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人生の楽しみ方

2022年11月01日 | essay

 人生を楽しむ。

 雑誌のタイトルにありそうな文句だ。もっとも、雑誌だと勿体をつけて、「愉しむ」となるか。人生を愉しむ。まあ、愉楽どちらでも良いが、いずれにせよ常套句のように使われている割にはなかなか実感できないものである

 友人のM氏は五十を境に東京の会社を辞め、茨城の小さな町に小さな中古住宅を買い、引っ込んでしまった。別にその土地に惚れこんだわけではない。東京を脱出しようと不動産屋巡りをしていて偶然見つけた物件らしい。引っ越したからと言って何かを始める目論見はない。仕事もせず、テレビを観たり、ゲームをしたりで日が暮れるとか。都会が嫌になったのはわかるが、いくらなんでも無計画過ぎる。しばらくして、いい歯医者を見つけたと連絡が来た。歯の悪いM氏はその歯医者がいかに凄いかを熱く語る。何でも歯の磨き方を教わるだけで数日かかるらしい。まあそんな歯医者に出逢っただけでも引っ越した甲斐があったじゃないかと、半ば皮肉交じりに返した。

 依然として、歯医者以外との人的交流は皆無に等しい。一日中液晶画面を見ているのだから当然である。あまりにも人と会わない生活が続いたので、さすがにそろそろ精神に異常を来しそうだと言ってきた。

 どうなることかと経過を見守っていたら、一念発起し、地元の農産物直売所でアルバイトを始めた。今までのキャリアとは全く無縁の職種である。ところがこれがM氏にとっては大当たりを引いたようなものだった。仕事が面白くてたまらないらしい。客や同僚、おまけに農産物を卸す農家の人たちとまで親しくなり、ときには農家にお邪魔し畑仕事の手伝いまでしているそうな。最近では保護犬を散歩させるボランティアにも手を出して、毎朝犬たちと汗を流している。

 彼は人生を楽しんでいる、と言えるだろう。経歴や収入とはまったく無関係に。一人者だからできるのだ、という横やりは、それを選ぶ覚悟のなかった者に入れる権利はない。M氏は世間体もプライドも、おそらくは自分の生き方へのこだわりも含めて、全く気にしない柔軟さを身につけたのだろう。だから、一年引き籠ってから突如社交的人間に変貌するような離れ業ができるのだ。

 人生を楽しむには、頭の柔らかさと心の強さが要る。

 仕事に追われ日々を凡々と送っている私個人も、せいぜい非日常を楽しもうと、最近はよく山に登る。先月末は知人と唐松岳に行く予定だったが、都合が悪くなり急きょ取りやめになった。代わりに何となくサイトで見つけた栂池自然園に行ってみた。ゴンドラで高原まで上がり、木造りの遊歩道を歩く。よく整備されていたが、整備され過ぎていて、もう少し年を取ってからでもいい気がした。売店で買った林檎を丸かじりしたら旨かった。

 山にも当たり外れがある。

 先日は小熊山トレッキングコースというのを公の機関が勧めていたので行ってみたが、車道ばかり続くので嫌になって引き返した。途中、紅葉を眺めながら珈琲を沸かして飲んだ。連れて行った犬は満足げだった。

 

 人生を楽しむのもなかなか難しい。難しい、なんて言ってる時点で、おそらくそもそも難しい。

 


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