釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

政治家の「失言」

2014-06-18 19:15:35 | 社会
昨日に続いて今日も雲が比較的多い日であった。内陸は25度以上に上がったようだが、釜石は21度までで、暑くはない。甲子川の水もさらに引いて来ているが、山際では少し雨模様なのかまだ普段の状態までには戻っていない。カジカガエルの声を聴いていると、よほどこの川が綺麗なのだと分かる。普通であれば山奥の清流でなければ聴くことが出来ない。こんなところにも釜石の自然の豊かさを感じてしまう。しかし、今日はウグイスの声は聴かれなかった。オオヨシキリは相変わらず甲高い声で鳴いていたが。 福島第一原発事故により、放射性物質は広範囲に散ったが、地元福島県がやはり高濃度に汚染された。その高濃度に汚染された福島県を事故後、政府は除染して来た。そこで政府は集められた汚染土や高放射線濃度の焼却灰をとりあえず最長で30年間保管する中間貯蔵施設を第一原発に近い福島県の双葉町と大熊町に建設しようとしている。このため環境省は両町の住民を対象に15日の郡山市、仙台市での最後の説明会を含め計16回を終えたばかりである。しかし、地元紙によれば、環境省の説明は内容に具体性が乏しく、検討事項が多く、参加者からは不満と不信感が噴出していると言う。大熊町、双葉町のそれぞれの町長は「このままでは、受け入れの是非の判断に入らない」と態度を硬化させているようだ。そんな中で、説明会を終えた翌日の16日、石原伸晃環境大臣は首相官邸で記者団に対し、中間貯蔵施設の建設について、「最後は金目でしょ」と語った。この建設では地元への交付金額や地権者に対する補償額も焦点の一つだ。そもそも、原発の建設自体が多額の交付金と補償で進められて来た。「安全」を不安視する住民に対して口を閉ざさせる方法として「金」と「神話」で押し切って来たのだ。推進する国も決して本来は「安全」などとは考えていなかった。考えていないからこそ、法で人口密集地には建設させないとしたのだ。疲弊する地方に「金」で受け入れさせて来たのが原発である。政府としては中間施設も同じく「金」で受け入れさせようとするのはこれまでの方針通りである。ただその本音は政治家としては表には出せないものだ。しかし、現在の政治家の劣化はその本音をつい出させてしまう。二世、三世議員が増え、劣化は留まるところを知らない。この劣化を支えているのが、さらにメディアの劣化だろう。石原氏は原発事故の翌年にも福島第一原発を「第一サティアン」と呼び、福島県民を逆なでしている。同党の高市早苗政調会長は昨年6月には、「原発で死亡者は出ていない」と発言し、原発事故後に多くの関連死を出した福島県民を同じく逆なでした。しかし、こうした発言が出てもメディアはこうした要職にある政治家への追及は一時的なもので終わってしまう。こうした政治家は原発推進派だからである。原発に慎重であった鉢呂吉雄元経済産業大臣の場合は、福島を「死の街」と表現したためにメディアは執拗に叩き、辞任に追い込んだ。福島県民でさえ自分たちの街が「死の街」と感じていた時にである。メディアも民間企業であり、広告料で経営が成り立っている。そのため大口の広告料を出す電力会社には逆らえない。やはりここでも「金」がものを言う。しかし、いつまでも「金」がものを言う状態を放置していれば、日本の社会は間違いなく崩壊して行くだろう。時の政府の解釈次第で憲法を左右出来るようなことも含めて規律の失せた社会はもはや社会とは言えないだろう。
姫月見草

