池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

空間の歴史(23)

2019-01-26 15:35:52 | 日記
扉を開けると、すぐに変化に気が付いた。
玄関に置いてあった七宝の花瓶と壁にかけてあった版画がない。
靴箱を開くと、妻のヒールやブーツなどがすべてなくなっていた。

居間にいくと、妻が持ち込んだ大型ディスプレイとソファが消えており、代わりに、押入にしまってあったテレビと古い長椅子が置いてある。
窓のカーテンも、昔使っていたものに代わっている。まるで独身時代の部屋に逆戻りしたようだ。
キッチンの食器棚からは、妻の茶碗、グラス、箸などがごっそりなくなっていた。

つまり、部屋から、「妻の要素」がすべて消えていた。

自分の部屋を開けると、そこは一週間前とまったく同じだった。
バッグを床におろし、ベッドに身体を放り投げる。

これは、いったいどういうことなのだ? 妻が家出をしたということか? いや、家出ではない、これは完璧な離婚宣言だ、自分の所有物をすべて持ち出したのだから。
それにしても、書き置き一つ残さずに出ていくのは、まったく妻らしくない。自分の意見や感情は、いつもはっきり口にするタイプだったからだ。

一週間前の口喧嘩がよくなかったのか? しかし、口喧嘩くらいなら、これまでたくさんやってきた。あのとき、私は多少激高したかもしれないが、手を挙げることもなかったし、物を壊したわけでもない。
いつも違っていたのは、息子のことが話題になったことだけだ。しかし、前妻との間にできた子供のことが、妻に離婚を決意させるほどの大問題だとは考えられない。

私は頭を抱えた。何が何だか、わからない。私の認識と周囲とが微妙にずれている気がする。

その時、居間から機械音が届いてきた。どこかで聞いたことにある音だが、と思いながら居間に戻る。
音の発信源は、キッチンのカウンターに置かれた固定電話だった。
ずっと携帯電話ばかり使っていたので、家の中に固定電話があったことすら忘れていた。

かけてきたのは、きっと妻に違いない。
一度深く息を吐き、心を落ち着かせてから受話器を取った。

電話線の向こうにいたのは妻ではなかった。
私に報告書を渡してくれた興信所の調査員だった。
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