今日は天候があまりよくないが、比較的暖かい日になった。昼頃から昨夜気仙沼から戻って来た息子と、明日はNPOの仕事があり、休みが今日しかない娘を連れて釜石の南の大船渡市へ出かけた。「大船渡」の由来は「大きな船着き場」から来ていると言う。地図で見ると大船渡市近辺もリアス式海岸で、棘のようにぎざぎざに入り組んだ海岸が並ぶ。その中で、大きな広田湾が広がり、良港を形作っている。昔から海運の盛んな場所だったのだろう。この地には807年、大同二年に蝦夷征討にやって来た坂上田村麻呂が討ち取った、気仙地方を支配し、「赤顔」と称していた鬼「金犬丸」の首を刎ねた後、埋めたその上に御堂を建て十一面観音を祀ったという伝説が残る。三陸沿岸は暖流が流れているため内陸に比べて、緯度の割には暖かい。大船渡は釜石より南にあるためでもあるのか、薮椿が多く自生し、太平洋沿岸部の薮椿の北限とも言われており、「椿の里」と呼ばれる。市内の熊野神社境内には樹齢1,400年と言われる日本一の古木もある。この熊野神社の近くには椿館が建てられ、毎年、世界13ヵ国600種類の椿を見ることが出来る。今日はこの椿館に行ってみた。雨模様であったが4月15日まで椿を見ることが出来るとあって、人も思ったより多く来ていた。様々の花の形と色をした椿が見事に咲き誇っていた。時間を気にせず、ゆっくりと館内をめぐり、最後は館内で甘酒を飲んで休んだ。よく見ると、震災後他県からよせられた励ましの言葉が壁に貼られている。昨年7月頃、大船渡市の北の小石浜を抜けて、市街地の北側を見て回った。まだ震災による悪臭が漂っていた。その時はこの椿館のある大船渡市でも南の地域は見なかった。今回、震災後初めてこの地域に来てみたが、大船渡市の南部も被害の跡があちこちで見られた。小さな漁港の防波堤が無惨に倒されてもいた。さすがにもう瓦礫はほとんど見えず、家々の土台だけが残されていた。こうなると以前とは景色がまったく違っており、初めての地を見るようだった。どこかで食事をしようということになり、椿館でもらった大船渡の名物である秋刀魚ラーメンのマップをたよりに、45号線沿いの「萬来食堂」へ行くことにした。道路脇の小さな古めかしい店だったが、初老の店主はひどく親切だった。「さんまうめーメン」なるものを注文した。秋刀魚と梅が使われて、薄くトロミとショウガが効いた変わった味のラーメンだったが、美味しいラーメンであった。一つ間違えれば、癖のある味になって食が進まない可能性もあったかも知れない。しかし、岩手の他の地方同様に適度の薄味になっていて、出汁も十分美味しく飲むことが出来た。雨模様の中で今期初めて梅が咲いているのを見つけて感激した。よく見ると自生する薮椿もすでに咲いている。ただ、やはり海岸部の自生薮椿が津波で数が減っていた。夜はささやかに娘の誕生日を祝った。
華やかに咲く椿