市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説です
第2部 忠朝と伊三 32
これまでのお話
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徳川家康 (「本多忠勝をNHK大河ドラマに」応援団・福田彰宏様作品)
その夜。
家康は本多正純とふたり、酒を酌み交わしていた。
「上野よ、秀頼が事、どう思った。」
「立派にご成長なされ、実にめでたい事と思われました。」
「そうおもうか。わしにはどうもつかみどころがないような男に思えた。阿呆なのか、それとも能ある鷹は爪をかくすか、な。」
「いづれにしても、会見は滞りなく済み、これからは徳川と豊臣の間もうまくいきましょう。」
「正純。」
「は?」
「本当にそう思うか。本当にうまくいくと思うか。」
正純は飲みかけた杯を置き、少し思案すると、ひと膝家康にすり寄り、
「では、本音を申し上げます。」
と言った。正純の感想はこうであった。
秀頼の人物については、正直良くわからなかったが、大器の素質はあると見ている。阿呆なのではなく、物を知らないだけだと思う。大坂城という宮殿に淀の方と一部のあまり優秀でない家臣と共に暮らしているので、外の世界を知らずに成長してしまったのが秀頼の不幸であり、それなりの人物に教育され、見聞を広めれば立派な大名になる可能性もある。今日、この目で見たとおり、京でも人気があるようなので、西国を無難に治めることもそう難しくはないだろう。
しかし、危険である。秀頼自身が危険なのではない。秀頼を取り巻く環境が危険だと正純は言う。仮に秀頼が人望ある武将になれば、今はしぶしぶ徳川についている旧豊臣系の大名たちがどのように行動するか。今日の加藤清正の態度、病と言い大坂に残り京阪の道を押さえている福島正則。今は高野山に蟄居している真田昌幸信繁親子も何をしでかすかわからない。
「なるほどのう。それでは秀頼は阿呆のまま、大坂でのほほんとしていれば良いのだな。」
家康がにやにやと正純の顔を見つめた。
「今や、それはなりますまい。今まではその姿を大坂城の奥に隠していましたが、今日は民衆の前に堂々と現れてしまいました。」
秀頼を大坂に引きずり出したことは返って良くなかったといわんばかりの正純である。
「それが本音か。では、どうする。」
「はい。まずは淀の方、大坂に潜む妖怪どもから引き離し、陸奥あたりに国替をして、豊臣の力を、、、」
そこで家康は正純の言葉を一言でさえぎった。
「あまい。」
正純は緊張した。その緊張した正純の顔から視線をはずした家康はこう言った。
「つぶさねばなるまい。」
ついに家康は心の奥に潜んでいた本音を口にしたのである。
今まで家康は、なんとか豊臣家が徳川家に臣従させ、一大名として存続するように苦心しているように思えた。
豊臣の家族も同然と言える正則や清正、高台院でさえ豊臣家が生き延びるには徳川に臣従するしかないと考えている。彼らは徳川に従い家康を頼みとしてきた。家康が高台院に親しく接する態度から、彼らは秀頼が道を踏みちがえなければ、豊臣家が徳川政権の一翼を担うことを家康も期待しているだろうと思っていた。
しかし、ついに家康は豊臣家をつぶすと言う決断を下した。
「上野よ、今のわしの言葉、まだ口外するでない。つぶすと一言で言うことは簡単だが、実行するのは難しい。力に任せて攻めつぶすことはたやすい。なれど、わしが豊臣の滅ぶことを望んでいたと世間に思われてはならん。豊臣が自ら滅亡の道を選んだと言うことを世間に納得させなくてはならない。わしも鬼でも魔物でもない。何も秀頼を殺そうと言うわけではないが、仕方なく豊臣はつぶすしても、秀頼の命は助けてやりたい。徳川の裁きはさすがなものだと、余の人々に思わせなくてはならない。そこが難しい。」
「どのような方法で。」
「それはそちが考えよ。」
こうして、世にも奇妙な豊臣倒滅作戦が始まるのであった。
真田父子(真田昌幸、真田信之、真田幸村)(「本多忠勝をNHK大河ドラマ」に応援団・福田彰宏様作品)
二条城の会見の日、甚太は大坂城内に忍びこんだ。
(ふふ、軍勢を持って攻めるのは難しかもしれんが、おれが一人忍びいるのはたやすいことだ。)
