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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2月4日・ベティー・フリーダンの難行

2018-02-04 | 歴史と人生
2月4日は、米国の人権運動家ローザ・パークスが生まれた日(1913年)だが、米国の女性運動家ベティー・フリーダンの誕生日でもある。

ベティー・フリーダンは、一九二一年二月四日、米国イリノイ州のピオリアで生まれた。両親はロシア、ハンガリーからやってきたユダヤ人移民で、父親はピオリアで宝石店を経営し、母親は新聞の社会欄の記事を担当していた。
マサチューセッツ州の名門女子大学スミス・カレッジに進み、新聞部の編集長を務めた彼女は、心理学を修め、二一歳のとき、首席で同校を卒業した。
卒業後、西海岸のカリフォルニア大学で、「アイデンティティ」の概念で有名なエリク・エリクソン博士のもとで学んだ。
その後、フリーダンは専業主婦におさまった。
子どもを出産し、雑誌に記事を投稿するフリーランスのライターとなった彼女が三六歳のとき、スミス・カレッジの同窓会が開かれた。フリーダンは一五年ぶりに会った高学歴の同窓生たちたちのほとんどの者が自分と同じように、郊外に住むハウスワイフにおさまり、自分の現状に不満を感じているということを発見した。
それから5年をかけてフリーダンは米国の中流家庭の女性像について調査研究を重ねた。そして四二歳のときに『新しい女性の創造(The Feminine Mystique)』を発表。現代女性がおかれた環境を説明し、既成概念によって作られた「女性らしさ」の欺瞞をあばいた。さらに、男性と女性が平等のパートナーとなるべきことを説き、女性の社会的自立は、異性との恋愛関係や子どもの出産・養育と両立可能だとした。
フリーダンのもとには、共感した全国の読者からの手紙が殺到した。
この本は二〇世紀でもっとも強い影響を与えた本のひとつとされ、一九六〇年代からのウーマン・リブ(The women's liberation movement 女性解放運動)の原点となった。
一九六六年、四五歳だった彼女は、同志たちとNOW(National Organization for Women 全米女性機構)を創設。フリーダンがNOWの初代会長に就任した。
NOWは、女性の地位向上や権利獲得のための宣伝、ロビー活動を展開し、性差別の撤廃、男女平等の雇用機会や賃金の保証、妊娠による解雇でなく出産休暇をと訴え、これを推し進める法改正や法案の議会提出を政府に迫った。
また、NOWは、それまで職場での差別に対して無力だった女性たちを組織化して、性差別によらない昇格人事を訴えて企業側と交渉した。
フリーダンはグロリア・スタイネムやほかの女性団体と共闘を組みながら、さまざまな女性運動を指揮した。男女平等を訴えるストライキを呼びかけて決行し、連邦最高裁判所の判事にアンチ・フェミニスト(反女権拡張主義者)がいるのを見つけると、上院議会に訴えてこれを左遷させ、また、女性の中絶する権利獲得のために発言を続けた。
ベティー・フリーダンは、心不全のため、二〇〇六年二月四日、彼女の八五歳の誕生日に、ワシントンDCで没した。

長いものに巻かれる日常生活に疑問をもち、行動を起こすことは、頭ではわかっても、実際には至難の業である。ベティー・フリーダンは、それをした人だった。
(2018年2月4日)


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