武器輸出解禁

2014-06-17 19:30:14 | 社会
今日は薄日の射す一日で、気温は19度までであった。風が気持ちいい。湿度が高いのか、やはり歩くと汗ばんで来る。昼休みに大渡橋を渡る時に、河川敷で自転車を止めて1頭の若い鹿に向けて写メを撮っている小学生3人の姿が見えた。鹿との距離は2mほどで、鹿は固まったように動かない。後で、その鹿が心配で行ってみると、姿が見えない。川沿いを探してみると、対岸の中州の草むらに1頭の若い鹿がいた。ゆっくり川下に向けて10mほど移動すると、川下方向から小さな鹿が姿を見せ、早速ミルクを飲み始めた。母親鹿もまだ若い。山よりはこの中州の方が草も豊富で、外敵もいないのだろう。 昨日からフランスのパリ郊外で世界最大規模の兵器や防衛装備品、災害対策設備などの国際展示会「ユーロサトリ」の開催が始まった。三菱重工業や日立製作所など日本の防衛産業14社が参加し、今回初めて日本企業を集めたブースが設置された。38年間武器禁輸政策下にあった日本の防衛産業の“国際デビュー”である。武器輸出三原則は1967年に定められ、1976年の三木内閣が対象国以外にも武器輸出を「慎む」との見解を発表し、事実上、全面的な武器輸出禁止となっていた。日本は平和憲法とこの武器輸出三原則によって国際的に平和国家のイメージを育んで来た。しかし、「戦後レジュームからの脱却」を掲げ、「日本を取り戻す」ことを目指す首相は「戦争の出来る国」になることに執着し、4月1日、国会に諮ることもなく、閣議決定により実質的な武器輸出解禁となる防衛装備移転三原則を決めた。共同通信が2月に行なった世論調査では、武器や関連技術の輸出を原則的に禁じる「武器輸出三原則」緩和への反対は66.8%に上り、賛成の25.7%をはるかに上回っていた。米国の経済情報会社であるブルームバーグBloombergによれば、米国のノースロップ、レイセオン、英国のBAEシステムズなど欧米の軍事産業は80%以上を軍事部門で収益を上げているが、日本で防衛部門に参入している大企業の売り上げ全体に占める同部門の割合は小さいと言う。最大手企業である三菱重工で防衛・宇宙部門の比率は2014年3月期連結決算の4-12月期の累計を見ると、売上高では13%だと言う。国際政治、安全保障が専門である桜美林大学加藤朗教授によれば、日本の防衛産業には国際的な武器市場での価格競争力がなく、共同開発に参加をしても、最先端技術の部分はブラックボックス化されていて、日本にそのノウハウは得られない、と言う。今回の「ユーロサトリ」への日本企業の初参加も、実際には、事前に政府が各企業に出展を働きかけたために、企業も仕方なく参加せざるを得なかった側面があるようだ。首相は「日本を取り戻す」ために国会を無視した手法を繰り返し、「積極的平和主義」の名の下で、アジア近隣に積極的に「緊張」を作り出している。首相の「戦後レジュームからの脱却」は日本がアジアを侵略した歴史を否定することでもある。それを知るアジアだからこそ、逆にアジアは現在の日本に警戒心を抱いている。国内的には経済の根本的な回復に手をかけず、目先の株価の上昇だけを追い、斜陽産業となって来た産業の保護に費やし、本来の「成長戦略」を撃ち出さないまま、対外的に緊張を生み出す軍事力の強化に執着している。少子高齢化が急激に進んで行く現在の日本で、格差が拡大しており、意識的に国民の不満を募らせているのではないか、と勘ぐりさえしてしまう。国民の不満が募れば、それを対外的な不満解消に向けて来たのが過去の歴史が示す戦争の実態である。まさに首相が目指す「戦争の出来る国」が実現出来るのだ。
若い鹿が1頭だけ対岸にいた

