1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月7日・ゴーギャンの目

2017-06-07 | 美術
6月7日は、ミュージシャンのプリンスが生まれた日(1958年)だが、画家ゴーギャンの誕生日でもある。

ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャンは、1848年、仏国パリで生まれた。1848年は、仏国で王政をひっくり返した二月革命があった年で、その後、第二共和制樹立、ルイ・ナポレオン(ナポレオン三世)の登場へとつながってゆく、そんな時代だった。
ウジェーヌの父親はジャーナリストだったが、ウジェーヌが1歳半のころ、ゴーギャン一家は、政変による危険から身を守るため、南米ペルーへ脱出した。父親は航海の途中で没し、残された母子はペルーの親戚のもとに身を寄せて、そこで4年間暮らした。ペルーで見た現地のデザインの服や、インカ時代の陶器が幼いゴーギャンに強い印象を残した。ゴーギャンたちの家族は、7歳のとき、仏国パリへもどった。
神学校を出た後、ゴーギャンは航海士などをへて、株式の仲買人になった。
25歳のとき、デンマーク人の女性と結婚し、その後10年のあいだに5人の子どもをもうけた。36歳のころ、彼ら一家はデンマークへ越していき、ゴーギャンはそこで防水布のセールスマンとなったが、彼はデンマーク語が話せず、一年後には家族と別れて、ひとりパリへもどっていった。
セールスマン稼業から一転して画家を目指したゴーギャンは、40歳のころ、意気投合した画家、ゴッホといっしょに南フランスのアルルで9週間共同生活を送り、絵を描きつづけた。強い個性をもつ二人は、しだいに意見を衝突させるようになり、ゴッホが自分の耳を切り落とす事件が起きるにいたって、ついに二人は決裂した。
西洋文明に絶望したゴーギャンは、43歳の年に、太平洋になる仏領の島、タヒチへ渡った。現地で病気に苦しんだゴーギャンは、いったん仏国へ帰国したが、描いた絵が売れず、人間関係もうまくいかず、47歳のころ、ふたたびタヒチへもどった。そして困窮した暮らしのなかで絵を描きつづけた後、1903年5月に没した。55歳だった。

近年になってようやくゴーギャンに追いついた。
年をとったせいか、もはや、色がきれいだとか、絵が上手だとかいうのは、どうでもよくなり、それ以外のものを絵画に求めるようになってきたのか。

ゴッホが自然を見つめ、写生しようとしたところ、ゴーギャンは、ものを見ずに、想像で描けとゴッホに勧めた。外のものに惑わされるな、内なるものに目を向けよ、と。ゴーギャンは、外からの雑音に耳を貸さず、自分のなかに眠る本能の声だけに耳を傾け、その声に忠実にしたがって生きた人だった。
ゴーギャンは言っている。
「わたしは目を閉じる、見るために」
(2017年6月7日)



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