1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月29日・ウォルトンの商業

2018-03-29 | ビジネス
3月29日は「ノーマリゼーションの父」バンク-ミッケルセンが生まれた日(1919年)だが、米国の実業家、サム・ウォルトンの誕生日でもある。いまやスーパーマーケットの西友をも傘下におさめるウォルマートの創業者である。

サミュエル(サム)・ムーア・ウォルトンは、1918年、米国オクラホマ州のキングフィッシャーで生まれた。父親は農場をしていたが、収入がかんばしくないので、サムが5歳のころ、以前やっていた不動産ローンの仕事にもどった。
一家はオクラホマ州、フロリダ州と引っ越しを繰り返し、ミズーリ州コロンビアに落ち着き、サムは大恐慌期の少年時代をそこで過ごした。彼は牛の乳をしぼって売り歩き、新聞の運搬、雑誌講読を販売し、高校で「もっとも器用な少年」に選ばれた。
高校卒業後は、軍の予備役候補生としてミズーリ大学に入り経済学を修めた。さまざまな学生組織や学生クラブと関わり、クラスの「永久クラス長」に選ばれた。
22歳で大学を卒業すると、衣料デパート会社に就職したが、第二次世界大戦がはじまり、1年半勤務したところで退職し、軍務についた。軍隊では、オクラホマ州のタルサで弾薬製造プラント管理にあたり、このころ現地の牧場主の娘と結婚した。その後、彼は陸軍の情報隊へ移り、航空機の安全管理や戦争捕虜収容所の監督などをし、大尉まで昇進した。
1945年、終戦の年、26歳で退役したウォルトンは、軍隊時代までに貯めた5千ドルと、義父(妻の父親)から借りた2万ドルとを元手に、アーカンソー州ニューポートにあった雑貨屋を買い取り、自分の店をもって商売をはじめた。この雑貨屋は、小売業チェーンのフランチャイズ店で、ウォルトンはすぐに同じ街のべつの場所に小さな2号店をもった。
ウォルトンは、商品棚に幅広い分野の商品をそろえ、品切れがないようつねに在庫を準備した。彼の店の売り上げは3年で3倍になった。
彼は自分の店のチェーン展開化を望み、1962年、44歳のときにアーカンソー州のロジャーズにウォルマートの第1号店をオープン。以後、ある地域や路線に集中して出店していくドミナント方式により、ウォルマートを全米一のチェーン店に育てあげた。
サワム・ウォルトンは、事業のかたわら、奨学金制度の創設など慈善事業に尽力した後、1992年4月、骨髄腫のため、アーカンソー州のリトルロックで没した。74歳だった。
彼が亡くなったとき、彼の会社の社員は38万人いて、売り上げ学は約500億ドルだった。
米金融雑誌「フォーブス」が発表する世界の富豪番付で、ウォルトンは、1985年から1988年まで世界一の富豪にランクされていた。彼の没後もウォルマートは世界展開して成長を続け、2014年発表の富豪番付でもトップ20人のなかに、ウォルントンの子息やその配偶者が4人ランクインしている。

その昔、南インドで縫製品の製作販売宇会社を経営する日本人女性がしみじみ言った。
「やっぱりプロダクション(生産)より、マーチャント(商人)のほうがお金になるのよね」
ウォルマートは一軒の雑貨屋からスタートした。商品を仕入れ、売る、という商売を積み上げて、ここまでになったマーチャントである。
(2018年3月29日)



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