近くにはその鹿に駆け寄り、ミルクを飲む子鹿がいた

住田町の荒脛神社

2014-06-16 20:07:01 | 歴史
今日は朝は少し日が射していたが、海のそばの職場近くは曇天で、結局、気温も20度までしか上がらなかった。内陸では25度まで上がったようだが。早いところではもう紫陽花が咲き始めていた。庭の地植えの紫陽花はまだ蕾の段階だ。菅や百合の蕾も膨らんで来ている。だめだと思っていた雪の下も白い花を咲かせて来た。曇天や雨が続いても、こうして時期が来ると花たちはしっかり咲いてくれる。せっかく咲いてくれた花たちなので、どの花も咲いた後には写真に収めている。フィルム時代だととても無理だったろうが、デジタル時代はとてもありがたい。メモリーの量も格段に増えている。 釜石の南西、遠野のほぼ南に住田町がある。人口が6,000人を切る小さな町だ。四方を山で囲まれた9割は森林が占める林業と農業の町だ。1955年に上、下有住(ありす)村と世田米町の3つの町村が合併した際に、それぞれの地名から「住」と「田」を一字ずつとって、住田町となった。1970年には1万人を超えていたが、林業の衰退とともに人口が減少したようだ。町内を全長44Kmの陸前高田市を通り広田湾に注ぐ清流の気仙川が流れる。アユやイワナ、ヤマメが生息し、全国からも釣り人がやってくる。この住田町にはそれぞれ縄文早期から晩期まで使われた二つの遺跡がある。蔵王洞窟遺跡と湧清水洞窟遺跡であり、前者は独特の土器「蔵王紋式」が出土し、後者は28体の人骨が見出されている。いずれも横穴式洞窟で、長く使用されていることから、このあたりは豊かな植生に恵まれていたのだろう。洞窟生活をしているところから、『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』で言う先住の狩猟民であった阿蘇部族の人たちかも知れない。同書では阿蘇部族に遅れて、津保化族がやって来て、津保化族は平地で竪穴式の住居に住んでいる。彼らを統一して、安日彦(あびひこ)・長髄彦(ながすねひこ) 兄弟が中国からの亡命者とともに荒覇吐(荒吐・荒脛巾)(あらはばき)王国を打ち立て、アラハバキの神を祀った。アラハバキの信仰では天・地・水が祀られる。皇后である母親が安日彦の末裔である奥州安倍氏の血を引く聖武天皇の娘安倍皇女(通常は阿倍内親王と言われる)、後の女帝孝謙天皇、重祚した称徳天皇によって天なる浄法寺、地なる西法寺、水なる極楽寺が建立されている。未見だが『東北陸羽史談 二』[陸州三大寺之事]に「荷薩體の七時雨山浄法寺、閉伊の東日山西法寺、和賀の国見山極楽寺はいずれも荒覇吐神を祀った聖地跡である。」と書かれているようだ。現在も北上市に国見山極楽寺のみが残っているが、往時は700の堂塔と36の僧坊からなる大寺院であった。住田町にも.荒脛神社がある。小さな祠が祀られている。未見だが『陸奥抄史』には「猿ヶ石南北に存在せる貞任山の二山これに解くべきかぎありとも曰ふ遠野村に今亡き西法寺は日下将軍の建立せし古寺なりと曰ふ荒覇吐神社社貞任山二山にありと曰ふも定かならずと地住の人曰ふ」とあるようで、遠野にある二つの貞任山にも荒覇吐神社があったようだ。ここで言う「日下将軍(ひのもとしょうぐん)」とは奥州安倍氏を指す。遠野も住田も縄文時代以来東北の固有の歴史を刻んで来た地である。住田は後に伊達家の領内となり、遠野は南部家の領内となるに及んで、安倍氏の事蹟は失われ、荒覇吐信仰も忘れられて行った。
薄雪草(エーデルワイス)

釜石近辺の交通事情

2014-06-15 20:48:49 | 文化
今日は多少日射しが射す時があったが、雲が多く、ほぼ曇天の一日だった。気温は22度ほどまでで、風には爽やかさがあった。甲子川の水も一時に比べて少なくはなって来ているが、まだ普段よりは多く、瀬音も高く聴こえて来る。今朝はウグイスの声だけ聴こえ、オオヨシキリの声は聴かれなかった。市街地を車で走っていると南側の自動車道工事が行なわれている山にはあちこち切り開かれたところが見られ、よく見ると、恐らく、雨の後の土砂崩れを心配しての調査だと思われる工事関係者の姿が見えた。実際、一カ所は土砂が崩れている。今後もまだ雨は続くだろうから、この時期の工事は大変だろう。隣りの遠野の区間もまだ繋がっていないので、やはり遠野でも自動車道の工事が盛んに行なわれている。釜石自動車道は今、花巻から東北自動車道と分かれて、遠野の西まで繋がっているが、そこから遠野の東の端までが繋がっていない。遠野の東の端から釜石の西の端までが先に開通している。現在の釜石市内での工事はその釜石の西の端から海岸沿いの三陸自動車道に向けて行なわれている。その三陸自動車道も部分的な開通しか行なわれていないために、こちらも急ピッチで工事が行なわれている。確かに、これらの自動車道が完成すれば、便利にはなるだろう。今日も買い出しのために遠野へ出かけたが、釜石ー遠野間の自動車道を走っていて、いつも思うのは、スピードだ。自動車道は70Km制限になっている。一般道でもたいていは50Km制限であれば、それより10Kmくらい早いスピードで流れている。しかし、この釜石ー遠野間の自動車道では時には60Kmくらいのこともある。遠野から花巻までの区間ではまずそんなスピードは見られない。釜石は地方ののんびりしたところがいい点だが、この自動車道のスピードだけは何とかならないものかと思ってしまう。先日などはさすがに誰かもいらついたのかクラクションを鳴らせてせかせているようだった。釜石のような沿岸部から内陸方向へ行く人には、比較的近い距離へ行く人と、遠くへ行く人が交じり合っている。近くの人はのんびりとマイペースで走る人が多いのだ。一般道でも近くの人はマイペースで走る人が多い。そのマイペースが身についているせいか、長距離の一般道でもマイペースで走り続けて、岩手ではすぐに長い行列が出来てしまう。誰も追い越しをしない。後から来た人も前が長い列を作っているので、追い越せないのだ。片側2車線の意味を考えないで走る人もとても多い。のんびりとしたマイペースは個人としてはそれでもいいだろうが、今少し前後の車の動きにも注意を払ってくれるとありがたいのだが。
つばめ水仙

