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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月20日・ニコール・キッドマンの運

2019-06-20 | 映画
6月20日は、世界難民の日(World Refugee Day)だが、ハリウッド女優ニコール・キッドマンの誕生日でもある。

ニコール・メアリー・キッドマンは、1967年、米国ハワイのホノルルで生まれた。両親は、オーストラリア人で、彼女が生まれたとき、学生ビザでハワイに留学していた。父親は臨床心理士で、母親は看護学の教師である。ニコールは、2人姉妹の姉で、スコットランド系とアイルランド系の血を受け継いでいる。米国生まれのオーストラリア人であるため、彼女はどちらの国の市民権も獲得できるらしい。
4歳のとき、オーストラリアへ渡ったニコール・キッドマンは、とても恥ずかしがり屋の子どもで、しゃべるとき吃音があったという。吃音はしだいに克服したが、成長し、大女優となった現在でも、大勢の人でにぎわう場所へひとりで行くのは苦手だという。
3歳のころからバレエを習っていたキッドマンは、16歳のときに映画デビュー。映画のほかテレビドラマにも出演し、21歳のとき公開された映画「デッド・カーム/戦慄の航海」で注目され、これをきっかけに米国のハリウッドへ進出した。
23歳のとき、「デイズ・オブ・サンダー」で共演した映画俳優のトム・クルーズと結婚。結婚後も、巨匠スタンリー・キューブリック監督の映画「アイズ・ワイド・シャット」に夫婦で主演して話題をまいたが、この映画が公開された後、34歳のとき、クルーズとは離婚。39歳のとき、カントリー・シンガーと結婚した。
映画作品はほかに「誘う女」「ある貴婦人の肖像」「ムーラン・ルージュ」「奥さまは魔女」「オーストラリア」などがある。
映画界での活躍と並行して、27歳のときからUNICEF(ユニセフ、国際連合児童基金)の親善大使として紛争地帯の子どもの救済に従事し、また、39歳のときから4年間、UNIFEM(国際連合婦人開発基金)の親善大使として、女性の地位向上にも貢献している。

ニコール・キッドマンは、トム・クルーズと結婚していたころまでは、ただのきれいな一映画女優にすぎなかったが、クルーズとの離婚の前後から女優として急に成長し、存在感のある大女優になった。

ニコール・キッドマンはインタビューで「アイズ・ワイド・シャット」の撮影を通じて、映画製作に対する考え方が変わったと言っている。
「自分は映画芸術の純粋さに、確信をもてるようになった。キューブリック監督が、自分に教えてくれたのだ。どんなに時間がかかろうと、映画を作ることはとんでもない、すばらしいことなのだと。撮影中は、世界のすべてを忘れて没頭する。そうしてこそ、いい映画が作れるのだ、と」
「アイズ・ワイド・シャット」の撮影は、延びに延びて1年半ほどに及んだ。クルーズとキッドマンは、撮影のためにわざわざ英国へ移住し、撮影に取り組んだが、延期のしわよせで、彼らのほかの仕事の予定が大幅に狂ってしまった。そして、長い緊張の持続により、彼らの結婚も破壊された。完成した映画を、キューブリック、クルーズ、キッドマン、スタッフの4人だけで観る秘密の試写会が開かれた5日後に、キューブリック監督は没した。

関わった人の運命を大きく変えてしまう芸術作品は、まれにある。それに出会えるか出会えないかは、その人の運による。
(2019年6月20日)


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