うーむ。どうだ若造、いい日じゃないか。 | ||
日射しはぽかぽか暖かい。だが他方、空気はひんやりと涼しく引き締まっていて、寒く厳しい冬の訪れを予感させる……。秋の日の、この謂わば両義性が、なんともいえんな。 | ||
そうだ若造、今日はお前に、若山牧水の歌を幾つか教えてやろう。テーマは「秋の日射し」だ。 | ||
「うつろ」という語が二回繰り返され、やりきれない空虚さが強調されるが、末尾では、光が「ひたあふれつつ」と言われることにより、救いと希望も感じさせる。まさに秋の日射しの両義性ではないかね? | ||
こうしてコロコロと転がると、気分最高だ。緑の草の葉が、いい香りだぞ。おや、枯葉もだいぶ落ちているな。 | ||
「ひそひそと」が上手い。これがなければ、平板な描写に堕してしまいかねないところだ。春の陽光の中の若葉とも違う。夏の日射しに照らされる青葉とも異なる。秋の、柔らかくそして寂しい太陽に、木の葉がひっそりと静かに光っている。散り急ぐ葉もある。葉が擬人化されているようにも読めるかもしれん。なんなら、この秋の葉を、おのれ自身にオーバーラップさせてみてはどうかね? | ||
最後にもう一つ。
心を覆っている煩悶や苦悩はすっとんでしまえ、秋の明るい光と仲良くしたいぜ、そうさせてくれ~、ってな歌だな。私だって辛いことはあるが、こうしてお日様を浴びていれば、嫌なことも忘れるってもんだ。 | ||
どうだ若造、下手な写真ばかり撮っててもつまらんぞ。ゴロンと横になって、秋の日射しを享受するがいい……! | ||
※引用はすべて、J-TEXTS 日本文学電子図書館から。
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