1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月1日・ホロヴィッツの魔

2017-10-01 | 音楽
10月1日は、作家の椎名麟三が生まれた日(1911年)だが、ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツの誕生日でもある。

ウラディミール・サモイロヴィチ・ホロヴィッツは、1903年、ウクライナで生まれた。ユダヤ人かていで、父親は電気技師だった。
ウラディミールは6歳で母親にピアノを教わり、9歳からキエフ音楽院に入り、14歳のとき、ロシア二月革命、十月革命を経験。音楽院卒業後、17歳でソロ・デビューし、20歳前からロシア全土をコンサート・ツアーしてまわっていた。
22歳のときにロシアを出て、西欧と米国を演奏旅行してまわり、30歳のとき、大指揮者のトスカニーニの娘と結婚。
ホロヴィッツはもともと繊細で神経質なたちで、ステージに出る前にはいつも極度の緊張に襲われ、開演時刻までの時間に耐えきれず、逃げだしてしまうこともあるくらいだった。そこへ現れた、口やかましく威圧的な義父が重なり、ホロヴィッツは神経性の胃腸障害を起こし、結婚してすぐの33歳から35歳までの時期、ピアノが弾けなくなってしまった。
このときは、ロシアの大先輩の天才ピアニストで作曲家のラフマニノフが助けの手をさしのべ、親身になって手を焼いて後輩ホロヴィッツを励まし、彼を復活させた。
第二次世界大戦勃発に際して、ホロヴィッツと義父トスカニーニの一族は米国へ避難。ホロヴィッツは、終戦後の42歳のときに、米国の市民権を取得。以後、米国を本拠地として活動した。しかし、精神面からくる健康不良により、舞台に立てなくなり、50歳のときからコンサート活動を停止した。
71歳のころから、コンサートを再開し、世界各国に招かれ、その名声は高まった。
1989年11月、心臓発作のため、米国ニューヨークの自宅で没した。86歳だった。

クラシックのピアノは、ふつうは指を立てて弾くが、ホロヴィッツは指を伸ばし、寝かせぎみにして弾き、強弱、速遅、硬柔、あらゆる種類の音を出すとができた。彼は独特の感性を、その技術を通して表現し、それで「音楽の麻薬」「黒魔術の演奏」とも言われる名演奏をものにした。いま、ホロヴィッツが64歳のときに弾いたリストの「スケルツォと行進曲」聴く。難曲のためめったに演奏されないというこの曲を、ホロヴィッツはやさしく、はげしく、またやさしく、と自由に弾きこなして圧巻。演奏の表現に厚みがあり、幅が感じられる。感動する。たぶん20歳のころの彼は、もっとすごかったのにちがいない。

ホロヴィッツは、ひじょうに気性にむらがあった人で、かんしゃくを起こすと、秘書に料理の載った皿を投げつけたり、テーブルクロスをつかんで引き、料理をすべてぶちまけてしまったりしたそうだ。そして、その後には、同じ人とは思われないほど、やさしくなる。名声に包まれた生涯ではあったけれど、本人は自分自身と折り合いをつけるのに苦しみ、かなり生きるのがつらかっただろう。
世界中に熱狂的ファンをもつ「魔性」の魅力の天才芸術家ともなると、やはり、通常の日常生活は送りづらい。そういう欠落した部分があると聞くと、凡人はほっとする。
(2017年10月1日)


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