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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月11日・アリス・ポールの女性参政権

2016-01-11 | 歴史と人生
1月11日は、女優、深津絵里が生まれた日(1973年)だが、女性運動家アリス・ポールの誕生日でもある。

アリス・ストークス・ポール(Alice Stokes Paul)は、1885年、米国ニュージャージー州のマウント・ローレルで生まれた。彼女の一家はクエーカー教徒(友会徒)だった。クエーカー教では、人間はすべて平等であり、有色人種も男女も平等に扱われる。こうした環境で育ったことが、彼女のその後の人生に大きく影響を与えた。とくに、アリスの母親は全国女性参政権協会(NAWSA)のメンバーで、子どものころからアリスは、母親から女性参政権についてよく聞かされていた。
アリスははじめソーシャルワーカーを目指したが、やがてに自分が目指す道は社会福祉家ではなく、社会改革だと気づいた。
22歳でペンシルベニア大学を終了した後、彼女は英国へ渡り、バーミンガムでソーシャルワーカーとして働きながらクエーカーの研究施設で学んだ。
英国時代、ポールは過激な女性運動組織・婦人社会政治同盟(WSPU)に合流し、デモをおこない、警官隊と揉み合いながら演説会を開き、首相や閣僚が出席した晩餐会場のステメドグラスの窓に靴を投げつけ壊すなどして婦人参政権を訴え、ポールは七度逮捕され、刑務所でハンガーストライキを強行し抵抗した。
25歳のときに帰国すると、ポールはNAWSAに参加し、全国女性連盟(NWP)を立ち上げ、母国アメリカでも女性参政権を訴えだした。
28歳のときには首都ワシントンDCに8000人を動員してデモ行進をおこない、その後も、ホワイトハウスの前に「女性参政権」「女性に自由を」と訴える看板を掲げた女性たちによるピケを張り、逮捕、投獄されてはハンガーストライキをおこなった。ポールたちはひどい迫害や虐待にあったが、ひるまなかった。
第一次世界大戦の戦前、戦中を通じて、ホワイトハウス前に陣取る、銅像にのぼる、フェンスにのからだをくさりでつなぐ、投獄されてもなお運動をやめないなどの彼女らの示威行動がついに実を結び、1919年、参政権の性差別を撤廃する憲法修正第19条が成立し、ここに米国人女性の参政権が認められた。
米国女性運動家たちの長年の悲願を達成したアリス・ポールは、1977年7月、脳卒中のため、ニュージャージー州のムアズタウンで没した。92歳だった。

日本女性に参政権が認められたのは、太平洋戦争後、米軍を中心とする占領軍の政策によってであり、日本の男性と女性が話し合って自分たちで決めたことではない。敗戦がなければ、日本女性はいまだに選挙権をもたなかったかもしれない。
すると、アリス・ポールは、日本女性の恩人である。
現代の日本女性が、自分たちが手にしている権利に、それほどありがたみを感じているとも思われないけれど。
(2016年1月11日)


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