た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

残雪

2022年05月10日 | 短編

 

 五月の連休というのに白駒池にはまだ雪があった。それは泣き腫らした頬に残る涙のようであった。駐車場ではしっかり六百円取られた。自分はここに何しに来たんだろうと思いながら、靴紐を結び直し、遊歩道に足を踏み入れた。

 雪は柔らかく、滑りやすい。冬景色なんて想像もしていなかったのは私だけではないらしく、訪れた観光客はみんな脚を震わせながら歩いている。子どもたちはキャッキャと喜んでいる。登山の格好をした若者は、涼しい顔で颯爽と通り過ぎる。

 なんで自分はここに来たんだろうと、また思った。

 知人が死んだからだ。

 彼女は(仮にSさんとしておく)働き者で、老いた母親と二人の子どもを抱え、シングルマザーとして、つねに気を張って生きていた。子どもの一人は障害児だった。いくつもの仕事を掛け持ちし、言いたいことを言い、甘い物が大好きで、別れた夫を許さなかった。何の兆候もなく、春うららかな日に大動脈が破裂して死んだ。

 雪を踏みしめ、森をゆく。雪の下では、びっしりと生えた苔が、なかなか来ない春をじっと待っている。

 三叉路に出た。髙見石の方角に向かう。

 緩やかに続く登山道を、一歩一歩、自分の足跡を確かめるようにして慎重に歩く。行き交う人はいつの間にかいなくなった。

 数年前、Sさん手製のサンドイッチを、一度だけ食べさせてもらったことがある。施設で働く彼女が試作品として作ったので、感想を聞かせて欲しい、とのことだった。なぜ私が指名されたのか、その経緯は覚えていない。シンプルで、飾り気のない、しっかりとしたサンドイッチだった。誠実な味がした。母が脳こうそくで倒れたときは、私よりも早く駆けつけてくれた。そうやって周りの人々に惜しみなく親切を与え、自分だけ先に逝ってしまった。

 道の勾配がきつくなってきた。背に汗を感じる。足を滑らし、両手を突いた。

 自分はとても無謀な登山をしているのではないか。 

 木立の先に小屋の屋根が見えた。立ち上がり、先を急ぐ。

 歩きながら、今度はウクライナのことを思った。

 連日たくさんの民間人が死んでいる。ひどい話だ。誰一人こんなことでは死にたくなかったはずだ。人々の命が、野に咲く草花のように、あっけなく踏み潰されていく。独裁という名のキャタピラによって。誰もそれを止められない。

 人類は命について何を学んできたのだろうか?

 お前は?

 小屋に到着し、深い息をついた。小屋の脇道からさらに先にそびえる、無数の岩でできた山を見上げる。あれを登れば、頂上だ。十年ほど前、一度だけ上ったことがある。しかしあの時とは季節が違う。岩の日陰部分には雪が残っているではないか。これを登るのか。こんな軽装で。もし万が一足を踏み外し、滑り落ちでもすれば──────。

 私は岩に手をかけ、登り始めた。

 足を掛ける場所にいちいち迷う。体を変な風に曲げる。息が切れる。四十も終わりに差し掛かった自分の体をひどく重く感じる。十年前の夏は、ずっと楽に登ったはずだが。雪を踏み、バランスを崩しかけて岩に抱きついた。脚がすくむ。自分は何をしようとしているのか。ここで死にたいのか。不本意な死をこれだけたくさん目にしながら、なぜ自分は、どうしようもなく自分の生を揺さぶりたくなるのか。

 誰かが呼んでいる。

 はっと気づけば、無辺に広がる空の下にいた。呼び声がしたと思ったのは、先に登り詰めていた若い三人連れだった。皆しっかりした山行きの装備をしている。彼らにとっては何の苦労もない岩山なのだろう。爽やかな笑い声が飛び交う。中の一人がサングラス越しの視線を私に注いだ。その視線はしばらく私から離れなかった。

 彼らから身を隠すように岩を移動し、平たい場所を探して、恐る恐る腰を下した。眼下には、出発点となった白駒池が不透明な水を湛えて口を開けていた。

 夕刻の風が吹いた。

 誰かがくしゃみをした。

 そうだ。自分はあそこに戻らなければならない。戻るために、ここに来たのだ、と、このときようやく気がついた。

 


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