1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月31日・マリー・ローランサンの夢

2017-10-31 | 美術
10月31日は、ハロウィン。この日は、『ねじ式』を描いたマンガ家、つげ義春が生まれた日(1937年)だが、画家のマリー・ローランサンの誕生日でもある。

マリー・ローランサンは、1883年、仏国のパリで生まれた。彼女は、裁縫や刺しゅうで生計を立てている未婚女性が生んだ私生児で、父親は税務関係の役人だった。
マリーは21歳のころ、画塾に入り、本格的に絵画の勉強をはじめ、23歳の年にパブロ・ピカソ、マックス・ジャコブの仲間に加わった。
24歳になる年に、ローランサンは、ピカソの紹介で、詩人のギヨーム・アポリネールに会った。ピカソはアポリネールにこう紹介したという。
「きみのフィアンセに出会ったよ……」(フロラ・グルー著、工藤庸子訳『マリー・ローランサン』新潮社)
ローランサンとアポリネールは恋に落ちた。アポリネールは三歳年下のローランサンに毎日のように詩を書いて送り、彼女の画才をあちこちで宣伝してまわった。ローランサンはアポリネールの部屋へ出かけ、愛を交わしては、母親といっしょに住んでいる家へ帰った。そのうちに、アポリネールは詩人として評価されだし、ローランサンは画家として売れはじめ、ローランサンが29歳のころ、二人は別れた。このときアポリネールが作った詩が、シャンソンにもなった「ミラボー橋」である。
その後、彼女はアポリネールとよりをもどそうとしたこともあったらしいが、二人はすれちがい、彼女は30歳のときドイツ人画家と結婚した。
アポリネールは、第一次大戦に出征し、前線で頭を負傷して帰還した後、彼女が35歳のときに死亡した。そして、彼女は39歳の年に夫と離婚した。
ローランサンは、キュビズムの時代をへて、パステルカラーの淡い色調で、水彩画のように油彩で描く独特の画風に到達し、売れっ子画家となった。彼女は絵を描くときは、いつも白かバラ色のエプロンをつけて描いたという。
上流階級の人々から殺到する肖像画の依頼に応え、彼女は舞台衣裳の分野でも活躍した後、1956年6月、心臓発作のため、パリのアパルトマンで没した。72歳だった。

ローランサンには、風景画もあるが、ほとんどは人物画である。明るい、優しい絵画をたくさん描きながら、画家の心はそんなに楽しいばかりではなかったのではないか。65歳のころ、彼女はノートにこんな詩を書きつけている。
「おまえの恋人たちは みな行ってしまった
 おお美しき女よ じつは美しかったことなど
 一度もなかったのだけれど
 なにがおまえに残されていると言うの?
 ほとんど灰になった髪
 そしておそらくは 夢」(同前)

埋葬の際、ローランサンの遺体は、彼女の遺言にしたがって、純白のドレスをまとい、手に一輪のバラをにぎり、胸にはアポリネールからの手紙が載せられた。
(2017年10月31日)



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