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著書『芸術家たちの生涯』
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『ねむりの町』ほか

8月13日・フィデル・カストロの重荷

2024-08-13 | 歴史と人生
8月13日は、米国の女性運動家、ルーシー・ストーンが生まれた日(1818年)だが、キューバ革命を成功させたフィデル・カストロの誕生日でもある。

フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルスは、1926年キューバ東部のオルギン州の農場で生まれた。フィデルの父親は、スペインのガリシア地方の貧農の出身で、キューバの独立戦争にスペイン兵としてやってきて、移住してきた一世だった。父親はキューバで砂糖きび栽培に成功し、9人の子どもをもうけた。そのひとりがフィデルだった。
24歳でハバナ大学を卒業したフィデル・カストロは、弁護士をへて、下院議員に立候補した。しかし、そのときクーデターが起き、選挙が無効になった。米国の後押しを受け、クーデターを起こしたフルヘンシオ・バティスタ将軍は、大統領になると、庶民をないがしろにし、米国資本やマフィアを優遇し、私服を肥やす独裁政治をはじめた。
カストロは武力闘争によるバティスタ政権打倒を決意。軍の兵舎を襲撃して刑務所に服役した。釈放後、メキシコに身をひそめていたとき、知り合ったチェ・ゲバラとともにキューバに侵入し、一時は絶望的のふちへ追いこまれながらも、約2年間にわたるゲリラ戦を戦い抜き、ついにバティスタ大統領を国外逃亡させ政権を奪取。1959年、キューバ革命を成し遂げた。32歳のカストロは最高指導者となり、社会主義体制を敷いた。
ケネディ政権によるピッグス湾事件など、米国側による謀略や経済封鎖、または米CIAによる百回以上もの暗殺計画など、つねに国と自身を危険にさらされながら、貧しいキューバ人民に家の支給、教育や医療費の完全無料化などを実施し、国民の識字率を百パーセント近くまでに上げるなど、キューバの指導者として活躍した。
79歳のとき、ゲリラ時代からの戦友である弟に国家評議会議長の権限を移譲し引退。84歳ですべての公職から身を引き、完全に引退した後、2016年11月に没した。90歳だった。

ゲバラとカストロはよく比較される。カストロより2歳年下のゲバラは革命後、カストロ新政権の閣僚となったが、しだいに政権に対して批判的になり、たもとを分かち、アフリカや南米での次なる革命のために出国した。ゲバラはその後、潜入先のボリビアでゲリラ戦を展開中、米国と通じた政府軍に捕まり、処刑された。39歳だった。
一方、カストロはキューバに残り、経済封鎖や誹謗中傷のデマゴーグなど、となりの大国・米国のいやがらせにあいながらも、屈せず、キューバ政治を背負いつづけた。

「独裁政権はかならず腐敗する」とは定説である。ルーマニアのチャウセスクも、イラクのフセインも、北朝鮮の代々の金将軍様も、みんな私腹を肥やし、血縁者を優遇して、庶民の生活とはかけ離れた王さまのような暮らしをしていた。
しかし、カストロは、親族をひきたてなかったし、彼の子息など、かなり質素な暮らしを強いられていた。キューバではカストロを偶像化するのが禁止されていて、カストロの銅像や肖像画などは公の場所には皆無である。遺体も永久保存されず、さっさと火葬された。
きびしい経済状況のなか、カストロは自分自身を国民に捧げた。70歳をすぎてなお睡眠3時間、毎日数百の文書に目を通し、何十件もの面会を受け、演説をし、慰問に駆けまわっていた。悲劇的な日常生活を送った独裁者だった。

無論、内実は正確にはわからない。反対派に対する言論弾圧は事実あったろう。しかし、現時点でわかっている情報の限りでは、歴代米大統領や、日本の歴代首相のほうがよっぽど傲慢な裸の王さま的である。ひょっとすると、カストロの独裁はプラトンのいう哲人政治の現出で、人類史上に出現した奇跡かもしれない。
(2024年8月13日)



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