1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月21日・アルフレッド・ノーベルの陰影

2017-10-21 | 科学
10月21日は、あかりの日。1879年のこの日、米国の発明王エジソンが日本の京都産の竹を使って白熱電球を作った。10月21日は、『ゲド戦記』を書いたル=グウィン(1929年)が生まれた日だが、ダイナマイトを発明したノーベルの誕生日でもある。

アルフレッド・ベルンハルド・ノーベルは、1833年、スウェーデンのストックホルムで生まれた。父親は建築家、発明家だった。4人目の子どもとして生まれたアルフレッドは未熟児で、生涯からだの弱さをひきずっていた。
アルフレッドは、少年時代は詩人志望で、語学に秀で、スウェーデン語、英語、フランス語など五カ国語で読み書きできた。
彼は16歳の年に米国へ旅行し、ロシアへもどってから、爆薬であるニトログリセリンの研究をはじめた。液状のニトログリセリンは少量で大きな爆発を起こすことができたが、不安定で扱いがむずかしく、爆発事故が絶えなかった。
ノーベルは実験室で、数えきれない回数の爆発実験をおこない、33歳のころ、ついにダイナマイトを完成した。これは、ニトログリセリンを珪藻土(けいそうど)にしみこませることで、扱いが安全な、爆発力が大きい爆薬としたものだった。
ノーベルはダイナマイトの特許を各国で取得し、ダイナマイトを生産する会社を興した。ダイナマイトは世界各地の採掘現場や工事現場で用いられ、ノーベルは世界有数の富豪となった。
51歳のころには、無煙火薬のバリスタイトを発明。これは、爆発しても黒煙が出ず、ただ蒸気だけが発生するという爆薬で、軍需産業を一変させる画期的なものだった。
57歳の年、ノーベルの昔の知り合いが、ノーベルが特許をもつバリスタイトに、ほんのわずかな変更を加えてコルダイトというべつの火薬とし、特許をとった。ノーベル火薬会社は、これに対し訴訟を起こしたが、結局裁判ではワーベル側が負けてしまった。
ノーベルは、1896年12月、イタリアのサンレモで脳溢血のため没した。63歳だった。

ノーベルは、自分の莫大な遺産の一部を原資として、毎年、科学ほかの分野ですぐれた業績をあげた人に賞を授与するよう遺言を残し、これに基づいて、ノーベル賞が創設された。当初のノーベル賞は、物理学、化学、医学または生理学、文学、そして平和賞の5部門で、経済学賞は後に作られた、正確にはスウェーデン国立銀行賞である。

ノーベルは生涯、独身を通し、子どももいなかった。
59歳のとき、ノーベルは手紙にこう書いている。
「僕が今までにしてきたことと言えば、鉛のように自分をぺしゃんこに押し潰すことだけです。」(ケンネ・ファント著、服部まこと訳『アルフレッド・ノーベル伝』新評論)
独創的な発明家であり、熱心な研究家だったノーベルは、生前から莫大な資産を築き、大富豪のまま死んだという意味では、歴史上の天才たちのなかでは恵まれた人だったのかもしれない。けれど、本人は、大成功し愉快な生活を楽しんでいる、という境地からはほど遠い思いで晩年を生きたようだ。
ノーベルの生涯はにがい陰影に満ちていて、人生についていろいろと考えさせる。
(2017年10月21日)



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