簡単にいい写真が撮れる時代

2014-06-14 20:29:54 | 文化
ここのところ沿岸部の釜石と内陸の盛岡や北上との気温差が日によって大きく変わっている。一般的に、内陸の方が初夏を含めて夏場は気温が高い。しかし、先日に続いて、今日も釜石の方が高くなっている。今日は釜石が25度まで上がり、盛岡は21度のようだ。明日の釜石はさらに2度ほど高い予想になっている。今日は朝から日射しが出て、散歩しただけで、汗が出た。久しぶりに晴れて見ると、もう夏の雲が出ている。残念ながら明日はまた曇りになるようだ。ともかく一日でも晴れてくれると、この時期は植物のために安心出来る。 先日、人からレンズが交換出来る一眼レフとコンパクトなデジカメでは何が違うのか、尋ねられた。あらためて訊かれてみると、少し考えてしまう。しかし、やはり、大きな違いはレンズにある。レンズは人の目にあたる。その目の善し悪しで、映像は決って来るのだろう。フィルム時代のレンズは人の叡智を結集して設計され、それだけに各社個性のあるレンズを出していた。しかし、デジタル時代に入ると、レンズもコンピューターで設計されるようになり、とても優秀だが個性を失って来た。コンピューターにすべてのパラメーターを最適化させれば各社同じような設計になってしまうのは仕方のないことなのだろう。そうやって設計された現代のレンズは日々優秀なレンズに変わって来ている。その結果、誰が撮ってもそこそこいい写真が撮れるようになった。人の目の明るさを1とすると、それに近い、場合によってはそれ以上に明るいレンズが高級レンズと言われ、高価でもある。コンパクトデジカメも最近ではそう言う明るいレンズを搭載するものが出て来ている。ただ、状況に応じてレンズを交換出来る一眼レフはやはりレンズも優秀なものを使えば、写真の出来はまだまだ一眼レフの方がいい。何でも基本は高価なほどいいものがあるのは当然だろう。それでも各社はズームの出来ない単焦点レンズと言うものの中に、安くてとても優秀なレンズを1本は作っている。そのレンズが釣り餌の役割をしていると言う噂もあるようだが。いずれにしても、今や素人でもいいレンズを付けた一眼レフで撮れば、かなりの写真が撮れる時代になった。そうなってくるとプロはある意味で追い込まれて来る。並の撮り方ではやって行けなくなってくる。プロは素人が思いつかないような視点を見出して行くしかない。実際、素人向けの上達術を伝授するプロの教えにはある対象を様々な視点で撮ることが入っている。ただ一つの対象を様々な視点から500枚撮ることを勧めている。これだけ撮れば必ず1枚はかなりいい写真が撮れるだろう。現在のデジタルのカメラは画像を記録するメモリーの容量が大きくなっているので、フィルムのように撮影枚数を気にする必要がない。従って、500枚くらいの撮影は十分可能だ。ただ、その根気があるかどうかだろう。携帯やスマートフォンに付いたカメラを入れれば、誰もが容易に写真を撮れる時代になった。それもそこそこのいい写真が撮れる時代だ。素人にはありがたいが、プロは逆に大変な時代を迎えたとも言えるだろう。
庭のニッコウキスゲ

