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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2月28日・ブライアン・ジョーンズの色

2017-02-28 | 音楽
2月28日は、世界最初のエッセイスト、モンテーニュが生まれた日(1533年)だが、ザ・ローリング・ストーンズのリーダーだったブライアン・ジョーンズの誕生日でもある。

ルイス・ブライアン・ホプキンス・ジョーンズは、1942年、英国イングランドの、ウェールズに近いグロスターシャー州で生まれた。父親はウェールズ人の航空技師で、ピアノやオルガンを弾き、教会の聖歌隊のリーダー。母親はピアノ教師。中流の音楽一家だった。
ブライアンは4歳のとき、喉頭炎にかかり、その後遺症で生涯ずっと喘息をひきずることになった。十代のころ、両親に買ってもらったサキソフォンとアコースティックギターを弾き、学校の音楽部ではクラリネットを吹いた。
ブライアンは知能指数が135あったが、まったく勉強に興味を示さず、学校や権威に対して反抗的で、ほとんどの教科のテストで0点をとった。それでも、物理、化学、生物など理科系だけは優秀な成績をおさめた。
17歳のとき、14歳のガールフレンドを妊娠させた。ブライアンは堕胎をすすめたが、娘は男の子を出産し、養子にだした。フライアンは退学となり、ギターを片手に夏の北欧を放浪してまわった。路上でギターを弾いてはお金を稼ぎ、知り合った人にたかってその日その日をしのぐ旅だった。旅の後、ロンドンに出て、デパート店員をしながら音楽活動を続けていたブライアンは、20歳のとき、ジャズクラブでミック・ジャガー、キース・リチャーズに出会った。意気投合した3人はロンドン市内の安アパートで共同生活をはじめた。
食べるものにこと欠く極貧の生活だったが、それでも音楽に没頭する生活を続けた。
彼ら3人に、ベースギターのビル・ワイマン、ドラムのチャーリー・ワッツが加わり、創成期のザ・ローリーング・ストーンズのメンバーがそろった。ストーンズは、あちこちのクラブで演奏をし続け、1963年6月にレコードデビューを果たした。
彼ら5人は、すでに人気絶頂のスターだったザ・ビートルズと対照的に、不揃いな、不良のイメージを押しだす戦略で、人気バンドとなった。
当初、ストーンズは、既成のリズム・アンド・ブルースの楽曲を演奏するコピー・バンドだったが、マネージャーの意向で、ミックとキースの作詩作曲コンビが作ったオリジナル曲を演奏するようになった。リーダーだったブライアンは、しだいにすみへ追いやられていった。バンドの人気が高まるにつれ、疎外感を募らせ、麻薬に傾倒していったブライアンは、ついには音楽演奏が困難になり、自分のバンドから追放された。
1969年7月、ブライアン・ジョーンズは、自宅のプールに沈んだ姿で発見された。27歳だった。ブライアンの死は、アルコールとドラッグによる溺死、事故死とされているが、他殺説も存在する。

ブライアン・ジョーンズのいたストーンズの曲には独特の色気があった。彼は、どんな目新しい楽器を手にしても、さわって30分もすれば、何らかの演奏をはじめているという天才マルチプレイヤーで、ギターのほか、ハーモニカ、ピアノ、シタール、ダルシマー、メロトロン、マリンバ、リコーダー、クラリネットなど多くの楽器を演奏した。初期のストーンズの名曲「黒くぬれ」のシタールや、「アンダー・マイ・サム」のマリンバなどもブライアンがもちこんだ味わいである。ブライアンがいなくなった後のストーンズは、ギターとドラムとヴォーカルのストレートな、男臭いロックバンドになった。
(2017年2月28日)



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