釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

土佐の長宗我部氏

2014-06-30 19:19:48 | 歴史
岡山県の林原美術館は今月23日、47点(全3巻)「石谷家文書(いしがいけもんじょ」の中に、本能寺の変直前の斎藤利三、長宗我部元親の貴重な書状が含まれていたことを公表している。1582年6月2日家臣明智光秀によって織田信長が本能寺で討たれた。明智光秀が何故突如として謀反を起こしたのか、謎であった。25歳の織田信長が尾張を統一した翌年の1560年、今川義元は尾張へ攻め入った。この頃四国では土佐の小領主であった父に従って22歳の長宗我部元親は同じく土佐の小領主であった本山氏との戦いで見事初陣を飾った。同じ年に亡くなった父の遺志を継いだ元親は四国平定を目指して行く。台頭して来た織田信長に対して元親は四国統一の許可を得た。そして、ついに1575年に元親は四国平定を果たした。しかし、長宗我部元親の勢力が拡大されてみると、一転して、信長は阿波南部と土佐以外は返上せよ、元親に迫った。元親は激怒し、信長の命を拒否する。これを怒った信長は三男の神戸信孝を総大将に任じ四国征伐を決意し、自らは中国地方の平定のために、翌日の出兵を控えて、本能寺に宿を取っていた。その日の朝早く、信長の重臣である明智光秀は本能寺を取り囲んだ。今回、「石谷家文書」の中から本能寺の変直前に関する2通の貴重な書状が見つけ出された。1通は1582年1月11日付けの明智光秀の重臣斎藤利三が土佐にいる、利三の実兄の義父で、元親の義父にもあたる石谷光政に宛てた書状だ。元親の軽挙を抑えるように依頼した内容である。もう1通は1582年5月21日付けの長宗我部元親が斎藤利三に宛てた書状で、信長の命に従うとしており、阿波国の一宮、夷山城、畑山城などの一部の地から撤退するが、海部・大西城は土佐国の門(入り口)にあたる場所であるからこのまま所持したいこと、甲州征伐から信長が帰陣したら指示に従いたいと言う内容が記されている。明智光秀は長宗我部元親と織田信長の仲介役を果たして来ていた。長宗我部元親が信長の命に従うと軟化して来ているにも関わらず、四国征伐を強行しようとしていた信長に対して、元親を守るために四国征伐を止める目的で本能寺の変を起こしたのではないか、と考えられる有力な資料と見られている。しかし、光秀のこの行動も秀吉による同じ年の10万の兵力による四国征伐により、長宗我部氏は土佐一国のみの領有となり、長宗我部氏を守ることは出来なかった。そして、1614年~1615年の大坂の役で豊臣方についたため、長宗我部氏の直系は断たれてしまう。
庭の雪の下

雨期の花

2014-06-29 19:24:38 | 自然
今日も昨日に続いて日射しは見られない。雨は昨日から強めで降り、一日降り続いている。北海道は梅雨がないと言われたが、実際には少しだけそう言う日があったように思う。6月の梅雨時期には紫陽花が咲くが、東北もようやく紫陽花が咲き始めて来て、我が家の庭でも柏葉紫陽花が先に咲き、今ようやく額紫陽花が咲き始めて来た。通勤路でも紫陽花の咲いているのがよく見られるようになって来た。紫陽花は原産地は日本で、欧米で観賞用に品種改良され、現在は世界で40種類ほどある。日本にはそのうちの10数種があると言われる。一般に花が球状になったものが多いため、こちらが原種のように思われがちだが、もともとの紫陽花は額紫陽花であり、これを本紫陽花とも呼ぶ。中国では「紫陽花」は別の花であったが、平安時代に日本で間違って、この花に「紫陽花」の字を当ててしまったらしい。日本では本来「あづさい」と呼ばれていた。「あづ」(集)「さあい」(真藍)、「青い花が集まって咲く」と言う意味から由来している。古くには「集真藍」「味狭藍」「安治佐為」などの字が当てられて来た。中国では「八仙花」「綉球花」などと呼ばれれている。紫陽花の花の色には紫、桃色、青、白などいろいろあるが、土の酸性度の影響や一つの花が時間の経過とともに色を変えたりもする。日本原産でありながら、意外にも万葉集ではわずか2首しか詠まれていない。1首は大伴家持が読んでいる。「言問わぬ、木すら味狭藍(あじさい)、諸弟(もろえ)らが、練(ねり)の村戸にあざむかえけり」。この歌では紫陽花が実を結ばない不実なものとして詠われている。万葉集に2首が詠まれた後は、平安末期になるまで日本原種であるにもかかわらず、不思議なことに和歌で紫陽花が詠まれることはなくなってしまう。やはり、不実なものとしてあまり好まれなかったのだろうか。江戸時代には松尾芭蕉が「紫陽花や藪を小庭の別座敷」を詠んでいる。
咲き始めた庭の額紫陽花

