昨日に続いて今日も雲が比較的多い日であった。内陸は25度以上に上がったようだが、釜石は21度までで、暑くはない。甲子川の水もさらに引いて来ているが、山際では少し雨模様なのかまだ普段の状態までには戻っていない。カジカガエルの声を聴いていると、よほどこの川が綺麗なのだと分かる。普通であれば山奥の清流でなければ聴くことが出来ない。こんなところにも釜石の自然の豊かさを感じてしまう。しかし、今日はウグイスの声は聴かれなかった。オオヨシキリは相変わらず甲高い声で鳴いていたが。 福島第一原発事故により、放射性物質は広範囲に散ったが、地元福島県がやはり高濃度に汚染された。その高濃度に汚染された福島県を事故後、政府は除染して来た。そこで政府は集められた汚染土や高放射線濃度の焼却灰をとりあえず最長で30年間保管する中間貯蔵施設を第一原発に近い福島県の双葉町と大熊町に建設しようとしている。このため環境省は両町の住民を対象に15日の郡山市、仙台市での最後の説明会を含め計16回を終えたばかりである。しかし、地元紙によれば、環境省の説明は内容に具体性が乏しく、検討事項が多く、参加者からは不満と不信感が噴出していると言う。大熊町、双葉町のそれぞれの町長は「このままでは、受け入れの是非の判断に入らない」と態度を硬化させているようだ。そんな中で、説明会を終えた翌日の16日、石原伸晃環境大臣は首相官邸で記者団に対し、中間貯蔵施設の建設について、「最後は金目でしょ」と語った。この建設では地元への交付金額や地権者に対する補償額も焦点の一つだ。そもそも、原発の建設自体が多額の交付金と補償で進められて来た。「安全」を不安視する住民に対して口を閉ざさせる方法として「金」と「神話」で押し切って来たのだ。推進する国も決して本来は「安全」などとは考えていなかった。考えていないからこそ、法で人口密集地には建設させないとしたのだ。疲弊する地方に「金」で受け入れさせて来たのが原発である。政府としては中間施設も同じく「金」で受け入れさせようとするのはこれまでの方針通りである。ただその本音は政治家としては表には出せないものだ。しかし、現在の政治家の劣化はその本音をつい出させてしまう。二世、三世議員が増え、劣化は留まるところを知らない。この劣化を支えているのが、さらにメディアの劣化だろう。石原氏は原発事故の翌年にも福島第一原発を「第一サティアン」と呼び、福島県民を逆なでしている。同党の高市早苗政調会長は昨年6月には、「原発で死亡者は出ていない」と発言し、原発事故後に多くの関連死を出した福島県民を同じく逆なでした。しかし、こうした発言が出てもメディアはこうした要職にある政治家への追及は一時的なもので終わってしまう。こうした政治家は原発推進派だからである。原発に慎重であった鉢呂吉雄元経済産業大臣の場合は、福島を「死の街」と表現したためにメディアは執拗に叩き、辞任に追い込んだ。福島県民でさえ自分たちの街が「死の街」と感じていた時にである。メディアも民間企業であり、広告料で経営が成り立っている。そのため大口の広告料を出す電力会社には逆らえない。やはりここでも「金」がものを言う。しかし、いつまでも「金」がものを言う状態を放置していれば、日本の社会は間違いなく崩壊して行くだろう。時の政府の解釈次第で憲法を左右出来るようなことも含めて規律の失せた社会はもはや社会とは言えないだろう。
姫月見草