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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月5日・パゾリーニの過剰

2018-03-05 | 映画
3月5日は、中国の政治家、周恩来(ヂョウオンライ)が生まれた日(1898年)だが、映画監督、ピエル・パオロ・パゾリーニの誕生日でもある。

ピエル・パオロ・パゾリーニは、1922年、イタリアのボローニャで生まれた。父親は軍人で、母親は小学校教師だった。ピエルには3つ年下の弟がいた。
7歳から詩を書きだし、フランスの詩人アルチュール・ランボーに傾倒する文学少年だったピエルは、高校時代にはサッカーに熱中するスポーツ少年でもあった。大学で文学を専攻したパゾリーニは、母親から北イタリアの言語であるフリウリ語で書いた詩集を19歳のときに出版し、第二次大戦中は母親とともに疎開先のフリウリで教師となって子どもたちを教えた。
戦時中、ピエルが23歳のとき、パルチザンに参加していた弟が戦死。
戦後の25歳のとき、イタリア共産党に入党。27歳のとき、母親とともにローマの貧民街引っ越した。貧しい生活のなかで、パゾリーニは小説を書き、33歳のとき、小説『生命ある若者』を発表。イタリア・ネオリアリズムの新進作家として注目されるようになった。詩や小説きょ執筆と並行して、映画脚本も書くようになり、34歳のころには、フェデリコ・フェリーニ監督の『カビリアの夜』の脚本を共同執筆。39歳のとき、初の監督作品「アッカトーネ/乞食」で映画監督としてデビュー。以後、「奇跡の丘」「アポロンの地獄」「王女メディア」「デカメロン」「カンタベリー物語」「アラビアン・ナイト」「ソドムの市」などを撮った後、1975年11月、ローマ郊外の海岸で、パゾリーニは惨殺された遺体となって発見された。53歳だった。
当初、男色関係にあった少年による痴情のもつれによる殺人とされていたが、死後30年たった2005年になって、自首した少年が自白を翻し、じつはファシストによる謀殺で、自分が脅されていたことを告白した。

映画評論家の淀川長治が生前、こういう意味のことを言っていた。
「フェリーニやヴィスコンティは『映画の神さま』で、ゴダールやパゾリーニは『映画の悪魔』である」
「神さま」も「悪魔」も、ものすごく個性的な作品を撮る人たちなので、一般受けを求めるテレビの映画番組では、彼らの映画はめったにお目にかからない。

パゾリーニの短編小説を読んだことがある。ローマの街の貧しい人たちをリアル描いた作品で、新しい感覚のリアリズムだった。
一方、パゾリーニの映画は、彼の小説とちがって、リアルな感じがみじんもない、異常さの連続である。
「アポロンの地獄」のなか、旅人に謎をかけ、解けないと旅人を襲うスフィンクスとか、「王女メディア」の半身半馬のケンタウロスとか、マリア・カラス演じるメディアが最後、炎に包まれながら呪いのことばを吐くシーンなど、強く印象に残っている。
「奇跡の丘」のイエス・キリスト像も、あの過剰な感じがなんともいえず、説得力があった。強烈な表現をした天才監督だった。
(2018年3月5日)



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