待機児童問題解消のためには

2014-06-27 19:18:42 | 社会
今朝は愛染山は見えていたが、空は雲が覆っていた。今日も清々しい風が吹いた。釜石生まれの方に聞くと、子供の頃、お年寄りが愛染山にかかる雲を見てその日の天気を予想していたそうだ。釜石に来て以来、いつの間にか自分でもそうしていた。雲はほとんど西北から東南方向へ流れていたからだ。今日も薬師公園のウグイスの声が職場の窓から入っていた。裏山ではジギタリスの花が終わり始めて来ており、替わりに野バラが咲き始めている。裏山の木々の間を見ていると、まだ背丈の短いシュロの木を見つけた。付近にはシュロがないので、恐らく、小鳥が種を運んで来たのだろう。 昨年10月、世界経済フォーラム(WEF)は「男女格差報告2013年」を発表した。WEFによる男女格差報告は2006年から始まり、使用される変数14のうち13を、国際労働機関や世界保険機関といった国際機関から入手したデータに基づき、性別による格差の大きさ、範囲を示し、各国の経済・政治・教育・健康の男女格差を評価する。男女格差の少ない国の順位で、日本は対象国136ヶ国中105位であった。アジアではフィリピンが5位で、突出しているが、中国が69位、インドが101位。韓国は111位と低い。1位はアイスランドで、2位フィンランド、3位ノルウェーとなっている。日本は2012年の報告では101位であった。アベノミクスの成長戦略でも、女性が輝く日本をつくるためとして、「待機児童の解消」「職場復帰・再就職の支援」「女性役員・管理職の増加」を掲げていたが、6月24日に閣議決定された新たな成長戦略「『日本再興戦略』改訂2014」では雇用関係で、「女性の更なる活躍推進」の項目が加えられている。今年3月に厚生労働省が発表した平成25年10月1日時点での保育所入所待機児童数は44,118 人となっている。1年前に比べて2,009人が減少はしている。しかし、厚生労働省によれば、待機児童問題の解消には1兆1000億円を要する。現在、子ども・子育て支援法の成立により、消費税増税分から約7000億円が充てられることになっているが、それでもなお、4000億円が不足している。ただこうした予算は保育所と言う施設数を増やすだけのもであり、深刻なのは保育士の圧倒的な不足である。安倍首相は2013年4月に「待機児童解消加速化プラン」を発表しており、そこでは2013、2014年の2年間で20万人の保育を、2017年末までに40万人を受け入れられるようにし、待機児童ゼロをめざすとしている。しかし、厚生労働省は2017年度末の時点で、自然増に任せた場合には約7万4,000人の保育士が不足してしまうと試算している。現在、保育士は約37万人いるが、新規資格取得者が毎年2万人保育士として働く一方で、3万人が離職していると言う。そして、資格を取っても保育士にならない人がいたり、離職した後復職する人が少なく、潜在保育士は全国に約68万人もいると言われる。延長保育や保護者からのクレームなどで保育士の年々の負担は増加している。食物アレルギーや寝ていうちに突然死する乳幼児突然愛症候群がセロ歳児に増えているため、専門的な対応も求められると言う。厚生労働省の調査では「保護者との人間関係、責任の重さ、事故への不安」が26.5%ともあり、「雇用条件」は16.9%となっている。保育士の月収は20万8,000円で全職種平均29万7700円に比べ9万円近く低い。昨年、政府は緊急対策として、340億円の補助を行なったが、保育士一人当たり1万円で、差を解消するにはほど遠い。認可保育所は行政から支給される運営費で保育士の給料が賄われている。その運営費は預かる子どもの数、子どもの年齢で決められ、この単価が変わらない限り、保育士の給料は増えない仕組みなのだと言う。労働人口の減少を支えるには女性の進出はとても重要になるが、保育所の増設だけでは待機児童問題は解消されず、むしろ、保育士への負担を増大させるだけになりかねない。最も重要なのは保育士の待遇改善だ。潜在保育士が積極的に働ける雇用環境を改善すれば、有資格者はすでにいるのだ。法人税の減税よりよほどこちらの問題の方が日本の近い将来に重要だ。
ウチョウラン(羽蝶蘭) かっては里山で見られたが、今では自生するものが絶滅に瀕している。

