土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

家康型統治の天下布武と現代日本人

2013-10-15 12:12:38 | 歴史の読み方

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

信長型原理主義的天下布武、そして秀吉型現実主義的天下布武の長所と短所を考察した結果、
家康が幕府立ち上げの理念としたのが、統治主義的天下布武政策であろうと思います。

天下布武の総仕上げこそ、家康を初めとする、徳川幕府の基本的な政策であった・・・。
こう見ることで、江戸時代の様々な出来事の、一本の筋が見えるのです。

まず仕置きにおいて、前田家加賀藩100万石を筆頭に、巨大大名は姿を消します。
これで、次の天下取りを単独で行える、可能性を持つ勢力が日本にはなくなりました。

そして、大名通しの婚姻のみならず、許可なしで藩通しが話をすることも禁じられます。
江戸幕府は国内最大、唯一のスーパーパワーではあるのですが、以外ですけど、国内の過半数を超える領地は、
幕末まで持てませんでした。

もしも、幕府以外の大名が結託すれば、ひっくり返される可能性はあったのですね。
ですから、それぞれの藩は、個別に幕府とのみ交渉できるスタイルにしたわけです。

そしてこれは、私の予想ですが、藩通しは、仲が悪くなるように、情報操作されていたのではないか・・・と思っています。

隠密などの諜報部隊を使って、流言を流したりすることで、藩通しが結託しないよう、お互いが嫌いになるように、
情報操作されていた可能性がありますね。
今でも、隣りの県通しは、妙なライバル関係がありますよね。

実は高知県民は、他の四国県民に対して厳しい所があります。
他にも、そんな微妙な関係って、あるのではないでしょうか?(笑)
その発端は、江戸時代の諜報活動にあるかも知れません。

初代将軍家康、そして二代将軍秀忠時代には、盛んに藩のお取り潰しも行われます。
功績のあった外様大名には、報酬として所領の大幅UPをいたしましたが、それらは元々小藩ですから、大藩の運営を知りません。

ですから、旧領主を信奉する勢力との、藩内でのイザコザに悩まされました。
それらが、肥後藩加藤家や、安芸藩福島家の取り潰しの口実になり、後釜には譜代家臣を入れることで勢力を広げました。
秀吉から、慣れた三河から関東へ移された辛い経験が、これらの仕置きに繋がっていると思います。

一方、豊臣時代に大藩で、関が原では西軍に付いた毛利家や上杉家、島津家などは大幅な所領減となり、藩の運営は厳しいものとなりました。
家臣が多いので、かなり困窮したはずです。
しかし、家臣が多いことは、幕府から見れば攻めにくいので、お取り潰しには至らず、幕末まで生き残ることとなります。

士農工商と言われるように、身分制度も固定化され、さらにそれらは、微妙な嫉妬と揚げ足取り関係にありました。

徳川の元々の家来であったものは、旗本といいます。
幕府の政治は、この旗本しかできませんでした。

つまり、政治権限は旗本が握っていました。
しかし、旗本の多くは、広い所領は与えられませんでした。
関が原での手柄がなかったからでず。

一方大名には、広い所領は与えられましたが、幕政に関与する権限はなく、常に旗本に監理されている立場でした。

旗本と大名は、嫉妬と憎悪の関係だったのです。
これは、薄給ながら行政権を持つ官僚と、多くの所得は得やすいが、お上の業務権限に怯える一般庶民の構図と変わらず、
今でも江戸時代と仕組みは変わっていないように私には見えます。

カテゴリー増税亡国論で、好景気を嫌う官僚を非難しましたが、その根源は、江戸時代にあると私は思うのです。

江戸幕府の基本姿勢は、国民に我慢させること、そして、夢を持たせないことだと私は思いますね。

また、5人組制度などの集団責任体制もつくられました。
そして何かあれば、連帯責任を取らされました。

250年も続いた江戸幕府の時代。
この基本政策は、徳川に反抗する勢力が分断し、それぞれが、嫉妬し憎悪する関係を作り出したと思います。

そうやって、不満が幕府に向かないように仕向け、倒幕勢力が一致団結しないように仕向けました。
「絶対に、戦国時代には戻らない。」という、大きな理念の下に。

これは、平和への強い意志の現われでしょうが、それまではなかった、日本人の国民性をつくったと思います。

出る杭は打つ。
個々人の個性を尊重しない。
結果平等主義。
問題を先送りにする。
悪いところには蓋をする。
事なかれ主義。

今も残る日本的な負の部分、この大部分は、江戸時代に形成されたものであると私は考えます。
日本人が本来の姿を取り戻すには、歴史を再考し、江戸時代のネガを克服する必要があると思うのです。

                                       (続く)


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6 コメント

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Unknown (英)
2013-10-15 16:03:04
ちゅうことは、日本人のお上意識はこのころ醸成された中ことやね。
そうだと思います。 (土佐のくじら(幸福うさぎ丸))
2013-10-15 18:09:32
英さん、コメントありがとうございます。

はい、そうだと思います。
この時期起源の文化や、民族意識や傾向性の根源は、相当にまで及んでいると考えます。
これも!転載させていただきました~ (megamiyama)
2013-10-16 10:36:20
いつも興味深い記事、有り難うございます。

日本を、“成功した社会主義国家”だという言い方がありますが、江戸時代こそ、社会主義者が夢見る「最小幸福社会」を達成した「夢の国」だったのかも知れませんね。

何でも先ず一番にやってのけるのは良いにしても、今、世界が左傾化していくのも、日本が知らず知らずのうちにリードしてきた気もしてきます。

そろそろ、又、“開国ドキ”ですね!
時期ですね。 (土佐のくじら(幸福うさぎ丸))
2013-10-16 11:39:27
megamiyamaさん、コメントならびに、記事のご紹介、いつもありがとうございます。

世界の左翼化は、日本から始まった・・・おぉ、興味深い見解です。
江戸時代=最小幸福社会論も、歴史屋としては、ビンビンくるワードでございます。

megamiyamaさんは、歴史眼を持っていらっしゃいますね。

ソレが本当なら! (megamiyama)
2013-10-18 05:53:56
全ては、土佐のくじらさんの分かり易い記事のお陰デス!

では、土佐のくじらさんのブログを読めば、誰でも「歴史眼」が身につくことを、身を以て証明させて頂きます!(思わず余計な宣言してしまいました…が、ご指導の程よろしく!)

megamiyamaさんの・・・ (土佐のくじら(幸福うさぎ丸))
2013-10-18 11:48:25
おぉ、そうならば私が、megamiyamaさんの歴史眼を開いてしまったのですか?

おぉ私、ドエライことを、やっちゃったかも・・・です。(^^;

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