土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

明治維新の意義 その2 

2013-10-25 19:24:24 | 歴史の読み方

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

私は明治維新が近代日本に与えた影響には、国防的側面と経済的側面があると考えております。
今回は、主に経済的側面から、明治維新の意義について、斬り込んで行きたいと思います。

私は経済的側面においても、国防的側面と同様、廃藩置県が効いていると考えております。
つまり、廃藩置県なくただ政権が移行しただけならば、日本は侵略されていただろうし、
その後の国家の繁栄もなかったと、私は言い切ります。

前回記事にも書きましたが、江戸時代の日本は、藩という地方自治体国家の連合体でした。
しかし武士政権代表である江戸幕府は、藩同士の交流を禁じていたのです。
江戸城などで、幕府の許可があれば可能という程度でした。

ですから、地方藩と幕府という人的交流はあったのですが、たとえ隣同士の近隣藩であっても、内密に話をすることすらできませんでした。

これは、藩主などの武士の場合ですが、一般的な庶民であっても、藩から他の藩への人の移動も藩の許可が必要でした。

ですから、人とモノ、そして金や情報の藩を超えての交流というものが、
江戸時代には、基本的に禁じられていましたし、実際にとても少なかったのですね。

ですから、藩の特産物や米などの物流などは、江戸時代に結構発展したのですが、
それでも、江戸時代250年を通じての、日本のGDPの伸びは、せいぜい3~5%程であった・・・
という話を伺ったことがあります。

皆さん、想像していただきたいのですが、江戸時代当時は、今で言うならば、
隣の県に行くのに、パスポートを持ち、入国検査をして移動するみたいな環境だった訳ですね。

徳川幕府は、二度と戦国時代を起こさせないという理念の下、この制度を250年余り続けており、
当時の日本国民にとっては、この感覚というのは至極当たり前になっていたのです。
こうして、一藩VS幕府・・・という構図にすることで、一藩が幕府に逆らえないようにしていたのですね。

しかし明治政府は、近代国家建設の理念の下、廃藩置県を断行致しました。
これにより、日本の国内流通、人とモノ、金と情報の移動というものが、量、質、時間とも激増した訳です。

廃藩置県以前と以後の、GDPの変化をのデータを私は存じませんけど、この違いは桁違いであったはずです。
ひょっとしたら、100倍以上違ってしまった可能性がありますね。

庶民の生活は、江戸時代と明治初期ではそれほどの変化はないはずです。
幕末と明治の違いは、藩という、前時代的な規制を取っ払っただけなのです。
物理的には、全ての関所をなくし、越県の手続きをなくしただけです。

実は当時の日本は、そういう藩で区切られた経済ではありましたが、それでも3000万人の人口を擁する大国でした。
この人口は、現代のフランスと同じ規模です。
そして、貨幣は市場にしっかり流通し、相場もあり、手工業も発展し、国民の識字率も高かったのです。

つまり幕末の日本は、大国としての必要条件を十分満たしていながら、
幕藩制度があったが故に、人・物・金・情報の流れが極端に悪かったのです。
なぜなら狭い日本に、当時は300藩もあったからです。

それが、廃藩置県という、前代未聞の大規制緩和によって、日本は世界的にも有力な国家に、
自然に、そして短期間になってしまったのです。
廃藩置県こそ、日本の歴史上、いや人類が経験した出来事で、最大級の規制緩和の実例です。

皆様、現在の日本でも、藩みたいな勢力が存在していませんか?
そういうところは、やはり大胆に、廃藩置県(規制緩和)していかないといけませんね。

そう、無用な規制や、つまらない税金こそ、現代の藩なのです。
それが、歴史を知っている・・・ということではないでしょうか?(笑)

私は、今の日本は超規制大国となっておりますので、不要な法律や税収の少ない税金を廃止し、省庁もいくつか廃止して、
役所の仕事を可能な限り民営化すれば、かつての廃藩置県のような、劇的な効果が十分出ると考えております。


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2 コメント

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Unknown ()
2013-10-25 20:28:37
藩の数が300。

そんなにあったんかいな。

まあ、当時関所があり、藩から藩へ移動するには、

なんだっけ。

まあ、今で言うパスポートが必要だったしね。

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なんでしたっけ? (笑) (土佐のくじら(幸福うさぎ丸))
2013-10-26 10:16:24
英さん、
ああ、それ・・・なんでしたっけ?

う~ん、思い出せない。
くやしいなぁ。

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