緊迫して来ている富士山噴火

2014-06-26 19:25:45 | 自然
今朝は愛染山の周りに青空が見えた。いい風は吹いてくれていたが、日射しはもう夏の日射しなので、歩くとやはり汗が出る。日中は27度まで上がって、暑くなった。しかし、釜石のいいところはいい風が吹き、日陰に入るととても気持ちがいい。空にはもう夏の雲が出ている。そんな中でも職場のそばの山からはウグイスの声が聴こえて来る。この時期は昼夜の気温差があり、日中は半袖でもいいが、夜間は長袖でいる方が無難と言う感じだ。夜も別に寒くなるまでではないのだが。明日、夜、10時半からのNHKスペシャルに2カットだけ出ますので、宜しければ見ていただければと思います。 6月22日、静岡県東部を震源とするM2.9の地震が起きている。富士山に近い静岡県東部を震源とする地震は震災前の2009年2月16日~2011年3月11日の間に5回発生している。震災後の2011年中には39回発生し、翌年2012年は1回に落ち着いた。しかし、2013年には4回となり、今年は今回で2回目となる。富士山は富士火山帯の中にあり、富士火山帯は新潟県西部から長野県を抜け、富士・箱根、伊豆諸島、小笠原諸島へと延びている。昨年11月20日から噴火が始まった小笠原諸島の西之島新島もこの火山帯に入る。世界では過去100年にM9以上の地震はこれまでに6回発生している。1952年カムチャッカ地震(M9.0)、1957年アンドレアノフ地震(M9.1)、1960年チリ地震(M9.5)、1964年アラスカ地震(M9.2)、2004年スマトラ沖地震(M9.2)、そして2011年東北地方太平洋沖地震(M9.0)であり、すべて太平洋に沿って発生している。そして、いずれの地震でも必ず4年以内に周辺での火山の大噴火を伴っている。過去の日本でも869年の貞観(じょうがん)地震(M8.4)が起きた後、鳥海山(秋田・山形)の噴火や十和田(青森・秋田)の大規模噴火が発生している。東北地方太平洋沖地震後の火山噴火は西之島新島での噴火に留まらない可能性がある。この地震の後、富士山は山体膨張を生じており、火山性の低周波地震が頻発し、富士山周辺では異常湧水が見られている。箱根の火山活動も活発になって来ている。何よりも藤井敏嗣東京大学名誉教授によれば富士山は過去3200年で約100回噴火しており、1707年の南海トラフの大地震に連動して起きた宝永大噴火以来、富士山は300年間沈黙し続けて来た。それだけ、地下の噴火エネルギーが蓄積されていると言うことだ。西之島新島での噴火もまた富士山に影響を与える。富士山の噴火は2011年から4年以内だとすれば、2015年までと言うことになる。琉球大学木村政昭名誉教授の予測では2017年プラスマイナス5年と言うことなので、2022年までに噴火するとの予測となる。宇都宮大学の中村洋一教授らの調査では国内の110の活火山が過去2000年間で計1162回噴火していた。東日本まで降灰被害をもたらした1914年の鹿児島県の桜島大正大噴火以後、日本では100年間、大規模な噴火は起きていない。同教授によれば日本各地の活火山のマグマが溜まって来ている可能性が高いとされる。現在、震災後、富士山や浅間山、箱根山などを含む20の活火山の活動が活発化していると言う。富士山が噴火した場合、静岡、山梨両県で延べ最大75万人が避難対象となる。しかし、富士山が噴火すれば、降灰だけで、道路は麻痺してしまう。スムーズな避難などは望めない。宝永の大噴火では数日前に富士山中で有感地震が頻発し、噴火の前日に麓周辺でも地震が発生したと言う。従って、数日前に避難をすることは可能なのかも知れない。
雲切草

