きっと誰かが

2010年04月05日 16時39分00秒 | B地点 おむ

 

 

美しい風景や事物に心を奪われることがある
けれど、その感じを伝えることが、できるかどうか
その時、雨が上がりかけいて、桜が満開だった、と、
そう言っただけでは、解ってもらえないだろう……
水たまりに落ちている花が
冗談のように綺麗なので
神様にバカにされているようで
なんだか腹が立ってくるほどだ
何億何兆もの花びらが、一斉に開いて、散るなんて
そんな営みが、何万年も続いているなんて
それが、冗談でも無意味でもないのなら、一体、何なんだ……
空気がじっとりと重く、音がこもって、よく聞こえない
まだちょっぴり降っているから、出歩く者もない

僕とカメラのお兄さん以外には、生き物が存在してないみたい

パラレル・ワールドに迷い込んだような、不思議な感じ
どれほど言葉を連ねても、どれだけ写真を重ねても
この情景は、この感覚は、この思いは、うまく表現できない
結局、誰にも解ってもらえないような気がする
それでもやっぱり、伝えたくてたまらない
期待せずにはいられないんだ
きっと誰かが解ってくれる、って

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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6 コメント

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勝手に悩み相談室 (おかか)
2010-04-21 21:34:11
いいなあ。若者らしい清新な感覚だし、美学的だな。
カント先生に代って、私が悩みを解決してやろう。

桜の花が美しいのは
合目的性に基づく適意によって快の感情が惹起されるからだが、
この合目的性は反省的判断力による主観的なものに過ぎない。
客観的な目的がないから、「冗談」のようにも思われるわけだが、
しかしともかくも合目的的(ごうもくてきてき、と読むのだよ)なので、
その限りで決して「無意味」ではない。安心するがいい。
これを《目的なき合目的性》と呼ぶのだよ……。

さて、そのような美しさを人に解ってもらえるのか、という悩みは、
認識の可伝達性という話で、
ア・プリオリな綜合的判断としての趣味判断の演繹の問題に重なる。
恐らくは認識諸能力の同型性によって、ないしは共通感覚によって、
ま一応は演繹されるのだが、その普遍性はやはり《主観的な普遍性》だ。
客観的ではないから、実際に皆に解ってもらえ「ねばならぬ」かどうかは解らんが、
しかし主観的にせよ普遍性があるので、
解ってもらえることを謂わば「期待してよい」のだよ。

どうだ、悩みが解決したろう!

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Unknown (おむ)
2010-04-21 21:34:44
あ、あの、おかか先生……、
何を言ってるのか、さっぱり解らないんですけど。

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Unknown (ななす)
2010-04-21 22:06:20
水溜りに散った桜の花が浮いていて
何だかとっても綺麗でやんすねぇ・・・
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必殺即レス (おむ)
2010-04-21 22:09:14
ああ、解ってくれるひとがいた……!
やっぱり期待していいんだね。
ななすさん、ありがとう。
おかか先生、ありがとう。

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Unknown (kkk)
2010-04-22 23:01:43
今年の名作登場
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Unknown (おかか)
2010-04-22 23:07:01
なにー!?
私が登場してないのに名作だとーっ?

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