそろったサラブレッド。時折どちらの大学も立命館の馬がえさ場に集まることもある。
立命館はやせ馬・農耕馬の集まり、働いて仕事をしながら4年間行く抜く。
病気になるとその場でアウト!田舎へ帰って公務員なる。
私は何とか五回生卒、4回生で卒業できるのはよほど仕事運のいい学生なのだ。

上場企業に就職するならスーツ夏冬用に3着、カッターシャツ7枚、靴、靴下、下着などなど費用が即かかるぞ!先輩からおどされる。
給与は二か月後に支給されるのでその期間なんとかしのぐしかないのだ。それだけでも脳みそがお金のことばかりになる。
運がよかったのが嫁さんの父親の体形が私と同じでした。
「娘さんを嫁さんにください!」とお願いする前に「スーツ、靴をください!よかったら礼服も!」
なんというあつかましい息子。
なんと初出勤に靴はマレリー、スーツはオースチン・リード、カッターシャツは300番手の高級品。
いきなりどこぞの身の丈に合わないおぼっちゃまスタイルに同志社大学卒に間違えられてしまう。
京都は着倒れの街。京都美人を嫁さんにもらうと自動的に義父のキモノがついてくるのじゃ~よ~。

京産大・のんびり学生のコロナ感染ゼミは教育学部か就職先が公務員ゼミではないか?
銀行金融関連企業、メーカー勤務なら今時地獄の季節のはず。
お気の毒ですが今の苦労は30歳になったら役に立つよ!

新聞では「事前にもっと厳しく指導しておけばよかった!」学長が言うタラレバは悲しい。
今や大学全入時代でゆとり教育世代にびっくり、おろおろしている姿が見られるのも令和時代の特徴なのでしょう。
今回のクラスター感染では学生が悪いのではなく予測できなかった大学側の指導不足なのだと思う。

明日から4月。ブログはお休み。
工房は10時~5時まで臨時営業しています。ご利用ください。



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