太平洋プレート端の地震

2014-06-24 19:14:49 | 自然
日本時間の今日午前4時19分頃南太平洋のニュージーランド領ケルマデク諸島沖でM7.2の地震が発生した。続いて5時53分頃には米国アラスカ州のアリューシャン列島のリトルシットキン島沖でM8.0の地震が発生した。それぞれ太平洋プレートとインドプレート、北米プレートとの境界域だ。2,011年の東日本大震災も太平洋プレートの境界域で発生した。アリューシャン列島では昨年8月31日にもM7の地震があり、その後9月4日に小笠原諸島の鳥島近海でM6.9の地震が発生している。立命館大学環太平洋文明研究センター・歴史都市防災研究所の高橋学教授によれば3・11の地震の後、プレート境界の断層のアスペリティー(固着)が弱くなったため、太平洋プレートの北米プレートやフィリピン海プレートへの潜り込み速度がこれまでの年10cmから、年30~40cmに加速しており、『アウターライズ型』地震が起き、津波が起こる可能性があると言われる。昨年10月26日に発生した福島県沖を震源とするM7.1の地震は気象庁が『アウターライズ型』だと発表している。2004年12月26日、M9.1のスマトラ島沖地震が発生して、その後この『アウターライズ型』が発生したのは8年も経った2012年4月11日のM8.6のスマトラ島沖地震であった。東日本大震災の際の地震は『プレート境界型』地震と呼ばれるもので、陸が乗る北米プレートが、その下に潜り込んでいる太平洋プレートに引き込まれて北米プレートの断端が一旦は沈み込むが、ある段階で跳ね上がったものが地震を発生させる。これに対して、太平洋プレートが沈み込みを開始する付近はやや隆起しており、そこでは沈み込みのため斜め下にかかる力と水平方向にかかる力と力の方向が異なっており、亀裂を生じやすくなり、亀裂が生じると、プレート境界型より上下方向の断層のずれが大きくなるため津波の規模も大きくなりやすい。そして、時間経過には差が出るがプレート境界型の地震に続いて発生する。同教授は今後もこの『アウターライズ型』の地震が東北沖で発生する危険性を指摘するとともに、太平洋プレートの移動速度が上がったことで、隣接する北米プレート内の内陸直下型地震も増える可能性があるとして、福島原発の西側から仙台を経て北上川へと続く断層があることを懸念されている。また、太平洋プレートの沈み込みは火山の噴火をも誘発するとして、富士山や八甲田山の活動が盛んになりつつあることを指摘されている。広い太平洋プレートが動くため、日本列島から遠く離れた場所での地震はさほど注目されないが、すべて繋がっており、必ず離れたところの地震も列島付近のプレート端に影響を与える。気象協会の地震情報を見ると、日本列島付近でも体感はされなくとも、毎日のように地震が発生している。資源エネルギー庁は昨年から全国の臨海部のコンビナートを調査して来た。首都直下地震や南海トラフの巨大地震などでどのような被害の可能性があるのか、調べた。関東から九州・沖縄にかけての25の製油所や化学工場、それに製鉄所を対象に、敷地内の6000か所余りについて、液状化の危険性を調べたところ、全体のおよそ35%の地点で、深刻な液状化の起きる危険性が極めて高く、90カ所の護岸については、液状化によって地盤などが横にずれ動く「側方流動」の影響を調べたところ、全体の半数余りの地点で、1m以上のずれが生じるおそれがあり、さらに東京湾の24%、東海から西の13%の地点では、ずれの大きさが3m以上に達して護岸が崩れたり、地盤が大きく変形したりするおそれのあることが分かった。首都直下地震や南海トラフの巨大地震が実際に起これば、こうした調査からもこれまでの想定をはるかに上回る被害が発生する可能性が高い。
岩煙草 万葉集で柿本人麻呂に「山萵苣(やまぢさ)の 白露しげみ うらぶるる 心も深く わが恋やまず」
と詠われた山萵苣が岩煙草とされる 葉が煙草の葉に似ているところから付けられ、漢方としても使われた

