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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月3日・ポルシェの昇降

2024-09-03 | ビジネス
9月3日は、歴史学者の家永三郎(1913年)が生まれた日だが、自動車設計者のフェルディナント・ポルシェの誕生日でもある。

「20世紀最高の自動車設計者」と称されるフェルディナント・ポルシェは、1875年、当時オーストリア=ハンガリー帝国の一部だった、チェコのマッフェルスドルフで生まれた。父親は金属細工の職人で、フェルディナントは次男だったが、兄が早く亡くなったため、跡継ぎとして期待された。彼は工業高校時代、自分で電源設備を作り、地元の街ではじめてわが家に電気の灯して見せた。父親は感心し、息子の進学を許可した。フェルディナントは17歳のとき、首都ウィーンに上京。ウィーン大学の工学部に聴講生として通いながら、電気機器メーカーで働いた。そして、元馬車メーカーに移り、まずモーターで動く電気自動車を作った。
ポルシェが作った電気自動車は、彼が25歳のときに開催されたパリ万博に出展された。その後、ポルシェはさらなる航続力、馬力を求めて、ガソリン車の開発に着手した。ガソリンエンジンを動力にして発電しながら走る自動車だった。
その後、彼はべつの自動車会社に移り、そこで目をみはる性能の新自動車を作り上げたものの、会社側と意見が衝突して辞め、べつの会社に移り、ということを繰り返した。
彼が作った自動車は、レースで圧倒的な強さを見せたが、30歳のときには、自分で設計したクルマにみずから乗りこみ、レースで優勝して見せた。
祖国オーストリア=ハンガリー帝国が第一次大戦に敗れた43歳のころ、ポルシェは安価な小型大衆車の設計を提案したが、会社側にはなかなか受け入れられなかった。
56歳のとき、ポルシェは独立し、自社では生産はせず、自動車設計とコンサルタントだけをおこなう事務所をシュトゥットガルトに開いた。このころ、ソビエト連邦のスターリンに好条件を提示されてロシアに招かれたが、悩んだ末、この申し出をことわった。
58歳のころ、ドイツでナチス党のヒトラーが政権をとると、ヒトラーの強力なバックアップのもと、ポルシェは長年の夢、小型大衆車の製造に乗りだした。そうして完成したのが「ビートル(かぶとむし)」と呼ばれたフォルクスワーゲン・タイプ1だった。
ヒトラー政権が戦争をはじめると、いやおうなくポルシェもそちらへ引きずりこまれ、戦中は自動車開発のほかに風力発電機、サーチライト用エンジン、戦車の設計などの仕事も手がけた。
敗戦後は、ポルシェはナチス・ドイツに多大な貢献をした事実をとがめられ、財産を没収され、フランス中部のディジョンの刑務所に収監された。監獄にいたポルシェは、面会にきた自動車会社ルノーに求められ、自動車設計のアドバイスを与えたという。
息子が100万フランの保釈金を積み、収監2年後の72歳のとき、弱ったからだで釈放された。
息子のフェリー・ポルシェが作った、小型スポーツカー「ポルシェ356」の完成を見た後、1951年1月、脳卒中のためシュトゥットガルトで没した。75歳だった。

以前、ポルシェ924に乗っていた。924ほかの一部車種のポルシェの後部シートはあってないようなもので、とても乗れたものではないけれど、それでもなお、ポルシェはあるクルマの最高峰である。911、928、ポルシェはどれもいい顔をしている。
(2024年9月3日)



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