はためには警備のきびしい大城郭に見えるが、伊賀忍びの甚太からみれば隙だらけであった。甚太は城内に忍びいると、夜更けに城兵の一人をおそい、その服をはぎ取り足軽の姿となった。忍び姿でこそこそと動き回るよりも足軽に変装して城内を自由に歩き回れる方が仕事がしやすいと思った。大坂城はそれを許す環境にあった。関ヶ原の戦い以降、日本国中に浪人があふれかえり、その一部がひそかに大坂城内に入り込んでいたのだ。名のある大名ならいざ知らず、足軽、小物の格好で身元の怪しいものがうようよとしていた。
たまたま見つけた足軽たちがたまっている長屋にもぐりこんでも甚太を疑う者はだれもいない。
「ふぁあ、退屈だのう。主のいない城の留守番などつまらん、つまらん。俺も殿様と京にいきたかったわい。」
足軽のひとりが大あくびをしているところへ甚太はすり寄ってきた。
「殿さまはお留守かね。」
「なあに、言うとる。京で家康に会うために昨日出て行ったではないか。」
「ほう、それは知らなんだ。なんせ、今日城に入ったばかりだでな。」
「そうか、そう言えば見たことない顔だ。」
「新参者で、兄さん、よろしく頼みます。」
新入りに兄さんと言われて、大あくびをした足軽は怪訝な顔で甚太を見たが悪い気持はしなかった。
「御挨拶と言ってはなんですが、、、」
と言って、甚太は懐から、薄茶色い徳利をのぞかせた。
「兄さん、こっちの方はいかがで。」
足軽はにやりと笑い。
「大好きだ。」
「それじゃ、こちらへ、まあまあ、遠慮せんで。」
甚太は足軽を長屋の外に連れ出した。足軽は甚太が差し出した徳利に口をつけると、ごくりと一口飲んだ。
「いやいや、うまい、うまい。何か祝い事でもなければ足軽風情が酒など飲めんからな。」
「ははん、兄さんは相当お好きだね。」
「そんなことはないがな。」
足軽が徳利を甚太に返そうとすると、
「いや、おれは下戸なもんで、兄さんが全部飲んでください。」
と、足軽に徳利を押し返した。
「なんで、下戸がこんなものを持っている。」
足軽が聞くと、
「まあ、右も左もわからない新参者にはこんなものが役に立つんで。」
と甚太は答えた。酒をおごり、
「兄さん、兄さん。」
とおだてあげ、足軽はすっかり気を良くした。
「困ったことがあったら、なんでも言ってくれ。」
足軽はすっかり甚太の事が気にいってしまったようだ。
翌朝。
甚太は兄さんの足軽に起こされた。台所に朝飯を取りに行くから手伝えと言うのだ。
「朝めしを?」
「ああ、おれの役目でな。まあ、昨日の礼だ。」
「昨日の礼?」
昨日の礼とはもちろん酒をおごってもらったことへの礼だろうが、朝めしを取りに行くことが何故、礼なのか?怪訝な顔をする甚太に、
「まあ、くればわかる。」
と、足軽はにやりと笑った。
足軽が台所の戸口を叩くと、戸が開き年寄りの女が顔を出した。
「おや、今日は早いねえ。まあ、お入り。」
足軽と甚太が台所に入ると、甚太を見て老婆が聞いた。
「見かけない顔だね。新入りかい?」
「ああ、昨日からだ。俺の弟分だからよろしく頼むよ。」
足軽が言うと、老婆はにっこり笑い、
「はい、はい、今日はこれをあげよう。」
と奥からざるを持ってきた。ざるの中には玉子が四つ入っていた。
「おお、玉子か。久しぶりだな。」
「ゆでてあるから。すぐにおあがり。塩いるかい?」
「ああ、ちょっとふってくれ。」
割った玉子に老婆が塩を一つまみ振りかけると、足軽は口の中に玉子を押し込んだ。
「うぉいつぁ、ふんめえ。」
足軽が口をもぐもぐさせながら言うと老婆が、
「食べながらしゃべるな、何言ってんだかわかんねえ。」
とたしなめると、口の中の玉子をごくりと飲みこみ、
「こいつは、うんめえ、って言ったんだ。」
と足軽は答えた。甚太もそれにならって玉子を飲みこんだ。うまい。玉子を食べるのは久し振りだ。二つ目の玉子を食べようとした時、老婆の後ろに待女らしい若い女が現れた。
「おせきさん!何してるんですか?」
声の方を見て、甚太は目を見張った。なんと、目の前にいる女は福島屋敷で見たお冬である。思わず息を止めてしまった。その瞬間、お冬は甚太の顔を見た。
(たしか、お冬と言ったな。俺の顔は見ていないはず。しかし、、、こいつは油断できない。)
お冬のその厳しい視線がふっとやわらいだ。甚太はぞっとした。気付かれたか?
