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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12月8日・クリスティーナ女王の自由

2015-12-08 | 歴史と人生
12月8日は、真珠湾攻撃の日(1941年)だが、スウェーデンの女王クリスティーナの誕生日でもある。

クリスティーナは、1626年12月8日、スウェーデン王室に生まれた(現代のグレゴリオ暦だと日付が異なる)。彼女の父親は、「北方の獅子」と呼ばれたグスタフ2世アドルフ王で、王は軍事力を整備してポーランドと戦い、ドイツ(神聖ローマ帝国)を舞台にした三十年戦争に介入し、バルト海沿岸に覇をとなえて、スウェーデンの最盛期を作った英雄だった。その父親が37歳の若さで戦死し、娘のクリスティーナが女王として即位することになった。彼女が6歳のときのことである。
クリスティーナが子どものころは、宰相が政治を補佐しておこなっていた。
彼女は、本や勉強が大好きな子どもで、1日10時間勉強しても苦にならなかった。
家庭教師について、彼女はギリシア哲学やローマの歴史を学び、スウェーデン語、デンマーク語、ドイツ語、オランダ語、フランス語、イタリア語を使いこなしたという。
18歳のころからは、クリスティーナがスウェーデン女王として親政をおこなうようになる。戦争戦争の強硬策に明け暮れた父親時代の方針を彼女はあらため、周辺諸国への宥和策をとった。戦争で負かした国に対して、莫大な賠償金を要求していたところを、寛容さを見せて譲歩し、条件をだいぶゆるくして講和条約を結んだりした。
国内の一部からは、弱腰だとの批判もあったが、一面、英国や神聖ローマ帝国を相手に外交でもたくみなかけひきをし、国内の産業を保護し、学芸を奨励した。
執務のかたわら、寝る間も惜しんで本を読む学問好きだった。
22歳のころから、何度も王位をべつの者に譲ろうとして、周囲に止められてきたクリスティーナ女王は、28歳のとき、ようやく王位を従兄に譲って退位した。身軽になった彼女は、スウェーデンをでてデンマーク、ネーデルランド(オランダ)、イタリア、フランスと、ヨーロッパをめぐる旅にでかけ、途中、オーストリアで、カトリックに改宗した。そして42歳ごろローマに居を定め、ローマ教皇と親しく交際した。
カトリックとプロテスタントがヨーロッパ中で対立していた時代に、クリスティーナはそのあいだで苦しんだ。彼女はカトリックに改宗したとはいえ、人々の信仰の自由を尊ぶ自由人だった。ルイ14世が、プロテスタントの信者にもカトリック教徒と同様の権利を与えることを認めたナントの勅令を取り消そうとしたときには、クリスティーナは王を批判する手紙を書いた。あるいは彼女は、友人である教皇を動かして、ローマにいるユダヤ人たちへの差別をなくさせた。
 元女王クリスティーナは1689年、細菌性の肺炎にかかり、ローマで没した。62歳だった。

グレタ・ガルボ主演の映画「クリスチナ女王」が自分は大好きで、ガルボが演じる気さくで、男勝りで、本好きで、平和主義者で、人民の味方で、王位をぽんっと捨てて、恋に生きる道を選んでしまう女王が、自分が思い描くクリスチナ女王である。
王位というのは、王族の兄弟姉妹がたがいに毒を盛りあってまでして手に入れようとする地位だが、17世紀のヨーロッパの王族に、こんなに権力に執着しない、庶民や外国を思いやる心と頭をもっていた人物がいたとは驚きである。
(2015年12月8日)



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