バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

後山集落:その2

2017-02-05 08:01:44 | 山村探訪
この集落の見どころは何といってもこの廃校だ
湖南小学校後山分校

手前の煙突の2本突き出た部分は給食室なのだろう
段差を利用して微妙に複雑な構造になっているのがとても面白い
現存してる木造校舎の中でもこんなユニークな外観をしているのは珍しいだろう

廃校は1968年だそうだ
景気右肩上がりのこの頃は道路事情も良くなりスクールバスの利用が容易になったり
木造校舎から新しい校舎に建て替えが進められた時期で
自分の学んだ小学校も統合された
そう言えば先に訪れた浦集落の分校の廃校もこの年だった

映画のロケにも使われたというこの廃校
修理されることもなく朽ちるに任せているのは非常に残念だ
文化遺産として残せることはできないものだろうか?

城にしても明治維新後に結構取り壊されてしまった
その時ボロボロになって解体寸前の窮地を救われ修理された城は
今や観光資源としてまた文化遺産として国の宝にもなっている

まぁ、そんな思いも届かずにいつかは解体されてしまうのだろう
それまでは時々訪れてみたい

ここから箕輪方面に下ったもみじ湖は
その名の通りもみじの紅葉が素晴らしい
その時期にまた来てみよう

                         
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後山集落:その1

2017-02-04 23:51:54 | 山村探訪
この集落に初めて出会ったのは
諏訪から箕輪へ真志野峠のダートをマウンテンバイクで走り抜けた時だった

寂しい山中を抜けると
南北に細長く開けた明るい山間の沢沿いに田畑が連なり
30戸ほどの民家が集落を形成していた

メインのルートは有賀峠からで
諏訪の街から車で30分ほどという地の利もあり
寂れゆく山村というイメージは薄い

武田信玄の時代には近くの真志野には金山があったそうだ
武田の金といえば有名な黒川金山始め各地に金鉱を持っていたようで
茅野には金沢なんて地名もありここでも金が産出されていた

その金山衆の末裔の集落か?とも思ったが
どうらや単に新田開発で開拓された所のようだ

今では食材の金とも言える良質なマツタケが採れるようで
集落内にはマツタケのフルコースを供する店もある
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杉島名物ドーナツ万十

2017-02-04 23:07:37 | 昭和食堂
こんな山の中によくこんなお店が・・・
周辺にある家は10件くらいだろうか?
偶然こんなお店に出会うとうれしくなり絶対に寄ってしまう

後で知ったことだけどテレビでも取り上げられたことがあるお店だそうだ

白あんと粒あんのドーナツ万十5個入り550円を購入
「杉島名物」とうたわれると一味ランクアップするようで
娘夫婦に4個食べられてしまった

また買いに行かなくては
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平家の里浦集落:その6

2017-02-04 00:02:09 | 山村探訪
山の寒風に耐えきれず車の中に逃げ込み
コンビニで買ってきたヨモギ大福を食べながらいろいろ思いを巡らせる
車の外気温計表示はマイナス2度だ

小松氏が900年も前の壇ノ浦の戦い直後から落人としてここへ住みついていたとは考えにくい
おそらくもっと後年になってから山仕事を生業とするために
麓の三峰川の水運を利用しやすいこの地に集落を形成したのだろう
かつてはすべての燃料は薪と炭、建材は木だったのだ

地元の古老にいろいろ話を聞いてみたいものだが猫の子一匹歩いていない
民家の屋根越しには真っ白に雪をかぶった甲斐駒ケ岳が頭を出している
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平家の里浦集落:その5

2017-02-03 23:00:46 | 山村探訪
集落の中で平家ゆかりとされるものは小松氏先祖の墓だ
案内板に導かれ解体されて野ざらしになっている廃材の間を抜けると
木柵と一位の木に囲まれた歴史ありげな墓がひっそりと佇んでいる
傍らの伊那教育委員会の説明板には次のようにある

