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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月31日・青木功の人間観

2024-08-31 | スポーツ
8月31日は、教育者マリア・モンテッソーリが生まれた日(1870年)だが、プロゴルファー、青木功(あおきいさお)の誕生日でもある。

青木功は大戦中の1942年、千葉の我孫子で生まれた。生家は小さな畑をもつ貧しい農家だった。家族のなか、ひとりだけからだが大きかった功は、元気な田舎のわんぱく少年で、中学時代には百メートルを11秒台で走った。理科と数学が得意だった青木は、家庭の経済的事情から高校進学をあきらめ、地元のゴルフクラブのキャディになった。その時点で、ゴルファーになろうとはまったく考えていなかった。それが、ゴルフバッグを背負って見ているうち、プロゴルファーの仕事がお金になるらしいと知った。彼は人のクラブを借りて、見よう見まねでゴルフを練習しはじめた。
父親に、当時は高級品だったゴルフクラブを買ってもらい、19歳のとき、はじめてプロテストを受けた。惨憺たる結果で、青木は酒を飲んで荒れた。
22歳のとき、再挑戦した2度目のプロテストで合格。
しかし、プロの資格を得てからも、長らく泣かず飛ばずが続いた。トーナメントに出場しても、予選が通過できない。自分にはゴルフの才能がないのではないかと泥酔し、二日酔いになり、さらに自己嫌悪におちいる日々が続いた。
3年続けて予選落ちしていた関東プロの大会に4年目ではじめて予選通過し、本戦に出場。そして、28歳のとき、同じ大会で優勝し、プロ入り7年目で初優勝を果たした。
その翌年の同大会で、ゴルフ人気を一身に背負っていたスーパースター「ジャンボ」尾崎将司と同点でプレーオフとなり、この一騎討ちを制して2勝目をあげ、青木功の名は一気に有名になった。
38歳の年には、全米オープンで「帝王」ジャック・ニクラスと4日間いっしょにラウンドして死闘を繰り広げた。結果、ニクラウス優勝、青木2位と敗れたが、その名を世界に知らしめた。
41歳の年に、米ハワイアン・オープンと、欧州のヨーロッパオープンに優勝。
47歳の年に、豪州コカ・コーラクラシックに優勝し、世界四大ツアー (日米欧豪) 優勝を達成。その後も、年配者向けのシニアツアーやゴルフ解説者として活躍している。

以前、テレビの英語番組に出演した青木功が、英語がほとんどわからないと告白し、こんな風に言っていた。
「こんなときは、ナイス・トゥ・ミーチュとか言うんだろう?」
あれで、ジャック・ニクラウスと和気あいあいと交際し、オーストラリアのグレッグ・ノーマンの家に泊まりに行く。人間・青木の偉大さである。

彼の味わい深い人間観がうかがわれる発言がある。青木功はこう言っている。
「人間というものが、過去の教訓に学んであまりに早く自己改造をして、お利口になっていってしまったのでは、世の中、賢人ばかりになってひとつもおもしろくないのではないか。そう思うのだ。いつまでたっても利口になれず、同じ過ちを繰り返しておれは馬鹿かと悩んだり、いくら努力してもひとつもうまくいかずに自分の才能に疑いを抱いたりするからこそ、人間は人間なのではないだろうか」(『青木功 ゴルフ自伝』小学館文庫)
(2022年8月31日)



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