た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

上京

2018年01月22日 | essay

 東京へ行く。友人二人に会うためである。

 二十代の終わりから三十代にかけてよく遊んだ仲間である。それぞれ仕事をしながら、私と同じだけ歳を取っている。同年なので、彼らに会うと、今の自分の歳の取り方を再確認できるような気がする。日々の雑務に追われ、体調も崩しがちな今の自分に対し、こういう生き方でいいのか、それを確認したくて会いに行ったのかも知れない。ただただ、会いたかっただけかも知れない。

 大塚に住むM氏が彼の恋人の営む居酒屋を昼間だけ貸し切る形で準備してくれていたので、新宿まで迎えに来てくれたN氏と大塚に移動し、駅前の公園でスターバックスのコーヒーを飲みながら、M氏の登場をしばし待つ。さして広くもないがすっきりと何もない公園に、太陽の日が柔らかく降り注ぐ。ハトや人が憩う。公園の向こうを路面電車がゆっくりと通り過ぎる。東京に路面電車が走っていることを、この歳になってようやく知った。線路の向こうの商店街は、なかなか賑やかで楽しそうである。

 N氏は心の病気と闘いながら、半年余り休職し、去年の春から職場に復帰していた。

 とりとめのないことを彼と語り合う。彼が休職中に図書館で読んだ本の内容が中心である。心理学の話。遺伝の話。文明論の話。

 やがてM氏が現れ、居酒屋に場所を移す。

 彼の恋人が用意してくれた想定外のご馳走と美酒に酔いしれながら、さらに取りとめもないことを語り合う。恋愛論。性格論。生き方。議論は酒にあおられ加熱する。店主が女性の立場から話に加わり、それに男たちが三様の受け答えをしているうちに、お互いの違いと、似ている部分が浮き彫りになっていることに気付く。N氏がそれが面白いと笑う。誰が正しいわけでもない。ただ、そうやってみんなそれぞれにこの歳まで生きてきた。そこには、正解もなければ、決して、誰にも、不正解はない。

 帰りの『あずさ』に乗ると、車窓に映るのはすでに夜景であった。

 明日からまた、頑張ろうと思う。まだまだもがき、苦しむだろうが、続けることを続けていこう。

 不正解はないのだ。

 

 

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