都議会のヤジ

2014-06-23 19:16:17 | 社会
今朝は久しぶりに大きく青空が広がっていた。甲子川の水量もほとんど普段の状態に戻って来た。カジカガエルの声とオオヨシキリの声を聞いたが、今日はウグイスの声が聴かれなかった。昼前から次第に雲が出るようになり、午後には空全体を雲がまた覆うようになった。気温は21度までだった。職場の隣りの薬師公園では額紫陽花が咲き始めて来た。普通の紫陽花はまだ色付いて来ていない。職場の裏山では葛の蔓が伸びて来て、葛の葉が他の木々の上を覆うように垂れ下がって来ている。天候が芳しくない日が続いても植物は確実にこうして成長している。 6月18日の東京都議会本会議で、みんなの党会派の塩村文夏議員(35)がヤジを受けた問題が波紋を広げているようだ。昨年の都議選で初当選し、初めて質問に立った同議員は11分の持ち時間の中で、妊娠や出産、不妊に悩んでいる女性に対する支援について質問した。「第1子出産時の母の平均年齢は東京がずば抜けて高く、32歳近い。不妊治療を受ける女性が増加している。悩みを抱える女性のサポートを都は積極的に進めていくべきだ」と述べた直後に、自民都議らが座る一角から、男性議員の声が響いた。「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」。塩村議員はため息混じりに苦笑をしたが、目には涙を浮かべ、質問を続けた。議会でのヤジは都議会に限らず、国会でも普通に見られ、世界の議会でも特別なことではない。しかし、ヤジの内容によっては無視出来ないものがある。しかし、どの議会にもほとんどそのヤジを規制したり、罰する規則は特に設けられてはいない。東京新聞は「都議会やじ 海外も批判 「女性の低い地位を反映」」と題する記事を21日載せている。それによると、ロイター通信は「女性議員へのやじに怒り」と言う見い出しで、「二〇二〇年夏季五輪を開催する日本の首都に対する強い反発を引き起こした」、「日本では多くの男性が今も女性の居場所は家庭だと信じている」などと書かれ、CNNは「日本では男性が依然として大きな権限を持ち、高収入を得ている」、ガーディアンは、都議会の127議員のうち女性がわずか五分の一に過ぎないことを述べた上で、「日本における女性の低い地位を反映している」などと報じているようだ。同様の海外からの批判についてはNHKも昨日報じている。20日には塩村議員は地方自治法に基づき、発言した議員を特定して処分するよう求める要求書を議長宛てに提出したようだが、発言者が特定されないため要件を満たさないとして受理されなかったようだ。ヤジを飛ばした議員は現在まで名乗り出ていない。たとえヤジであっても発言した以上は自分の発言に責任を持つべきだが、それさえ出来ない人が議員になっていると言うことだろう。今日の午後には党幹事長が、S議員がようやく発言を認めた、旨記者会見を行なっているが、その議員は20日のNHKの問いには「私ではない」と答えている。このヤジを飛ばしたS議員だけが問題なのではなく、議場にいた議員の誰一人議事進行の中止を求めていないし、議長もヤジに対する叱責を行なっていない。このこと自体が海外から見れば、日本の男性優位、女性蔑視を強調しているように映ってしまっているのだろう。確かに日本にはまだまだそうした側面が残っているが、何より問題なのは有権者から選ばれた議員が責任能力を有さないことだろう。今の日本では政治家も官僚も、財界も誰も責任をとる者がいない。最初からいざという時の責任など考えていない。そうした人たちが行なう政治や行政、経営はいいかげんなものになってしまうのは当たり前だろう。これが日本の劣化の根本にあるように思う。
甲子川沿いで見かけた立葵

