チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「結びの一番のあとの大相撲/元大関魁傑関の死にあたって」

2014年05月24日 23時56分17秒 | 歴史ーランド・邪図
一昨日の結びの一番で、横綱鶴竜が関脇豪栄道に髷をつかまれて
反則勝ちとなったが、今日も結びの一番で、
横綱日馬富士が大関稀勢の里の髷をつかんで反則負けとなった。
これで、昭和30年に現在の規定が決められてから
「反則」で決した数が40例となった。

髷というと思い出すのは、
魁傑関である。先週、
元大関魁傑(かいけつ、元放駒親方、1948-2014)が
田無のゴルフ練習場で心筋梗塞の発作を起こし、そのまま息をひきとった。
魁傑は私が中学生のときに好きだった相撲取りだった。
後年、「ガチンコ」という言葉が一般的になったが、
当時から魁傑はきまじめなガチンコ力士として知られてた。

同じくガチンコにして親しい「阿佐ヶ谷組」の貴ノ花との対戦では、
鼻血を出すほどの熱戦で勝ったり、
高見山との対戦では髷の元結が切れて月代丸出しの
ザンバラ髪姿で勝利したり、
大麒麟に髷をつかまれて反則勝ちしたり、
印象深い取り組みが多かった力士だった。

柔道から転向したせいで、その取り組みは
柔道の決まり手みたいなことがままあった。また、
NHK泣かせの長い相撲(ガチンコだから)も多かった。とくに、
相手が若三杉・北の湖・貴ノ花・長谷川・増位山・旭國などだと、
四つに組んでからの相撲が長くなった。が、
その長い相撲がすごくおもしろかった。
柔道の決まり手および長い相撲のいずれでもある名勝負が、
昭和53年3月大阪場所7日め、再度平幕に堕ちてたときの
対大関旭國戦だった。ともに引退の一年前30歳の老体である。
魁傑は前日にも、横綱になる二場所前の全盛期の24歳の
大関若三杉と6分35秒の水入り大相撲を取って負けてた。
旭國との対戦は二度の水入りとなり、
結びの一番が行われたあとに10分をおいて取り直しとされた。
立ちあいに旭國が蹴手繰りに出てはやく勝負がつくかと思われたが、
魁傑がそれを見透かしてまた左がっぷり四つになり勝敗がつかない。
しびれをきらした旭國が左内掛けに動いて重心が上がったところを
魁傑は両手を引きつけて寄る。旭國がこらえるところを
魁傑は左差しを離して旭國の左腋にあてがって腰をひねり
強烈なすくい投げを放ったのである。すると、
ついに旭國の体は土俵に叩きつけられた。
これはまさしく柔道の体重移動を利したすくい投げそのものだった。

合計10分19秒。通常、
NHKの放送は18時できっかり終わるのだが、このときばかりは
打ち出しが18時20分で、放送は18時23分まで延長された。
土曜の大入りのマナーの悪い大阪体育館には
歓声と怒号と座布団が飛び交ったのだった。
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