世界の絶滅危惧種となったニホンウナギ

2014-06-13 20:57:46 | 自然
今日は久しぶりに朝から日が射して来た。甲子川は昨夜の雨でさらに水量が増し、流れの勢いも強くなっていた。釜石自動車道の延長工事をやっている山肌は雨のために崩れ落ちていた。川の中まで杉の木が何本か倒れ込んでいるのが見えた。日中は28度まで上がり、日射しももうすっかり夏の日射しになっていた。今日も又、昼休みに市営ビルの近くへ行くと、観光バスが止まっており、山の中腹のフェンスのある津波避難所にはバスから降りた観光客たちが市街地を見下ろして、説明を受けているようだった。職場に隣接するキリスト教会でも3人の若い白人がボランティア活動をやっていた。 世界で最も権威ある国際自然保護連合(IUCN)の絶滅危惧種のリストにニホンウナギが載ってしまった。三段階の分類中、緊急度は二番目で、ジャイアントパンダやトラも同じランクだ。日本は世界のウナギ消費の7割を占めている。天然ウナギが激減し、養殖ウナギに頼って来たが、その養殖ウナギも稚魚であるシラスウナギを輸入に頼って来た。しかし、絶滅危惧種に指定されると、輸入も厳しくなって行くだろう。宮城県の仙台市と相馬市のちょうど中間に角田市がある。ここは阿武隈川が流れており、縄文時代には海進のために海面が現在より5~6mも高く、阿武隈川周辺も海であった。そして、角田市ではたくさんの貝塚が発掘されている。その一つの土浮(どぶ)貝塚では釣針や縄文土器、イノシシ・シカ・タヌキなどの獣骨類、その他にもアサリやシジミなどの貝類、そしてクロダイ・スズキ・ニゴイなどの魚骨に混じってウナギの魚骨も見られた。この貝塚は縄文前期、6000年前のものだ。茨城県の霞ヶ浦南岸にある陸平(おかだいら)貝塚は大森貝塚を発掘したことで知られるエドワード・S・モースの日本人弟子たちが日本で初めて発掘調査をした「日本考古学の原点」と言われる貝塚だが、ここでもウナギの魚骨が見られている。縄文前期から後期にかけての貝塚だ。日本の縄文人たちはすでに栄養豊富なウナギを食べていた。万葉集には大伴家持(おおともやかもち)の詠った2首にもウナギが登場する。家持の活躍した奈良時代はウナギは「胸黄(むなぎ)」と言われたと言う。出雲風土記にもウナギが登場しているようだ。太古から日本人はウナギを食べていたが、現在よく知られる蒲焼きは1399年に書かれた『鈴鹿家記』に初めて認められている。しかし、このころの蒲焼きはウナギを筒切りにして、串にさして焼いただけのもので、現在のような開いて、タレを付けて食べる蒲焼きになったのは18世紀、江戸時代だ。千葉県銚子にある現在のヒゲタ醤油、五代目当主田中玄蕃が、濃い口醤油を作ったのに始まる。これが江戸の濃い口、上方の薄口の始まりになった。現在、同じ蒲焼きでも関東はウナギの頭を取って、背開きにしたものを素焼き してから蒸し、それを 再び焼いているため柔らかい。それに対して、関西は頭をつけたまま腹開きにして蒸さずに焼くため、 パリッと香ばしいものになる。東京大学大気海洋研究所塚本勝巳元教授は2009年5月に日本近海から2500Kmも離れた西マリアナ海嶺付近で直径1.6mmのニホンウナギの受精卵の採集に初めて成功し、この海域でニホンウナギが産卵していることを突き止めた。この海域で生まれたウナギは北赤道海流に乗り、西へ移動して、黒潮の流れに乗って太平洋を北上し日本列島へやって来る。日本列島へ辿り着くと、川に入り、そこで成長する。西マリアナ海嶺付近の環境が分かれば、ウナギの人口孵化に繋がり、養殖が飛躍的に拡大される可能性が出て来る。現在の養殖はすべて捕獲されたシラスウナギを育てており、そのシラスウナギ自体が激減してしまったために、養殖が困難になって来ている。ウナギの絶滅を防ぎ、日本の食文化を甦らせるためにも、ウナギの産卵環境の研究が重要になる。
職場のツツジ