「あら、いつもの人と違うわね。」
「はい。昨日来たばかりです。権太と申します。よろしくおねがいします。」
お冬は袂で口を押さえて笑った。
「なにをよろしくなんでしょう?」
確かに、新入りの足軽が待女によろしくというのも変なあいさつだが、それだけ甚太は動揺していたということであろう。
老婆から足軽組の朝めしを受け取り、台所から出ると兄さんの足軽に訪ねた。
「あの婆さん、兄きにやたらと親切でしたが、身内のかたですか?」
「いんや、そんではねえけど。何でも関ヶ原の戦で死んだ息子が俺に似ているんだと。それで、朝めしを取りに行くとこっそりと色々くれるんだ。」
「へえ、そうですか。」
「それな。」
「へ?」
「昨日の礼だと言うのがわかったろう?」
なるほど、足軽の口には入らないものをこっそりともらえる事は役得であり、そのご相伴にあずからすことが昨日の酒の礼だと言いたいのであろう。
(ふん、あれぐれえのこと・・・)
と思いながらも、甚太はゆで玉子の味を思い出していた。
(それにしても、ゆで玉子よりもお冬がこの城にいたと言うことがわかったことの方が俺にはありがてえ。)
お冬と顔を合わせてしまったことが良かったのか悪かったのかは甚太にはわからなかったが、今後この城で活動するにあたり、お冬がいることを知っているのと、知らないのではおのずと違ってくる。甚太はお冬の事をまさか忍びではあるまいが、只者ではないと睨んでいる。それにここでお冬にあったと言うことは、つまりはたまたまもぐりこんだ足軽組が福島正則の配下にあると言うことだ。
その日の午後、甚太は大坂城に帰城した豊臣秀頼を遠目に見たが、その時の供をしていた加藤清正の姿があまりにもやつれ果てていることに甚太は驚いた。
(あの日、福島屋敷で見た清正とはまるで別人。)
翌朝も甚太は兄さんの足軽と共に朝めしを取りに行き、その時はタケノコの煮つけを食べさせてもらった。しかし、この日はお冬は顔を出さなかった。
昼間は足軽として城内を警備し、すっかりと大坂城の縄張りがわかった事は甚太にとっては、足軽どもが寝静まった後、城内を忍び歩くのに随分と役に立ったに違いない。
(へへ、やっぱり足軽としてもぐりこんだことはあたりだな。)
福島正則の動きをさぐり、お冬の正体を暴こうと夜の大坂城を動き回ったが、その後お冬に会うことはなく、正則の動きについてもこれと言った新しいことはつかめなかった。
秀頼も戻ってきたのでもうちょっと探りを入れてみようと思ったが、その日以来、あれだけ隙だらけだった城であったのに、また暗く重い圧力を甚太を包み込みはじめた。おそらく大坂城内には家康が放った間者いるだろうとは思っていたが、今まで感じなかった闇が秀頼とともに大坂城に入ってきたのであろうということだ。
これからはうかつなことはできないな。その闇の圧力が関東の忍びであればよいが、密かに秀頼を警護している大坂の忍びがいないとも限らない。そのうち清正は青い顔をして熊本に帰ってしまい、福島正則配下の足軽組も解散することになったので、甚太も大坂城を出ることにした。
(さてさて、これからどうするか。清正を追いかけてみるか。)
そうも考えたが、伏見にいる服部半蔵のもとに一度もどり、その指示を受けるために、大坂から京への道をのんびりと進むことにした。家康と秀頼の会見があったこの緊迫した時期に大坂城内を探ることは神経を使い、甚太はどんよりと体が重くつかれていた。これと言った収穫がなかったことも甚太の足を重くしている原因の一つではある.
続く
第37回大多喜お城まつり
平成23年10月 8日(土) 前夜祭
平成23年10月 9日(日) 本祭 *10日(月)予備日
AかBかの対面だったのですね
>徳川の裁きはさすがなものだと、余の人々に思わせなくてはならない
恐ろしいですね~!
時は1611年、青い顔の加藤清正。
お冬の存在。甚太のお仕事いかに。
伏線を張っていますね(だと思っています)~久我原さん
しばらくぶりでしたので、3話くらい戻って読ませていただきました。
次回は、いよいよ大多喜城らしいですよ(^^)/
ご存知の方は教えてください。
①忠朝の幼名は何でしょうか?
忠勝が鍋之助だったように、忠朝にもあったのではないかと考えられます。
②忠勝が娘・小松姫は大多喜の地を踏んだのでしょうか?
大多喜の民話のなかには出てくるのですが・・・どうなんでしょうか?
本多忠勝のイラストも
すご~い
久我原さん、頑張ってくださいね
すごい発見です。
私も見つけました(*^_^*)
久我原様
私、ふと疑問が?
忠勝公の幼名はなぜに「鍋」なんでしょうか?
鍋ですよ~! 鍋って・・・
先日、大多喜町から真田祭りに甲冑隊が参加されたそうです。 そういう写真を見せていただきたいものですね。
我が家には、・・・真田ファンが
物語も...だんだん...難しくなって...日本史の記憶が...すっかり...消えている...倭音はぁ...歴史年表を...片手に...読まないと...時代考証が判らなくなってきましたぁ...
しかしぃ...久我原さんの小説に出会わなければ...歴史なんて...倭音にはぁ...全然関係ないぞっとぉ...
素知らぬ顔をして...過ごしていたことでしょう
でも...ジャンヌさんの紹介で久我原さんの小説を読むようになってから...ほんの...少し興味がぁ...
これって...すごいことだと思いますぅ...自分だけぇ...
本来なら...日本の歴史はぁ...現代につながっているのですから...知らないでは...すまされないといぅかぁ...いけないのでは無いかと...最近考えるようになりましたぁ...
久我原さんの小説を読んでから...いろんな事を考えるようになった...倭音なのでしたぁ...