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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月19日・太宰治の文才

2019-06-19 | 文学
6月19日は、「人間は考える葦である」と書いたパスカルが生まれた日(1623年)だが、作家、太宰治の誕生日でもある。

太宰治は、1909年、青森県の津軽で生まれた。本名・津島修治。実家は、地元でも有名な大地主だった。11人きょうだいの10番目の子だった。
13歳のとき、父が没した。
十代のころから小説を書き、同人誌に発表していた彼は、上京し、東大の仏文科に入学したが、学生時代は授業にはほとんど出ず、放蕩生活を送り、21歳のころ、人妻と心中事件を起こし、彼だけが生き残った(殺人事件説あり)。
授業料を払わなかったため大学を除籍となった後、同人誌をへて、小説家としてデビュー。その後も、女性と心中未遂事件を起こして生還した後、1948年6月に東京の玉川上水で、愛人と入水自殺し死亡した。39歳になる直前だった。彼の遺体は6月19日に発見され、彼の短編『桜桃』にちなみ、桜桃忌と名付けられた。小説作品に『富嶽百景』『津軽』『お伽草紙』『ヴィヨンの妻』『斜陽』『桜桃』などがある。

太宰治の才能を早くから見抜き、お金を工面して同人誌を作っては、太宰の作品を載せ、太宰を中央文壇の目にとまらせようとした恩人が、作家の壇一雄(壇ふみの父親)だった。
その壇一雄と太宰治の二人が、たしか熱海だったか、温泉の旅館に長逗留したという話があった。二人は泊まったくせに、お金をもっていないので、壇が人質となって残り、太宰が東京へ行ってお金を工面してくることになった。でも、なかなか太宰が帰ってこない。そこで、人質の壇は旅館の人の了解を得て、太宰をさがしに出かけた。そうして、壇が東京の作家、井伏鱒二の家を訪ねると、太宰は井伏と縁側でのんびりと碁(または将棋)を打っていた。これがきっかけになって、有名な『走れメロス』の話ができた。この説を自分はながいあいだ信じていた。でも、ほんとうは、話のネタはべつの出所があるらしいと、近年になって知った。人間、長生きはするもので、それについては拙著『名作英語の名文句2』に書いた。

太宰は、文章世界のムンクである。強烈な、個性的な文章を書いた、文章の天才である。
太宰治の、あの文章のすみずみまで行き渡った敗北主義の作風は、ある種の人々の心を打つけれど、べつの人々には強烈な嫌悪感をもたらすので、三島由紀夫、志賀直哉、川端康成などは、その作者の品性が不健康だとして太宰作品を拒絶した。
これに対し、太宰は評論『川端康成へ』『如是我聞』などで痛烈に反論した。評論家のドナルド・キーンも、川端にも明らかに異常な不健康な傾向があるのに、太宰を不健康だと非難するのはおかしいと書いていた。

太宰にしても、三島由紀夫にしても、一代かぎりの文章の天才で、早く亡くなってしまって惜しい、と切に感じる。彼らがもっと長生きをして、70歳、80歳になったとき、どんな仙人のような文章を書いただろうと想像すると、それを読みたかった。
(2019年6月19日)



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