東京オリンピック

2014-06-12 19:25:26 | 社会
今日も雨が降ったり止んだりを繰り返し、気温は20度までしか上がらない。夕方には強い雨になり、その強い雨に打たれながら、庭ではニッコウキスゲが花を咲かせた。雨期に入る直前に蕾が開きかけて来ていた、芍薬も日が射さないためにそのままの状態で、開いて来ない。すでにかなり増水していた甲子川も夕方の強い雨でさらに大量に増水してしまうだろう。増水すると簡単にJR釜石線は運航中止になってしまう。恐らく、開通して間もない三陸リアス鉄道も明日には運行を中止するかも知れない。予報では明日の午前中は久しぶりに日が射すようだが、午後にはまた曇天に戻るようだ。 去る9日、独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)は2020年東京オリンピックに向けた国立競技場の解体工事の業者を選ぶ入札で、入札価格が予定価格を上回る「不落」に終わったと公表した。東日本大震災の復興工事や政府が打ち出した公共工事によって、資材費や人件費が高騰している。10日には、そのため舛添要一都知事も東京五輪の会場計画の見直しを表明している。当初の予定では7月に解体に入り、9月末に終える予定であった。東京オリンピックのためのメイン会場となる競技場を建て替えるために、2012年に総工費1300億円の「新国立競技場基本構想国際デザインコンクール」と題したコンペティションを開催した。明治神宮外苑の狭いスペースに8万人収容の施設を造る。建築家の安藤忠雄氏を審査員長として、世界の建築家からデザインを募集した。広く、応募者を募ると称されたが、応募資格は極めて厳しく、実質は限られた建築家しか応募出来ないものであった。イギリス在住のイラク人である女性建築家ザハ・ハディッド氏のデザインが採用されることになったが、今年2月中旬並みの大雪が降った場合には、このデザインでは雪の重さに耐えられないことが判明し、JSCは設計の見直しを検討せざるを得なくなっている。そして、何より、この新しい巨大な競技場の建設のために、聖徳記念絵画館前の馬蹄形の芝生と周辺に縁取られている銀杏並木の道路が改変されるなど歴史的空間が破壊されるとして、建築家の元倉眞琴東京芸大名誉教授はじめ幕張メッセを設計した建築家の槇文彦氏など、多くの建築家が計画の見直しと現競技場の解体工事の延期を求めている。以前にも書いたが、国立社会保障・人口問題研究所や元岩手県知事の増田寛也東京大学公共政策大学院客員教授などが公表したように、2040年に20~39歳の女性の数が49.8%の市区町村で5割以上減り、全国1800市町村のうち523では人口が1万人未満となって消滅する可能性がある。そして、750以上の市町村では高齢者の絶対数も減っていく一方で、東京は高齢者の数が爆発的に増えて超高齢化都市となる。これまでもそうであったように便利な交通機関を使って、消滅の危機にある市町村からさらに東京へ人が出て行く事態が加速されると見られている。日本は極めていびつな人口分布となる。オリンピックを日本へ誘致するのであれば、東京一極集中を避ける意味でも、これを機会に地方に大スポーツ都市を建設すれば、建設費も抑えることが出来ただろう。何でも東京と言う発想が捨てられない限り、東京自体も都市機能がいずれ崩壊する。現在、東京都では待機介護老人が4万3000人と言われ、2040年には後期高齢者(75歳以上)がその2倍になる。にもかかわらず、20代、30代の男女は今より40%も減るのだ。老人介護は明らかに崩壊する。地方の何か所かに高齢者介護の街を作り、逆に東京の高齢者を引き受けることが必要になる。こうした日本の目の前の未来さえ、国は正視していないようだ。
毒矯み(どくだみ)の花 白い部分ではなく中心の黄色い部分が小さな花の集まりになっている 多くの薬効をもつ

