釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

列島の阿蘇辺族

2012-03-09 19:23:21 | 文化
昨日は雨が降り、今朝も路面は濡れていた。しかし、寒さは確実に遠のいて来た。日中であればコートを着ていなくとも寒く感じなくなった。気のせいか小鳥たちのさえずりも頻繁に聴かれるようになった。九州ではもう土筆が芽を出しているが、さすがにこの東北ではまだ1ヶ月はかかるだろう。震災以来日本列島の地震や津波の歴史を調べることが多くなったが、それとともに全国に分布する断層や活火山にも関心をよせるようになった。釜石にいると鳥海山や岩木山の噴火に思い至り、東北が何故「えぞ」と呼ばれたのか、と言う疑問とともに、太古の時代に岩木山の噴火で先住の阿蘇辺族の大半が滅んだという和田家文書を思い出した。日本列島はかって大陸と繋がっており、和田家文書では大陸の粛慎族を祖とする阿蘇辺族が津軽に最初に渡って来たことが記されている。しかし、同文書では津軽だけに留まらず、飽田、越、出雲及び北筑紫へも阿蘇辺族が渡っている。全国には今だに「あそ」地名が残っている。また『出雲国風土記』では新羅の岬、北門の佐伎の国、北門の良波の国、越国の都都の岬を引いて来て、出雲の国を大きくしたとある。古田武彦氏によれば北門は粛慎の住む沿海州地域であるとしている。粛慎族である阿蘇辺族が出雲に国を建てたのだ。日本列島の最初の一大民族は粛慎族である阿蘇辺族だった。列島全体に阿蘇辺族が最初に広がっていたが、国家的なまとまりを最初に形成したのが出雲だったのだろう。出雲と津軽には今も阿蘇辺族のものと思われる「ズーズー弁」が残る。古田武彦氏の言われる言素論なるものはまだ体系的なものが提示されていないため理解出来ていないが、そこで述べられる「そ」が神を表すということを考えると、東北、北海道の「えぞ」、九州の「くまそ」も阿蘇辺族由来の言葉と考えることが出来るのかも知れない。津軽の岩木山麓中心に定住していた阿蘇辺族は打ち続く地震の中で起きた岩木山の噴火で壊滅的な被害を受けて、故地を求めて23頭の馬を伴って山なす大筏に乗り、米国大陸から引き上げて来た靺鞨族を祖とする津保化族に併合されてしまう。同じく、時期は異なるのであろうが、出雲の阿蘇辺族や北筑紫の猿田彦らの阿蘇辺族も中国杭州湾近辺の寧波や舟山諸島を故地とするアマテルを中心とした高砂族=天(海人)族に併合される。古田氏などによれば、九州の南の硫黄島や箱根の火山噴火により、南九州や関東に住んでいた縄文期の人々が難を逃れて海へ出て、海潮に乗り、遠く、南米のエクアドルやチリへたどり着き、そこに定住するようになったという。中国の魏志倭人伝に記された「裸国」「黒歯国」がこれにあたる。土器やウイルスの知見がそのことを補強する。太古においても列島では人々は天変地異に翻弄されながらもしっかりと生き抜き、変化を受け入れて、適応して来たのだ。しかし、現代の核物質だけは人類が適応することのできない途方もない物質だ。開けてはいけないパンドラの箱を現代人は開けてしまった。たかが電力を得るためにコントロールの最終的に不可能な物質を使わなければならない必然性など全くない。太古から受け継いで来たこの四季に溢れる列島の自然を何としてもこれ以上忌まわしい物質で汚染させてはならないだろう。
北上山地に属する標高1228.5mの愛染山
北上山地は奥羽山脈より早く隆起し、愛染山のあたりはかってサンゴが生育するような水温の高い大陸縁辺の浅海で
あった