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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5/7・「エビータ」エバ・ペロンの有能

2013-05-07 | 歴史と人生
5月7日は、昭和天皇をして「美濃部博士の言う通りではないか」と言わせしめた天皇機関説の美濃部達吉が生まれた日(1873年)だが、アルゼンチン国民のヒロイン「エビータ」こと、エバ・ペロンの誕生日でもある。
自分がエビータの名前をはじめて知ったのは、彼女の生涯をモデルにしたミュージカル「エビータ」の劇中挿入歌「アルゼンチンよ、泣かないで (Don't Cry for Me, Argentina)」によってだった。とても美しいメロディで、耳に残った。
アルゼンチンの大統領夫人、エビータが、病気で死期が近づいた折、国民に向かって、
「アルゼンチン人よ、わたしのために泣かないで」
と歌いかける悲しい歌である。

「エビータ」の愛称で親しまれるマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロンは、1919年、アルゼンチンのロス・トルドスで生まれた。母親は25歳の未婚女性で、父親はべつに妻子のある家庭をもつ農場主だった。つまり、エバは、不倫の愛人が産んだ私生児だった。エバが7歳のとき、父親が亡くなり、未亡人となった正妻からうとんじられ、エバ母子は貧困の底へ突き落とされた。
エバは、15歳のとき、家出をして、首都ブエノスアイレスに出た。彼女は、水着のモデルなどをした後、しだいに仕事の幅を広げ、ラジオドラマの声優、映画女優として活躍しだした。
24歳のころ、出席したパーティーで、軍人のフアン・ドミンゴ・ペロン大佐に出会い、恋仲になった。ペロン大佐は、当時のアルゼンチン軍事政権の副大統領を務める大物で、最初の妻と死別し、独身だった。彼女はラジオを通じて、彼のために政治宣伝活動をおこない、二人は貧困層を中心に大きな支持を得るようになった。
第二次大戦集結の年である1945年の10月、米国の支援を受けた将軍によるクーデターが起きた。将軍はアルゼンチンの政権を奪取し、ペロンは逮捕、拘束された。このとき、エバはラジオを通じて、人々に抗議のデモを呼びかけ、その抗議運動の高まりに屈して、将軍は政権を放棄し、ペロンは拘束後4日目に釈放された。
釈放されるとすぐに、ペロンとエバは結婚。盛り上がる貧困層の圧倒的な人気を背景に、ペロンは翌年の大統領選挙で当選した。ここに、エバ大統領夫人が誕生。極貧の私生児だった、ろくに学校も出ていない娘が、26歳にしてファーストレディーの地位にのぼり詰めたのである。
夫のペロン大統領は、賃上げなど労働者の労働環境を改善し、女性に参政権を与え、外資企業を国有化する政策を打ちだす一方で、自分に反対する者に対してはきびしく取り締まり、逮捕して強制収容所に入れ、独裁者として君臨した。
一方、ファーストレディとなったエバは、慈善団体「エバ・ペロン財団」を設立し、労働者用の住宅、孤児院、養老院などの施設を整備し、ミシン、毛布、食料などの生活物資を配布して、貧しい労働者階級からのペロン政権と彼女自身の人気を圧倒的なものにした。
上流階級、知識人層、保守層などからは、彼女は「成り上がり者」「商売女」などと非難も浴びた。
28歳のときには、大統領夫人として、ヨーロッパを歴訪し、各国の元首と交流し、国家間の関係改善をはかった。
アルゼンチンは、経済状況がなかなか改善されないなか、「エビータ人気」だけは変わらず高かった。そんななか、彼女が子宮ガンにかかっていることが発覚し、1952年7月に没した。33歳の若さだった。首都ブエノスアイレスでおこなわれた葬儀には数十万の市民が参列した。

自分は、マドンナが主演した映画「エビータ」を観た。思えば、マドンナも、道ばたに落ちいてるフライドポテトの袋を拾って食べ、ヌードモデルなどをしてその日をしのぐ生活から、強烈な意志をもってはい上がり、世界的スターに成り上がった女性で、「エビータ」エバ・ペロンと似通っている部分がある。おそらくマドンナ自身もこの役を演じるにあたっては、そうとうな思い入れがあったにちがいない。マドンナ自身、美しく、脂の乗りきった勢いのあった時期で、演技に迫力があった。彼女の歌う「アルゼンチンよ、泣かないで」もよかった。
この映画を観て、自分ははじめて、「アルゼンチンよ、泣かないで」がどういう意味の歌なのかを知った。

エビータの一生をざっとながめて思うのは、たくましい、ガッツのある女性の立派な生きざまだったということで、若くして燃え尽きたのが、彼女の印象を美化している部分もあるだろうけれど、やはりもっと長生きしてほしかったと残念である。
「夫のペロンを大統領にしたのは、彼女だった」
そう言っていいと思う。彼女がいなかったら、ペロンは刑務所のなかで暗殺されていたかもしれない。
そして、晴れてファーストレディとなったエビータが、大統領職にある夫の援護射撃役をになったのはとうぜんのことで、女性の参政権獲得にもすくなからず彼女の関与があったろうし、セイフティーネットとなる貧民救済活動にしても、大統領夫人として模範的な活動だったと思う。一面、彼女は高級ブランドや高価なスポーツカーが好きで、ヨーロッパでもお金をけっこうつかったようだけれど、ファーストレディーなのだから、多少は大目に見るべきだと思う。貧しい生まれの彼女が、そこまでに成り上がり、派手なドレスを着て、外国の首脳と握手している。そういう彼女の存在自体が、なによりも、アルゼンチン国民の貧しい層に、大きな希望を与えたろう。彼女の人生のどの場面の対応を見ても、みごとで、すごく有能な人だったという印象がある。
肝心の夫のペロン大統領が独裁者となり、反対派の弾圧と、外資の没収、そして、ばらまき政策と、応急手当て的な経済政策を実行したのはよかったが、中長期的な経済力を発展させる展望に欠けたのは残念だった。しかし、これはエビータの責任ではない。
かくして、エビータというのは、困難な環境から身を起こし、たいした活躍をした、すばらしい女性だった、と自分は思っている。

エビータの経歴を見ていくなかで、とくに気になったのは、上流階級からおこった、彼女に対する「成り上がり者」「商売女」という非難中傷だった。自分は、くだらない、と思った。
「皇室が民間から嫁をもらうようでは、もう日の本も終わり」
というようなことを言った皇族となんら変わらない思考停止した頭からのナンセンスな批判である。
エビータがどんな出自で、以前にどういう商売をしていようと、関係のないことである。たとえ、彼女が以前にストリッパーをしていようが、売春をしていようが、AV女優をしていようが、それは貧しかったころに生活のためにしていた仕事なのであって、それをとやかく言うのは、卑劣だし、愚劣だと思う。
「あいつは昔、からだを売って稼いでいたんだよ」
「あいつは昔、力仕事をして働いて稼いでいたんだよ」
「あいつは昔、パソコンで仕事をしていたんだよ」
これらはいずれも、ものすごく恥ずかしいことのような気もするし、かつてはそういう苦労をしたのだと解釈すれば、ものすごく美しくも感じられる。
人生で問題なのはつねに、「いま」そして「これから」なのだと考えたい。
(2013年5月7日)



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『5月生まれについて』(ぱぴろう)
エビータ、エマーソン、マキャヴェリ、フロイト、クリシュナムルティ、ロバート・オーウェン、ホー・チ・ミン、バルザック、ドイル、中島敦、吉村昭、西東三鬼、美空ひばりなど、5月生まれ31人の人物論。ブログの元になった、より長く深いオリジナル原稿版。

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