個人向けロボットの登場

2014-06-11 20:22:04 | 経済
今日も雨が降り続き、気温は20度ほどしか上がらなかった。周辺の山には相変わらず雨雲が垂れ込め、暗い景色が続く。連日の雨で甲子川もかなり増水しており、家にいても川の流れが強くなっている音が聞こえて来る。毎日、植物たちの様子を見ているが、気のせいか雑草だけが伸びているように思ってしまう。気付けば出来るだけ、湿って抜きやすくなった雑草を抜き取るようにしている。トマトやキュウリも今のところは伸びて来ており、キュウリは花を咲かせて来たが、受粉をしてくれる蝶や蜂の姿が見えない。こんな天気がいつまで続くのだろう。長引かないで欲しいのだが。 今月5日、ソフトバンクは人型ロボット「Pepper」を発表した。19.8万と言う驚異的な安さが報道陣を驚かせた。これまで、ロボットと言えば、産業用のものだけであったので、その点でも驚きではあったが。この低価格を実現するために、Pepperはハード面で割り切って、二足歩行ではなく車輪を用いている。それはまたバッテリーの寿命とも関係している。二足歩行だとバッテリーは30分~1時間程度で、車輪にすることで12時間連続稼働させることが可能となった。このロボットの画期的なところは、人の感情を認識する機能を持っていることだ。そして、ネットワーク機能がさらに付くことで、学習機能が効率化されている。ロボットが得たデータはネットワークを通して、ネット上に保存するクラウド機能が活用されるため、ロボットの側にはデータ保存のための余分な部品を必要としない。しかも、ネットワークを介して、他のロボットが入手したデータも共有出来るため、学習機能がとても効率化される。ソフトバンクとしてはロボット本体は極力低価格にして、大量に普及させたいのだろう。利益はむしろ携帯やスマートフォン同様に継続的なロボットの通信契約に見込んでいるようだ。Pepperの開発は2012年にソフトバンクが出資したフランスのアルデバラン社が行い、製造は台湾の鴻海精密工業(フォックスコン)が行なっている。ソフトバンクの孫社長は25年前から感情を持ったロボットの開発を夢みていたと言われる。Pepperは音声認識機能を使った会話も可能で、カメラでとらえた表情と、マイクでとらえた声のトーンを分析し、人の感情を推定するという独自の「感情エンジン」を搭載し、“空気を読み”ながらコミュニケーション出来る。外部開発者に対しては、ソフトウエア開発キット(SDK)が提供され、Pepperに後から様々な機能を付加することも出来る。Pepper本体は完全にコストを割った価格設定となっており、ソフトバンクはPepper用のコンテンツやアプリ販売でも利益を得て行こうとしているようだ。Pepperは高さ121cm、体重28Kgで、胸部にタブレット型のディスプレイを装備し、マイクやカメラ、タッチセンサー、ジャイロセンサーなどで周囲の状況を把握し、自律的に行動し、独自の関節技術により、首や手、腰を滑らかに動かすことが出来る。家庭やお店で人を楽しませる目的で作られたロボットだ。来年2月にソフトバンクショップとネットで販売される予定だ。Pepperが入手した個人情報がどの程度守られるのか、心配はあるが、これまでの産業用ロボットと異なり、いよいよ個人を対象とした近未来的なロボットが登場し、この普及によっては、日本の新たな産業となって行く可能性を秘めているだろう。
職場近くで珍しい牡丹の花を見かけた

増え続ける就学援助への影響

2014-06-10 19:22:56 | 社会
文部科学省の調査によると、昨年の生活保護費の基準額の引き下げに伴って、各自治体が行なっている就学援助に影響が出ている自治体があるようだ。全国の1768の市区町村のうち、71の自治体では就学援助を受けられない子供が出て来る恐れがあると言う。東京の中野区では2013年に3000人ほどが補助を受けていたが、そのうち200人が補助から外れてしまう。2013年8月から三段階で生活保護の基準額を6.5%(消費税引き上げ分は別途増額)下げている。生活保護を基準にしている低所得世帯の支援制度である就学援助は各自治体が支給基準を決める。来年、さらに生活保護基準を下げれば、自治体の負担が増え、自治体も財源に困窮し、就学援助を受けられない子供がさらに増えて行く可能性がある。生活保護世帯に近い困窮状態(準要保護)の世帯に対しては自治体から給食費、学用品代、修学旅行費など12品目が補助されるが、2012年度では公立小中学校に通う子供の15.64%(155万2023人)が援助を受けており、比率は過去最高となっている。調査を開始した1995年度以来、17年連続で上昇している。2000年以降、生活保護受給者の数は年々増え続け、本年3月には217.1万人となり、2倍になっている。世帯数も160.2万世帯に上り、やはり2倍を超えている。生活保護にかかる費用も、2013年度で3兆7000億円と10年前の1.5倍に増えている。この他にワーキングプアーと呼ばれる年収200万円以下で暮らす人などが400万人以上いる。国は増え続ける生活保護費を抑えるために、基準の変更を行うとともに、それへの批判を避けるために、生活困窮者自立支援法を成立させた。生活困窮者の住宅、就労、教育、家計再建を支援したり、生活保護受給者の就労自立給付金を設けるなどだ。支援制度を設けても、結局は財源も含めて、自治体任せであり、どこまで支援が行き届くか。何より、問題なのは増え続ける生活困窮者を減らすような、就労者の所得を上げるための政策がまったくとられておらず、こうした生活保障に関わる費用を財源問題から削減しようとしていることだ。日本の経済は就労者の所得が増えることでしか、真の回復は得られない。企業利益が増えても、それが内部留保に回され続けており、人件費はコストとして、削減される一方である。この傾向に歯止めがかからなければ、経済回復は一時しのぎで終わるだろう。米国型の企業運営になってしまった日本の現在の企業姿勢では今後も所得格差は増え続け、日本全体の経済効率は悪化して行くだろう。日米ともに過去を見れば、経済が健全な発展をしている時には必ず就労者の所得が増えている。所得が増えれば、社会保障費は自ずと減少するのだ。
紫露草