ユリ

2014-06-22 19:28:56 | 自然
今朝は少し元気が出て来た犬と少しだけ散歩をして様子を見てみた。いつもの半分くらいの距離を歩いた。少し食欲も出て来たようで、少し減らした餌を全部食べてくれた。仕事の関係で日中は職場に出ていた。周囲の山々には昨日のような霧雲は流れておらず、午後には日も射して来た。それでも気温は20度ほどで、寒くはないが、さりとて暑いと言う状態でもない。しかし、通りがかった若い人たちには半袖や半ズボン姿の人が何人かいた。さすがに若者はそんな姿でも平気のようだ。6月の末だと言うのにこちらはまだ長袖だ。それで暑く感じるのは散歩の後だけである。 庭ではユリの蕾が膨らんで来た。今は先日購入したスカシユリが咲いている。庭には何種類かのユリがあるが、ユリは日本でも古代から咲いていた。古事記に「ここにその伊須気余理比売命の家、狭井河の上にありき。天皇、その伊須気余理比売の許幸行して、一宿御寝坐しき。その河を佐韋河と謂ふ由は、その河の辺に山ゆり草多にありき。かれ、その山ゆり草の名を取りて、佐韋河と号けき。山ゆり草の本の名は佐韋と云ひき。」とあり、神武が九州から大和へ至って、大和の娘と出会い、後に正妃としたが、その娘の家が佐韋河(サヰガハ)のほとりにあり、そこにはヤマユリがたくさん咲いていた。そしてヤマユリは佐韋と言われていた。神武が大和に至ったのは、古田武彦氏によれば弥生後半の二世紀半ば頃とされるので、この頃にはヤマユリが列島で咲いていたのだ。万葉集でもユリを詠った歌が10首ある。日本で自生するユリは、ヒメユリ、オニユリ、コオニユリ、クルマユリ、オトメユリ、エゾスカシユリ、ヤマユリ、イワトユリ、ササユリ、サクユリ、ウケユリ、タモトユリ、テッポウユリ、カノコユリ、スゲユリの15種があるが、中でもヤマユリ、サクユリ、ウケユリ、オトメユリ、タモトユリ、カノコユリ、ササユリ、テッポウユリの8種は日本固有の原種だ。日本では古くからユリは食用として見られて来ており、観賞用に注目されるようになったのは江戸時代からのようだ。1823年にドイツの医師であり博物学者でもあったフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが長崎の出島のオランダ商館医となって日本へやって来た後、彼によって日本のユリが欧州へ紹介され、欧州で注目されるようになった。それまで欧州ではキリスト教とともに長くマドンナ・リリーが注目されていたが、現在では日本から輸入されたテッポウユリがマドンナ・リリーに取って代わった。日本の他のユリも欧州で注目を集めたため、鹿児島県の200人足らずの離島にしか咲かないタモトユリなどは欧米の園芸業者によって採取依頼され、今では絶滅の危機に瀕している。1984年にオランダで品種改良されて世に出た大輪のユリであるカサブランカはこのタモトユリとヤマユリの交配から生まれた。現在世界のユリの園芸品種はササユリとヤマユリの交配で生まれた「オリエンタル系」、スカシユリなど主にアジア原産のユリから作出された「アジアテック系」、テッポウユリと台湾のタカサゴユリの交配種である「テッポウユリ系」の3つに分かれている。現在、日本はオランダを始め、ニュージーランドやチリから毎年1億5千万個以上の球根を輸入している、ユリの一大消費国となっている。釜石には市の花であるハマユリが海岸に自生しているが、ハマユリは俗称であり、スカシユリのことだ。スカシユリは海岸の砂礫地や崖に育ち、太平洋側ではイワトユリ、日本海側ではイワユリとも呼ばれている。
スカシユリ

大宮市の地名由来

2014-06-21 19:16:04 | 歴史
今日も釜石周辺の山々には一日霧雲がかかっていた。山背のせいだろう。そのため、内陸よりは気温が低く、暑さはない。明日は仕事の都合で出勤のため、今日のうちにいくつか買い物をしておいた。そのついでに例によって産直へも立寄って、またいくつかの山野草を買ってしまった。値段が安いのでつい手が出てしまう。3日ほど前から我が家の犬は少し調子が悪いようだ。食欲が落ち、後ろ足に少し力が入らなくなっている。こちらの姿を見ると、囲いに前足をかけて立ち上がるのだが、ここのところそれをやると、身体がふらついてしまう。歩くのにはまずまずなのだが。犬は家族の一員なので、少し心配をしている。 青森県五所川原市の和田家には18世紀末、江戸時代の天明・寛政年間に秋田孝季、和田長三郎吉次、その妻で孝季の妹であるりくによって、収集された膨大な資料が残された。『東日流外三郡誌』はその一つで、他にも幾多の資料があり、そのいくつかはさらに『和田家資料』として4冊が刊行されている。その『和田家資料 2』は丑寅日本記、丑寅日本紀、日之本史探証で構成されている。丑寅日本紀第八には「倭国天皇記国記之事」が記されている。「倭国天皇記及び国記の編纂を大臣蘇我氏にて推古天皇の二十八年に、上宮太子嶋大臣謀りて録す。」とある。この時、国記において、「倭国境を東海の安倍川より西海の糸魚川に地帯せるを堺とし、丑寅方を日本国とて荒覇吐王を以て為せる国とせり。依て、その証を唐書に基かしめたり。」とした。しかし、「越、坂東を押領に筆加ふる要言派、是を否せる補言派とに論を激し、茲に大伴氏、物部氏、竹内氏、橘氏、藤氏を審とて補言派の論勝に決せり。」と書かれている。これに続いて、「時に丑寅日本国にては荒覇吐王居武蔵大宮に在りて、此の域を安東と称し、宗帝よりの賜号とせり。坂東に位せる安東将軍は五代に相継ぎて、讃美彦、珍美糠彦、斉糠彦、興美彦、武波日彦と曰ふ。」とある。その後は天皇記・国記が蘇我蝦夷が中大兄皇子、船史恵尺らに攻められ、自害したため、石川麻呂に託され、平将門を通じて、遺姫である秋田の生保内にいた楓姫に届けられ、最後に五所川原市の石塔山荒覇吐神社に奉寄されたことが書かれている。「慶長丁酉八月廿一日 飯積之住人 和田左馬之介」とある。蘇我蝦夷は586年~645年であるから、このころ坂東では荒覇吐王国の王居が大宮にあったと言うことだ。以前、このブログ「王都のあった宮古市」で記したように、『東日流外三郡誌』「日高見国大要」に「荒吐族が日高見国中央国閉伊にいでたるは安日彦立君以来五十三年なるも」とあり、閉伊の中心は宮古である。宮古市には閉伊川が流れている。現代では宮古市や大宮市の地名の由来が定かではない。しかし、和田家文書ではいずれも荒覇吐王国の王居があったことより由来することが書かれている。宮古は「都」から来ているのであり、大宮は王都から来た知名である。和田家文書では近畿は倭国とされており、701年より前はその中心は北部九州である。いわゆる九州王朝の時代だ。その時代には近畿も九州王朝下の倭国である。7世紀は糸魚川~安倍川ラインを堺に倭国と丑寅日本国、荒覇吐王国に分かれていたのだ。そして、荒覇吐王国の存在も九州王朝の存在とともに、近畿王朝によって抹殺されてしまった。
甲子川沿いで咲いて来た柏葉紫陽花

