釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

世界の絶滅危惧種となったニホンウナギ

2014-06-13 20:57:46 | 自然
今日は久しぶりに朝から日が射して来た。甲子川は昨夜の雨でさらに水量が増し、流れの勢いも強くなっていた。釜石自動車道の延長工事をやっている山肌は雨のために崩れ落ちていた。川の中まで杉の木が何本か倒れ込んでいるのが見えた。日中は28度まで上がり、日射しももうすっかり夏の日射しになっていた。今日も又、昼休みに市営ビルの近くへ行くと、観光バスが止まっており、山の中腹のフェンスのある津波避難所にはバスから降りた観光客たちが市街地を見下ろして、説明を受けているようだった。職場に隣接するキリスト教会でも3人の若い白人がボランティア活動をやっていた。 世界で最も権威ある国際自然保護連合(IUCN)の絶滅危惧種のリストにニホンウナギが載ってしまった。三段階の分類中、緊急度は二番目で、ジャイアントパンダやトラも同じランクだ。日本は世界のウナギ消費の7割を占めている。天然ウナギが激減し、養殖ウナギに頼って来たが、その養殖ウナギも稚魚であるシラスウナギを輸入に頼って来た。しかし、絶滅危惧種に指定されると、輸入も厳しくなって行くだろう。宮城県の仙台市と相馬市のちょうど中間に角田市がある。ここは阿武隈川が流れており、縄文時代には海進のために海面が現在より5~6mも高く、阿武隈川周辺も海であった。そして、角田市ではたくさんの貝塚が発掘されている。その一つの土浮(どぶ)貝塚では釣針や縄文土器、イノシシ・シカ・タヌキなどの獣骨類、その他にもアサリやシジミなどの貝類、そしてクロダイ・スズキ・ニゴイなどの魚骨に混じってウナギの魚骨も見られた。この貝塚は縄文前期、6000年前のものだ。茨城県の霞ヶ浦南岸にある陸平(おかだいら)貝塚は大森貝塚を発掘したことで知られるエドワード・S・モースの日本人弟子たちが日本で初めて発掘調査をした「日本考古学の原点」と言われる貝塚だが、ここでもウナギの魚骨が見られている。縄文前期から後期にかけての貝塚だ。日本の縄文人たちはすでに栄養豊富なウナギを食べていた。万葉集には大伴家持(おおともやかもち)の詠った2首にもウナギが登場する。家持の活躍した奈良時代はウナギは「胸黄(むなぎ)」と言われたと言う。出雲風土記にもウナギが登場しているようだ。太古から日本人はウナギを食べていたが、現在よく知られる蒲焼きは1399年に書かれた『鈴鹿家記』に初めて認められている。しかし、このころの蒲焼きはウナギを筒切りにして、串にさして焼いただけのもので、現在のような開いて、タレを付けて食べる蒲焼きになったのは18世紀、江戸時代だ。千葉県銚子にある現在のヒゲタ醤油、五代目当主田中玄蕃が、濃い口醤油を作ったのに始まる。これが江戸の濃い口、上方の薄口の始まりになった。現在、同じ蒲焼きでも関東はウナギの頭を取って、背開きにしたものを素焼き してから蒸し、それを 再び焼いているため柔らかい。それに対して、関西は頭をつけたまま腹開きにして蒸さずに焼くため、 パリッと香ばしいものになる。東京大学大気海洋研究所塚本勝巳元教授は2009年5月に日本近海から2500Kmも離れた西マリアナ海嶺付近で直径1.6mmのニホンウナギの受精卵の採集に初めて成功し、この海域でニホンウナギが産卵していることを突き止めた。この海域で生まれたウナギは北赤道海流に乗り、西へ移動して、黒潮の流れに乗って太平洋を北上し日本列島へやって来る。日本列島へ辿り着くと、川に入り、そこで成長する。西マリアナ海嶺付近の環境が分かれば、ウナギの人口孵化に繋がり、養殖が飛躍的に拡大される可能性が出て来る。現在の養殖はすべて捕獲されたシラスウナギを育てており、そのシラスウナギ自体が激減してしまったために、養殖が困難になって来ている。ウナギの絶滅を防ぎ、日本の食文化を甦らせるためにも、ウナギの産卵環境の研究が重要になる。
職場のツツジ