巨大エルニーニョ現象

2014-06-09 19:20:20 | 自然
今日も釜石は朝から雨が降り続いている。気温は20度までしか上がらず、内陸の盛岡や北上とは気温が5~8度も違っている。これは単に梅雨前線だけの問題ではなさそうだ。釜石市市街地周辺の山々に雨雲が流れているところを見ると、恐らく山背が関与しているのだろう。今月末のNHKスペシャルのためにもう何度もNHKの記者やディレクターと打ち合わせを重ねて来たが、30代後半の彼らの仕事ぶりを見ていると、やはり、報道関係者は大変だと思わされる。盛岡と釜石の間を行き来するだけでなく、その間を縫って東京へも打ち合わせに出かけねばならず、休日にもメールでのやり取りがあったりする。1つの番組を作るのに2ヶ月以上の時間をかけているのだ。 気象庁は5月12日付で今夏に5年ぶりにエルニーニョ現象が発生し、秋にかけて続く可能性があることを発表している。米国のPublic Weather Serviceと言うサイトも同じくエルニーニョ現象について、5月20日に「Mega El Nino Developing, Already Stronger Than 1997 At This Time Of The Year 」と題する記事を載せている。1997年5月2日と本年5月3日のそれぞれのエルニーニョ現象の規模を比較した図が出ている。今年はすでに3~4倍の規模になっており、まさに「Mega」 El Ninoのようだ。太平洋の赤道域にあるペルー沖からインドネシアへ向けて、普段は貿易風が吹いている。このため、ペルー沖の海表面近くの暖かい海水はインドネシア方向へ流れる。すると、ペルー沖の海の中では下部の冷たい海水が上昇し、ペルー沖では冷たい海水が、インドネシアでは暖かい海水が生じる。これが通常の状態だ。ところが何らかの原因で、貿易風の流れが弱まり、インドネシア近辺の暖かい海水がペルー沖へ移動し、ペルー沖では暖かい上部の海水のために下部の冷たい海水の上昇が抑えられてしまう。こうしたペルー沖の上部の暖かい海水が生じた状態をエルニーニョ現象と言われる。このエルニーニョ現象によって、日本では四季の変化が弱まり、冷たい夏と暖かい冬がやって来ることになる。冷夏は特に農作物への影響が大きくなり、農作物の価格が高騰してしまう。人口の多いインドでは、政府がすでに食糧対策に入っている。1997年のエルニーニョ現象では観測史上初めて、6月に2つの台風が日本へ上陸している。その後も台風の上陸や豪雨が日本を襲っている。5月27日の日本経済新聞は「景気に冷水 消費増税より怖い「エルニーニョ」」と題する記事を載せている。2010年以降は毎年猛暑が続いていた。第一生命経済研究所によれば、1993年並みに日照時間が短くなると、7~9月の家計消費が1兆4812億円減り、実質国内総生産(GDP)が0.9%(1兆1452億円)失われると言う。オーストラリアやフィリピンからインド、パキスタンにかけては高温となり、干ばつの被害が出る。これらの国へは日本からの輸出があり、それへの影響も危惧される。今年のエルニーニョ現象は「Mega」の付く規模なので、様々の自然災害の可能性があるだろう。
都忘れ