た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

強風

2013年03月18日 | essay

 朝から風が強い。
 犬の散歩もこうなると一苦労である。小雨も混じっているので、顔を背けながら歩く。どこで引き返してやろうかと思案するが、犬は風も雨も一向お構いなしに、紐をぐんぐん引っ張って前へ進む。私は犬に歩かされる。

 世間では、日本国民全員に背番号をつけようという試みが取りざたされている。色々便利なのだろう。管理、運営。監視、調教。何だか首に紐をつけられるようで、あまり心地よく覚えない。そもそも、人間を管理する動きはすでに進行している。携帯だ。携帯電話。あの自己負担式居場所探知機は日本全国津々浦々の老若男女に普及しており、かつ非常に有能であるので、誰がどこにいるか、ほとんど瞬時に把握できる。ぴ、ぽ、ぱ、もしもし? いまどこにいるの? というわけだ。

 犬の足が向く方に任せていたら、知らない路地に出た。曲がりくねって狭い。雨風は強くなりつつあるし、近道して戻れるなら、という安直な判断で歩をとってみたが、行けども行けども、知った道路に出ない。どうも、家から少しずつ遠のいている気がする。知らない農家のトタン屋根が風にあおられて音を立てる。大きなビニル袋が電信柱にマフラーのように巻きついている。道端の草むらに首を突っ込む犬を急き立てて足を速める。

 現代はすでにして偉大なる管理社会である。誰にも居場所を知られないでいることのいかに難しいことか! この政策の巧みなところは、皆が自ら率先して自分の居場所を打ち明けるように持っていっていることだ。誰にも知られないのは寂しい、と人々に思わせることに成功している。もしもし? ぼく、今、犬の散歩途中です。ちょっと道に迷っちゃった。GPSで場所を調べてみます。またあとで連絡するね。

 さあ、ごたくはいいから、早く戻らなければいけない。雨脚はいよいよ本格的になってきた。頭も顔も濡れてひりひりする。迷うのは不便である。迷うのは自由でもある。その辺の兼ね合いが、現代では難しいところである。いや、難しいのは、頑迷なまでに携帯嫌いを押し通して、はや生きた化石となりつつある、私のような人間だけか。 

 
 
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