大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
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礼拝メッセージ 『愛について』 (2006・5・7)

2006-05-28 00:35:49 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 一実 伝道師
説教箇所:新約聖書Ⅰコリント13章 

ボクシングの世界で亀田3兄弟が人気を博している。
彼らは、日本のボクシングを「耐えるボクシング」から
攻撃的なボクシングへとイメージを変えさせた。
「1ラウンドで勝つ」などと大きいことを弟は言うが、言うだけあって、
弟も兄も早くKOで勝つ。言うだけ、大変きつい練習もしている。
父親はオリジナルな練習法を編み出している。動体視力を養う
ピンポンの練習法など、きつい厳しい練習をさせている。
本当に家庭に愛が溢れている。お父さんを心から愛している。
兄は弟のほうがすごいと思い、弟は兄がいるので自分がいると思っている。
親父の練習法でやっていると絶対に負けないと思っている。
彼らは世界チャンピオンを目指している。
アジアチャンピオンになっても、チャンピオンベルトを締めなかった。
「親父の願っているベルトではないから」と言った。

Ⅰコリント13章には、
「完全な信仰があっても、愛がなければ何にもならない」と言っている。
人の心から愛を求める心は決してなくならないが、
人の愛は不完全である。愛に満ち溢れていても自分の感情を害して
状況が変わると、その人を嫌になったり、その人に乱暴な言葉を
遣ってしまったりする。1分前に愛していても、1分後には嫌になることがある。
今は召されたが、関西のある先生は有名。
結婚式に良い話をしないことで。毒舌をはく。
結婚式でこのようなことを言われる。
『お二人の幸せも今がピーク。出会いから二人の愛情はヒートアップする。
しかし、結婚式の幸せは続きません。人間のこころは変わりやすいから。
優しい夫、美しい妻と思っていても明日からは変わります。
愛はだんだん減じていき、いつかはマイナスになってしまう。
愛は育てねばならない。今、感情的に愛していても、その後どんどん冷めていく。
どきどきの愛は止められなくても、本当の違う愛情を育てていくことができる。』

神の愛は完全である。愛の基準として神の愛をしっかり持って、
それに向けて育てていけばよい。例えば寛容な愛。それを目指して祈り育てて
いくことが大切。神の愛を基準としなければならない。
愛は育てていくものと思わねばならない。

私たちの結婚1年目は、つかみ合いの喧嘩やたたきあったこともあった。
冷静な状態ではなかった。大変な毎日であった。毎日が地獄であった。
もう駄目だ、もう駄目だと思った。あんな結婚式をして、
たくさん来ていただいたのだから、駄目になるわけにはいかないと思った。
1年経ったときに、このままではいけないと思った。
打ち明けることもできずに、悶々としていた。
結婚2年目、3年目も、大変さが出て、喧嘩をした。
愛というのは難しいなあと思う。私は、愛に恵まれた生活をしてきた。
教会の人々に愛されてきた自分。逆に彼は、誉めることよりも、
叱ることで育てられた。彼は愛というのが分からない。
私は両親と一緒に、何の不自由もなく過ごした。
彼は当たり前のことができないことがあった。
彼と結婚したのは、お互いが調整しあって、私自身を鍛えるためであったと
思えるようになった。第3者が私の家庭に入って鍛えられねばならないと
思った。今は安定した生活をしている。何かあると、
両親は私を責める。主人は子どもなので、父は主人をかばう。
「おまえがやってはいけない」という。主人が父を頼るようになった。
父を愛するようになった。給料日までお金借りたいと父に頼むこともある。
父と一緒に食事に行くときを喜んでいる。私がとび蹴りしても
「たたかないでよ」と冷静に言える主人となった。

神様に愛することを教えてください、憎らしいと思う人に
愛することを教えてくださいと祈っていった人が、耐える愛、
包む愛に変わってきたという。愛を求め祈っていけば、
神様の愛はすばらしいなあと思えるはず。
人間の愛はトラブルを起こしやすい。
「神様、愛させてください!」とお祈りしてください。
イェス様は、敵を愛しなさいと言われる。怒りはしょうがないが、
感情の波が治まった時、神様の愛を行うようにしてくださいと祈ると、
そのように祈ることができるはず。
今となったら、「この人でよかったな」と思うことができる。
彼だから、親と同居できるし、彼の親に不義理もできる。
神様の愛のように、愛せるようにと祈ってください。
(文責:三浦)

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