土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

明治維新は、中途半端な革命だった。

2013-10-18 10:47:35 | 歴史の読み方

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

徳川江戸幕府の施政方針の中心が、統治主義的天下布武=絶対に戦国時代に戻さないであり、
戦後日本の施政方針の中心とも言える、日本国憲法9条の戦争放棄と繋がっていることを、前回記事で述べました。

それは絶対平和主義であるけれども、それが今の日本を苦しくしている現況であるならば、幕末における日本の危機と同じものがいずれ日本に現れてくるでしょうし(今がその時なのかも知れません)、江戸幕府と同じ原理で、いつの日か、現代の日本が大きく変わるだろうと、歴史愛好家の私は考えております。

そのかつての脱絶対平和主義とも言える、明治維新革命も、先の大戦でGHQの施策によって、脱明治維新化されて、現代に至っているのですが、その明治維新革命においても、私はやはり不十分な面があったからこそ、GHQの介入を防ぎきれなかった面や、そもそもの先の大戦に至る要因になっていると考えます。

すべては仏陀釈尊の言われるがごとく、原因あって結果ありでありますので、何事も反省するならば、原因を突き止めていかなければ、先への教訓に生かすことはできません。

ですから、今の日本の歴史ではほぼ肯定かされている、明治維新の問題点について今回は言及いたします。

明治維新は、700年続いた武士社会を終わらせたもので、それによって近代化されたのですが、なぜそれで近代化されたかというと、幕府が権限として持っていた、武士の土地の所有権と戦をする権限を、大政奉還によって奪ったからです。
それによって明治新政府は、廃藩置県という、歴史上の無血革命を成しえたわけですね。

そして明治新政府は日本の代表政府として、国際社会の表舞台に立つのですが、そこで困ったのが、
日本の新しい国体をどうするか・・・であったはずです。

なぜならば、当時の先進国と言われた欧米列強諸国は、押しなべてキリスト教国であったからです。
キリスト教と言えば、一神教です。
つまり、当時の世界情勢下であれば、先進国=一神教国だったわけです。

ひるがえって日本はと言えば、もちろん江戸幕府体制下での、表向きの国教は儒教でしたが、これは江戸幕府の施政方針である、統治主義的天下布武の方法論である、『あきらめさせる体制』をやりやすくする目的だったと思います。

儒教では、秩序を重んじますから、偉い人には服従・・・という体制になりやすいですし、古い人も重んじますから、伝統的な支配体制の意所には持って来いの思想であります。
これは、儒教文化圏でもある、中国や南北朝鮮の思考を見れば、よくわかることだと思います。

ただ日本の場合は、中国や南北朝鮮のように、国教となったからすぐに他の宗教を排撃するようなことは、それまではありませんでした。
島国的な、思想信条にチャランポランなところが幸いしたでしょうし、それが聖徳太子以来の、日本の良き伝統でもありました。

ですから江戸時代に、日本の国教が儒教に変わっても、日常生活レベルにおける、一般的日本人は、庶民から統治者にいたるまで、禁教であったキリスト教以外は、神道もあれば仏教も混在し、まさに八百神(やおおろずのかみ)状態であったのですね。
実際に、統治者の幕府は、国教は儒教としながら、神社仏閣の修繕や新築もしております。

しかし明治維新政府は、この日本の良き伝統である、八百神々状態を反故にしたのですね。
つまり廃仏毀釈です。

当時の欧米列強=キリスト教国(一神教)ですから、日本も一神教国にしたかったのだろうと思います。
一神教国でなければ、先進国の仲間入りができないと、当時の元勲たちが判断したと私は考えます。

これは明治維新の革命の大義名分が、王政復古・・・つまり、武士社会ができる前の状態に戻す・・・ということですから、
平安時代以前の天皇が中心の政治体系に戻したかったのでしょう。
天皇は、日本神道の最高の神官でもある宗教家です。

天照大神の子孫が天皇ですから、神道の神官でもあり、実際に今上天皇も、神事をなさっていらっしゃるのですね。

王政復古ですから、天皇=日本神道、そして一神教にするには、天皇=現人神という国家神道体制にして、一神教の体制を作りたかったのだろうと思うのですが、明治維新の元勲たちが理想としていたと思われる武士以前の社会というのは、実は日本神道一本槍の社会ではなかったのです。

約1500年前の聖徳太子の時代以降、仏教に帰依した天皇による親政が、日本の国体であったし、元勲が理想としたものであったはずなのです。

しかし、こともあろうに、頭に置くべき仏教を明治政府は排撃しました。
明治政府は、キリスト教は公認しましたから、これは明らかに、列強諸国への配慮であり、日本を一神教国だと思わせるためのものであったことは間違いありません。

当時仏教国は、押しなべて後進国・・・というより、列強の植民地でしたから、見場が悪かったのかも知れませんが、
1500年以上続いた日本の国体、日本の良き伝統を配した明治以降の日本は、日本人が古来より持ちえた、おおらかさや自由さを奪い、それが結局GHQに突け込まれていると私は考えます。

今日本はやっと、憲法論議などが始められるような状況になりつつありますが、安部総理の憲法論にしても、元首は天皇で、9条の廃止です。

これはつまり、戦前の日本に戻る・・・ということです。

長くやっていれば、必ずそうなります。
原因結果からは、誰も逃れられません。

そうではなく、日本の本来の姿に戻したいならば、もっと前に戻らなければなりません。
そう1500年前の、聖徳太子の精神にまで遡らないと、日本は取り戻せないのです。

仏教的科学的、原因結果の歴史観で言うならば、そこまで踏み込まないといけないのです。                                        
                                         

                                                           (続く)





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2 コメント

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Unknown ()
2013-10-18 19:23:16
そうですねぇ。
最初自分は、せめて鎌倉時代までもどれば、
と、思ったけど、やっぱり、聖徳太子まで、
もどらんと駄目ですね。
やっぱり、日出ずる国の天子まで、いかんと
今のシナには駄目ですね。
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はい、そう思います。 (土佐のくじら)
2013-10-19 09:11:43
鎌倉幕府は、元寇を防ぎました。
防衛戦力面での鎌倉時代や、その前の時代は検証の価値ありです。

ただ、中国が共産主義=無神論であるがゆえに、日本の国防を確固たるものとするには、日本が神仏を尊ぶ国家であることが、国民の総意であることが、最終的には決め手になると私は考えています。

中国政府が、自国内で爆発的に広がるのを嫌がる宗教勢力を、日本人は大切にするべきです。
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