小松氏の先祖が、平の重盛であるか維盛であるか重清であるか明らかでない。
しかし、この浦区の小松氏は平家の流れのものであることは確かであろう。
小松氏とその側近であった西村氏がいっしょになって、春の彼岸の中日に先祖祭を行っている。(古くは陰暦の二月四日であった)
その日は各戸で保存する赤旗を竹竿につけて持ち寄り、墓の生垣に立てられる。
子供らは笹の葉に色紙を結んで墓の周囲を飾る。
墓に花が供えられ、線香の煙がたなびく。 
墓前での先祖祭が終わると、集まった人々は年番の家(現在は公民館)へ行き「小松内大臣平重盛卿」と書いた掛軸を床前に掲げて、その前で盛大な祝宴を挙げる。
この地区は古来浦村といわれ、古老は「檀ノ浦村」と自称したりした。
小松氏一統の者は平家と同じように宇佐八幡宮を祭っている。

墓の隣にある廃屋の薄れた表札にかろうじて小松の文字が読み取れた
今でも祭りは行われているのだろうか?
墓前に供えられていた清酒の銘柄は「平家の里」だった
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平家の里浦集落:その4

2017-02-03 22:37:17 | 山村探訪
少し先に進むと諏訪神社がある
道沿いの鳥居が社殿の後ろ側にあるのは狭隘な土地事情からやむを得ない配置だ
社殿を覆う漆喰の外壁にはいくつもの穴が開いているのはミネラルを欲する野生動物がかじったりしてるのだろうか?
このまま朽ち果ててしまうのもそう遠くはないのだろう

狭い道を挟んで神社の向かいの石段を上ると小学校の分校跡で
廃校は1968年だそうだ
どれほどの小学生がここで学んでいたのだろう?
調べてみると最盛期で60人くらい通ってたそうでちょっとびっくりだ
校庭脇に残されてさび付いた遊具が郷愁を誘う
この集落の先にはかつては奥浦という集落もあったそうだ
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平家の里浦集落:その3

2017-02-03 20:41:08 | 山村探訪
南北に走る狭い道沿いに寄り添う家屋は20数軒だろうか?
しかしその多くは空き家か夏の間の別荘代わりとして使われているようで
生活の匂いがする家はほんの2,3軒だ

古い家々の中に新建材で建てられた公民館だけが異彩を放っていた
車が4,5台止められそうな広場の片隅にある分別ごみの集積所が生活感を漂わせてくれる

公民館横の物置の壁に取り付けられた小さな郵便ポストを見ると毎日10時に回収に来るそうだ
はたして年に何通の郵便物利用があるのだろう?
日本の郵政事業には感心してしまう
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平家の里浦集落:その2

2017-02-03 20:16:23 | 山村探訪
集落への道の舗装はそれほど荒れてはいないものの沿道に林立する杉の枯葉や枯れ枝が散在している
今日は特に風が強かったせいだろうか?

道沿いの電線や電話線がなければこの先に人家があるとは到底思えない
そんな道を対向車に出会うこともなく10数分走り
カーブを曲がると忽然と集落が現れた

村への入口にある一抱えほどの石に「平家の里浦村」と彫られている
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平家の里浦集落:その1

2017-02-02 22:01:26 | 山村探訪
浦・・・海どころか湖もない山の中に付けられたそんな名前の集落が目に留まったのは国土地理院5万図の市野瀬だ
気になった事はすぐにネット検索してしまうデジタル依存症は慢性疾患だ

えっ!
浦って平家の落人伝承の集落なんだ!
信州の山奥にも平家のかくれ里があるなんて今まで知る由もなかった
壇ノ浦の戦いに敗れた平維盛の子孫が住み着いたということで
古老はこの村のことを壇ノ浦村とも呼んでいたそうだ

分杭峠を経て大鹿村へ至る秋葉街道は自転車で2度走ってる
初回はうだるような真夏の記録的暑さの中を飯田まで走り
二度目は松本ぽたりんぐクラブの仲間と静岡の秋葉神社まで走った思い出深い街道だ
その街道を高遠の街を過ぎ旧長谷村の市野瀬の集落から国道を外れ三峰川沿いに進むと程なく浦集落への標板がある
「平家の里」なんて冠が付いてるとそれだけで心躍ってしまう
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