経団連会長

2014-06-20 19:59:50 | 社会
今月初め、米倉弘昌氏(住友化学会長)に替わって榊原定征東レ会長が経団連会長に就任した。経団連会長は従来「財界総理」と言われたほどに戦後の日本では重要な役割を果たして来た。しかし、10年近く前から経団連そのものが「おねだり経団連」の異名をとるようになった。経団連は個別企業の政治献金をやめ、経団連として集約した上で、献金をすることで、発言力を維持していたが、2009年の政権交替を機に2010年より30億に上る政治献金を取りやめていた。これもあって、一層、政治への発言力の低下が進んだ。そのため、榊原新会長は就任早々、政治献金への関与を復活させる意向を示した。日本では1994年に政党助成法が成立し、要件を満たした政党へは毎年国から政党交付金が支給されている。2012年には総額で320億円と言う世界でも最も多い交付金が支給されている。近年では第一党は毎年170億前後を受け取っている。こうした交付金により、政治家は経済界への依存を弱めていることは確かだ。しかし、現在の経団連の弱体化は政治献金に要因があるのではない。今や、国内総生産(GDP)のうち、製造業の比率は18%であり、卸・小売業の15%、サービス業に至っては20%になっている。5月30日に公表された総務省統計局の労働力調査によれば、就業者数でも総数6338万人に対し、製造業は1080万人であり、卸・小売業は1037万人、サービス業では2797万人となっている。ただこの統計では製造業に派遣される労働者は派遣会社に所属する者として、サービス業に含まれてはいるが。それを考慮しても、もはや日本の産業構造は経団連会長職を製造業出身者から選ぶと言う体質自体が時代にそぐわないものとなっているのだ。IT大手の楽天の三木谷浩史会長兼社長はそうした経団連に見切りをつけて脱退している。そして、三木谷氏はIT(情報技術) 企業を中心に新経済連盟(新経連)を、また、小売業も国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)を新たに結成ししている。経団連は製造業の窮状だけを訴え、還付金を期待して消費税の増税や法人税の引き下げ、労働法制の緩和を唱える。政府も製造業である輸出産業の保護のために円安を誘導し、多くの就業者を抱える卸・小売業、サービス業へは消費税の増税や輸入物価の上昇で圧迫を加えている。消費税も導入時には社会保障にあてると言われたが、導入後、社会保障費は毎年のように削減されて来ている。かえって、消費税による税収は法人税の引き下げによる税収減の補填にあてられている有様だ。経団連の「おねだり経団連」と揶揄されるまでの弱体化はまさに製造業自体の弱体化を反映している。かっての経団連会長であった石坂泰三(東芝)、土光敏夫(東芝)、豊田章一郎(トヨタ自動車)各氏はまさに「財界総理」として発言力を有していた。それは取りも直さず、自らの企業経営を政府に頼ることなく実行したからである。政府の保護を「おねだり」しなければならない企業経営はもはや経営が破綻していると言ってもいいだろう。現在の日本の悲劇は政府も財界も日本が変わったことを認識出来ていないことだ。製造業中心に高度経済成長をした過去の記憶の中で日本を見ているようだ。

