gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASPBF6D56PBDUTIL02S
なんというアホなくだらない事件だろうか。
要は「歴史」といういい加減な科目の問題。解釈学という,どうしようもない問題。
さらにアホなのは,まるで講師が偉いかのように見えること。
あり得ない。
いまどきの予備校講師なんぞ,ただの「社会不適格者」である。立派な学歴などたいして実社会に役立たない,という実例に毎日遭っているのは,僕の貴重な実体験である。
そして,そうした「片方の言い分」をさも正しいかのように解説する新聞。まさに,朝日新聞・悪の権化である。
閑話休題。
このような話には暇がない。ネットでの論争は「認識」の差。(高校)数学のように「学問的に完成された」ものならともかく,生物学でさえ「と,いわれている」表現がいまだに多い。
高校生レベルでいえば,9割も謎なのが生物学。10割わかっているのが数学・物理学だ。歴史なんて誰もわからない。歴史は,解釈の仕方が変わるだけである。そもそも,「大東亜戦争」や「大東亜共栄圏」について「語ってはいけない」ような雰囲気がいまだにあるとはどういうことだろうか
元を質せば,教科書検定こそが悪。教科書検定など不要である。教える側が自由に選べるのだから,それでよい。
扶桑社が歴史教科書をつくったときも似たような話題があった。そのときも「認識」の差,だった。
歴史を学ぶ意味とは,認識の差がこれだけあるということだ,とでも教える教師がいれば話は別だが,僕自身,高校生のときは日教組支配の学校だった。したがって,「そういう」教え方・学び方になる。
洗脳から解けるには,大学時代の4年間が実に有意義だった。ああ,なんとアホクサイ話だったのだろうと「認識」できたのだ そして,数学がやっぱり好きであることに変わりがなかった。
ネットで炎上する原因は,ほとんどが「言った/言わない」の話。所詮「認識」の差。
仮に自分が名指しされても知らんぷりで,僕はマイペースを貫こう