うんざりである。
「クライメートゲート事件」に始まる「CO2温暖化説」を僕は認めない。
ことの本質は,「CO2を利用して,お金の取引をする」という,実に浅ましい人間の欲望の展開だ。
日本国内でのバス害魚問題と同じく,「何も罪のないこと・根拠の疑わしいこと」を基にお金を引きずり出す,野蛮な人たちの集まりがCOP21だ。
この定義で解釈すれば,日本のマスコミは全部「同じ穴のムジナ」である。芸能人ネタごときで「我を張る」週刊誌も,所詮こうした問題に取り組めない。NHKも然り。
それは,国家権力が及んでいるからである。いや,それはいいすぎだとしても,事実上「他の考えを認めない」というところで,やはり権力が関与しているに等しい。
その権力とは,CO2をエサにして巣食う虫けらども。東京電力然り,自動車会社然り,「CO2を出さないのでエコです」という宣伝を見ると腹ただしい。
教科書にもまったく異論が掲載されることはない。地学・生物学の9割は未解明だというほどに「わかっていないことが多い」のに,CO2を悪者にすることにだけには熱心。
いくらでも反論はある。上記リンクを見てもいいし,よくある「ハワイ火山上空のCO2濃度データ」がいかにデタラメであるかは,少しでも「定性的」に考察できる人間なら「オカシイ」と思うのが当然だとも思う。
いま,「実学」がもてはやされているが,それは近視眼的思考になり,定性的考察を抑制し,理性的に判断することを妨げる。
だから,僕は,大学受験を意識したときから,「実学」というものが大嫌いだ。
そして「実学」は,そのときどきにしか役立たない理屈なので薄っぺらい。
まあ,僕は自分が少数派であることはわかっているが,バス問題同様,訴え続けよう。