岩手の紫波町

2014-06-19 19:32:30 | 文化
今日は朝から一日周辺の山々に霧雲が出ていた。気温は20度までしか上がらず、日射しはほとんど見ることが出来なかった。甲子川沿いの通勤路には紫陽花が咲き始めて来た。何種類かの紫陽花が植えられており、毎年、楽しませてくれる。我が家にも庭植えの紫陽花があるが、我が家の紫陽花は椿と同じく、比較的咲くのが遅い。日当りの関係だと思うが。庭では薔薇も咲き始めて来た。何種類かの百合や菅も蕾を膨らませて来ている。植物は毎年、その時期が来ると、必ず花を咲かせてくれる。野鳥たちもやはりその時期になれば必ずやって来て、綺麗な声を聴かせてくれる。 我が家の庭では、今、2000年前の甦った蓮、大賀蓮が順調に育っている。例年の7月末には紫波町にある五郎沼の蓮も見に出かけている。こちらは800年前の蓮が甦ったものだ。紫波町は岩手県のちょうど中央部に位置している。中心を北上川が流れ、東は北上山地の麓の丘陵地帯になっており、リンゴやブドウなどの果樹栽培とワインの醸造、南部杜氏発祥の地にふさわしく、造り酒屋がいくつかある。西は奥羽山脈の裾野にあたり、水田と畜産が複合的に行なわれている。紫波町の歴史を見ると、平安時代の768年に高水寺が創建された記事に始まっている。標高180mの山に往時は40を超える僧坊があったと言う。平安末期から鎌倉初期までは奥州藤原氏の分家である樋爪氏が治め、室町時代に入ると、奥州の南朝勢力を抑えるために足利尊氏によって奥州総大将として足利一門でも高位にある斯波家長が派遣され、北上川の右岸の丘陵にあった高水寺のそばに大規模な城を築いた。安土桃山時代には南部氏が進出し、1588年、三戸南部氏である南部信直により、斯波氏は滅ぼされる。高水寺城の石垣などは盛岡城の築城のために利用されてしまった。紫波町には奥行き176m、高さ6mほどの鍾乳洞である船久保洞窟があり、ここでは縄文後期から晩期にかけての人骨、土器、石斧・石棒、骨角器、獣骨などが見出されている。弥生期にも使用されていたようだ。日本最北の延喜式式内社と言われる志賀理和気神社も紫波町にあり、この神社は804年、坂上田村麿によって、東北開拓の守護神として、香取・鹿島の二神が勧請されたと言われる。しかし、東北にはあまりに多くの坂上田村麿に因む史跡が多く、何より、田村麻呂に因むとされながら、社名の「志賀理和気」が何に由来するのか不明なのだ。紫波町の歴史も他の東北各地の例に漏れず、7世紀以前の歴史が定かでない。ところで、東北にはこの「和気」の付く神社がいくつかある。岩手に1つ、宮城に2つ、福島に4つあり、式内社であることが多い。しかもいずれも紫波の志賀理和気神社と同じく、和名としては理解しにくい名称となっている。例えば宮城の伊去波夜和気命神社、福島の宇奈己呂和気神社のように。これら「和気」は4~5世紀の古墳時代の高位のものに使われたある種の位に基づく名である。紫波町の志賀理和気神社も坂上田村麿が東北へやって来る以前からこの地に祀られていた可能性が強い。東北の「蝦夷」が近畿の朝廷に敗れれた後に、由緒が書き改められた可能性がある。地域の「蝦夷」のそれまでの厚い信仰を考え、社名を変更しなかったのだろう。恐らく、「志賀理和気」はこの地域を統率した「蝦夷」、荒覇吐王国の首長クラスの者の名であったろう。縄文以来紫波の地域も豊かな自然に恵まれており、そこに人々は継続して住んでいたはずである。そして、その人々の歴史は東北の歴史と同じく、抹殺されたと考えられる。
連鷺草(つれさぎそう) この花の仲間はたくさんあるが、みんなクリオネに似ている