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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月5日・ニール・アームストロングの一歩

2024-08-05 | 歴史と人生
8月5日は、仏国の作家、モーパッサンが生まれた日(1850年)だが、宇宙飛行士のニール・アームストロングの誕生日でもある。はじめて月を歩いた人である。

ニール・オールデン・アームストロングは、1930年、米国オハイオ州のワパコネタで生まれた。父親は州の役人で、頻繁に転勤していたため、家族はよく引っ越しをした。ニールは3人きょうだいのいちばん上で、下に弟と妹がいた。
ボーイスカウトとしていく度も表彰されたニールは、大学で航空工学を専攻した。彼は、2年間大学で学び、3年間軍隊に勤務し、また復学して2年間大学へ行けるという奨学金を受けていて、18歳で海軍に入り、パイロットとなった。朝鮮戦争では78回出撃した。朝鮮半島上空を飛行中、対空砲火を浴びて被弾し、墜落する機からパラシュートで脱出、味方のジープに拾われるという体験もした。
3年の軍務の後、彼は除隊し、大学にもどり、25歳で卒業した。
卒業後は、海軍にもどり、ジェット機やロケット機のテストパイロットとなった。テストパイロット時代には、機体があわや空中分解しそうになる、あるいは、高度63キロメートルの成層圏外で機が制御不能になるといったトラブルに見舞われたこともあったが、アームストロングは冷静に対処し、生き延びた。
31歳のころ、彼は宇宙飛行士の募集に志願し、宇宙飛行士となった。
訓練を積んだ後、35歳のとき、ジェミニ8号の船長となり、宇宙へ飛び立った。このときは機械の故障のため、船体が1秒に1回転するというトラブルが発生したが、ニールは訓練の手順通り対処し、無事地球へ帰還した。
1969年7月、38歳のとき、アポロ11号の船長として、アームストロングは月へ向けて出発した。ロケットで打ち上げられたアポロ11号は、出発後4日ほどで月に到着し、月の周回軌道をまわる司令船にコリンズ宇宙飛行士を残し、アームストロングとオルドリン宇宙飛行士は月面着陸機で降下し、月に降り立った。このときアームストロングは、
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。(That's one small step for a man, one giant leap for mankind.)」という有名なコメントを地球に向けて発信した。
彼らは2時間半ほど月面で作業した後、月面着陸機に引き上げた。その際、宇宙服がひっかかって、ロケットエンジンのスイッチをこわしてしまい、オルドリンはボールペンの先でスイッチをずっと押しつづけ、それで司令船にもどられたという。
彼らはまた4日ほどかけて地球に帰ってきた。3人の宇宙飛行士は、ウイルスなどを持ち帰っていないか18日間隔離され、検査された後に解放された。
英雄となったアームストロングは、米国内をはじめ、世界各国に凱旋ツアーにとびまわり、39歳のときには来日して文化勲章を受賞した。
宇宙飛行士を引退し、大学で教鞭をとったり、企業に誘われて広告に顔を出したり、航空宇宙局の事故調査委員を務めたりした。政党からの誘いは断りつづけた。
2012年8月、心臓手術を受けた際の合併症のため、没した。82歳だった。

アームストロングの経歴を見ると、よくぞ80年以上も生き延びたと思うくらい、空の上で多くのトラブルに見舞われていて驚かされる。おそらく技術、度胸が運を引き寄せた。神に愛された人である。
(2024年8月5日)



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