土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

マッカーサーのGHQ政策は、日本の江戸時代復古運動。

2013-10-17 06:30:00 | 歴史の読み方

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
ここ最近、徳川家康の幕府の中心的な施政方針である、統治主義的天下布武に、焦点を合わせた記事となっております。

この統治主義的天下布武とは、要するに、絶対に戦国時代には戻さないという大義名分であり、
それは、現代日本の政治の中心概念である、絶対に日本は戦争をしない・・・という、日本国憲法9条の理念に通じていると思うからです。

家康の天下布武政策は、当時の日本国民を、絶対に戦国下させないための、諦めさせる政治であり、
それは、現代日本の憲法9条下における、様々な外国からの嫌がらせ等から、反論すら諦めてしまう心と同じなのです。

つまりそれこそが、弱腰外交や事なかれ主義外交の要因だと思うのです。

私は平和主義者ですから、平和自体を嫌っている訳ではありません。
しかしそれがひいては、個々人の自由を奪い、誇りを奪い、ただただ生きながらえるだけで幸せ・・・という、
戦国から抜け出したころの幸福、即ち、最小幸福社会に現代日本人を閉じ込めているなら、これは大問題であると考えますし、それが最終的に、幕末の日本のように、他国の侵略を招く要因になると考えるのです。

明治維新の吉田松陰先生や、坂本龍馬ら革命者たちの行動の原理も、結局はこの、
江戸幕府が持つ、統治主義的天下布武政策からの脱却だったと思うのですね。

日本国内が戦国下しない、つまり、国内での争いがないことのみが幸福であって、
その他のたとえば、

国民が自由に意見を言ったり、個々人が才能を伸ばしたり、国家国民が経済的な繁栄を享受したり、
他国の文化を導入しようとしたり、国内の藩通し人的交流や物資の流れを良くしたりすることがダメな社会では、
ドンドン進んで行く国際社会に、日本が飲み込まれるだけだということで、邪魔な幕府を倒し、廃藩置県をして、
新政府を樹立したのではないでしょうか?

そして鎖国を改めて開国し、他の国々とも連携して、防衛権を拡大していかなければ、日本が守れなかったからこそ、
軍事革命としての明治維新革命は、今でも信任されていると思うのです。

つまり脱江戸時代、統治主義的天下布武からの脱却こそが、明治維新革命だったと思うのです。

その結果日本はその後、大東亜戦争にまで行くのですが、その経緯は、カテゴリー【誇るべき日本の歴史】に記載しておりますので、ご参照いただければと存じます。

先の大戦で日本は、アメリカとの戦争で負けてしまい、その結果GHQの施策を、日本は受け入れなければなりませんでした。

しかしそのGHQの日本政策は、
今後日本を、絶対に戦争させない国家にする・・・というものであったはずです。

それはなぜか?
戦前の日本が、悪い国家であったからではありません。

強かったからです。
そして、正しさを持った国家だったからです。

なぜなら、戦前の日本の基本的外交政策は、人種差別の撤廃だったからです。
その人種差別撤廃理念が、当時の人種差別を前提とした、植民地主義的国際世論との対決こそが、日本最後の戦争の要因です。

でなければ、あれだけの孤立化、つまり全世界が石油を止めるような、非人道的孤立化にまで行くはずはないからです。
北朝鮮にだって、石油全面輸出などしていないはずですよ。

強く正しい国家であったからこそ、世界にたくさん植民地を持つ国々の集まりであった連合国・・・
つまり、人種差別主義的侵略者であった彼らは、日本ネガティブキャンペーンを張って、自分たちの悪を隠蔽したのです。

それにより、9条を半ば押し付けられ、日本は国家としては不平等な立場で、今まで生きてきたのです。

江戸時代は、脱戦国政策の仕上げ・・・つまり、統治主義的天下布武により、日本国民は様々な我慢を強いられました。
それが日本国民の美徳である、我慢強さを生んだ背景にあることは認めます。
しかしその我慢強さが、子孫に迷惑をかけるようでは問題です。

GHQは、日本の歴史を知ってか知らずかわかりませんが、日本の明治維新革命を否定し、
それ以前の江戸時代の概念で、戦後の日本を作ったのです。

現代に生きる日本人は、もっと江戸時代の統治の原理を研究しなければいけません。
でなければ、本来の日本人が持つ、快活で美しい姿を取り戻すことができないので、とても残念なことだと私は思うのです。

                                                  (続く)    









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