3月8日は、ゴロ合わせで「みつばちの日」。ハチミツをどうぞ、というこの日は、マンガ家、水木しげるの誕生日でもある。「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である。
水木しげる、本名・武良茂(むらしげる)は、1922年、大阪で生まれた。父親は元銀行マンで、保険会社の社員。米軍の通訳もした人だった。茂は小さいころ、父親の郷里である鳥取の境港へ引っ越し、そこで育った。近所の「のんのんばあ」という老婦人から妖怪や物の怪の話や古い伝承を聞かされるのが大好きな少年だった。
画家志望だった茂は、高等小学校卒業の後、大阪に出て、働きながら絵の勉強をつづけた。そうして、21歳のとき、召集令状を受けて出征。陸軍の二等兵として、ラバウルの戦線で戦い、左腕を失った。
戦後は、魚屋、輪タク屋、アパートの大家などをへて、紙芝居を描きはじめ、貸本マンガ作家となり、42歳のとき、雑誌マンガ家としてデビュー。
43歳で「テレビくん」、44歳のとき「悪魔くん」がテレビアニメ化され、全国的な人気を博した。続いて、紙芝居時代から描いていた鬼太郎を主人公としたマンガ「ゲゲゲの鬼太郎」もテレビアニメ化。日本中で知らぬ者はない、妖怪マンガの第一人者となった。
水木はまた、自身の戦争体験を生かした戦記もののマンガや文章を多く書き、戦争の現実を後世に伝える努力を続けた。
晩年は、荒俣宏、京極夏彦らの崇拝者により、妖怪ものの大家として担ぎあげられ、また、妻の武良布枝が書いた自伝『ゲゲゲの女房』がテレビドラマ、映画、舞台化されたことにより、国民的なアイドルになった。
自宅で転倒して頭部を打ち、硬膜下血腫を起こした後、多臓器不全となり、2015年11月、東京都三鷹の入院で没した。93歳だった。
「ゲゲゲの鬼太郎」に親しんで育ったけれど、どちらかというと、水木しげるのマンガよりも、彼のエッセイのほうを多く読んできた。
戦争で兵隊として行かされたパプアニューギニア・ニューブリテン島のラバウルで、軍隊内ではひどい目にあいながら、現地の人々とは彼だけが親交を深め、家族のような仲になって歓待された。復員するとき、かならず帰ってくると約束して、実際に彼は戦後ふたたび訪ねた。
「僕の南方狂は少しも衰えなかった。楽園では、まちがいなく幸福度が高いのだ。生活に欲望のいたちごっこをしているブンメイの日本より、土人たちの方が幸福なのだ。」(水木しげる『ねぼけ人生』ちくま文庫)
戦争を現場で味わった経験から、戦争の悲惨さを伝えなくては、と、マンガを通して、反戦を訴えながら、一方で「人間の幸福とはなにか」というテーマをちゃんと心のなかにもって、楽園を求めつづける空想家。そういう水木しげるの感性に共感する。
(2018年3月8日)
●おすすめの電子書籍!
『しあわせの近道』(天野たかし)
しあわせにたどりつく方法を明かす癒し系マインド・エッセイ。「しあわせ」へのガイドブック。しあわせに早くたどりつくために、ページをめくりながら、しあわせについていっしょに考えましょう。読むだけで癒されるしあわせへの近道、ここにあります。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com
水木しげる、本名・武良茂(むらしげる)は、1922年、大阪で生まれた。父親は元銀行マンで、保険会社の社員。米軍の通訳もした人だった。茂は小さいころ、父親の郷里である鳥取の境港へ引っ越し、そこで育った。近所の「のんのんばあ」という老婦人から妖怪や物の怪の話や古い伝承を聞かされるのが大好きな少年だった。
画家志望だった茂は、高等小学校卒業の後、大阪に出て、働きながら絵の勉強をつづけた。そうして、21歳のとき、召集令状を受けて出征。陸軍の二等兵として、ラバウルの戦線で戦い、左腕を失った。
戦後は、魚屋、輪タク屋、アパートの大家などをへて、紙芝居を描きはじめ、貸本マンガ作家となり、42歳のとき、雑誌マンガ家としてデビュー。
43歳で「テレビくん」、44歳のとき「悪魔くん」がテレビアニメ化され、全国的な人気を博した。続いて、紙芝居時代から描いていた鬼太郎を主人公としたマンガ「ゲゲゲの鬼太郎」もテレビアニメ化。日本中で知らぬ者はない、妖怪マンガの第一人者となった。
水木はまた、自身の戦争体験を生かした戦記もののマンガや文章を多く書き、戦争の現実を後世に伝える努力を続けた。
晩年は、荒俣宏、京極夏彦らの崇拝者により、妖怪ものの大家として担ぎあげられ、また、妻の武良布枝が書いた自伝『ゲゲゲの女房』がテレビドラマ、映画、舞台化されたことにより、国民的なアイドルになった。
自宅で転倒して頭部を打ち、硬膜下血腫を起こした後、多臓器不全となり、2015年11月、東京都三鷹の入院で没した。93歳だった。
「ゲゲゲの鬼太郎」に親しんで育ったけれど、どちらかというと、水木しげるのマンガよりも、彼のエッセイのほうを多く読んできた。
戦争で兵隊として行かされたパプアニューギニア・ニューブリテン島のラバウルで、軍隊内ではひどい目にあいながら、現地の人々とは彼だけが親交を深め、家族のような仲になって歓待された。復員するとき、かならず帰ってくると約束して、実際に彼は戦後ふたたび訪ねた。
「僕の南方狂は少しも衰えなかった。楽園では、まちがいなく幸福度が高いのだ。生活に欲望のいたちごっこをしているブンメイの日本より、土人たちの方が幸福なのだ。」(水木しげる『ねぼけ人生』ちくま文庫)
戦争を現場で味わった経験から、戦争の悲惨さを伝えなくては、と、マンガを通して、反戦を訴えながら、一方で「人間の幸福とはなにか」というテーマをちゃんと心のなかにもって、楽園を求めつづける空想家。そういう水木しげるの感性に共感する。
(2018年3月8日)
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