釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

「下」からの動きで

2012-03-19 19:21:58 | 文化
今朝は日が射しているのに小雪が舞って、風が冷たかった。気温は確実に上がっては来ている。しかし、夕方には風が一層冷たくなり、小雪もちらついて来た。ここのところ続く地震は岩手県沖から青森県沖まで、震源は太平洋のプレート境界にある日本海溝よりもずっと陸地よりになっている。今朝方2時37分のM4.1の岩手県沖を震源とする地震も、 11時56分のM4.7の青森県東方沖地震もいずれも近海だ。ネット上では太陽活動と地震の関係が取り上げられたりもしているが、科学的な根拠が今一つ判然としない。どちらにしても、最近の余震の変化が気になる。民俗学の立場から「東北学」を提唱し、福島県立博物館館長も兼務する学習院大学赤坂憲雄教授は一昨日の毎日新聞東京版の夕刊に寄稿されている。「復興の動きはあきれるほど遅い。国や県には将来へのビジョンが乏しいからだ。被災地はそんな国や県を見切り始めている。もはや受け身では何も動かないと、人々は痛みとともに気づいてしまった。 被災市町村の首長たちは、それぞれに厳しい状況のなかで孤立を恐れず覚悟を決めて発言している。多くの人々が試行錯誤を繰り返しつつ、草の根のレベルから声を上げている。そうした「下」からの動きこそ支援してほしい。」と切り出した上で、「 10万人の「原発難民」を生んだ福島に、原発との共存はありえない。福島県には、30年間で約3000億円の交付金が下りたと聞く。小さな村の除染費用にすら足りない。「契約」は破綻した。原発は地震であれ津波であれ、絶対に事故を起こしてはならなかったのだ。福島からの脱原発はイデオロギーではない。 放射能による汚染は、福島県を越えて東日本全域に少なからず広がっている。汚染とともに生きる選択肢しか残されていない。可能な限り子供たちの健康を守るシステムを構築しながら、しなやかに、したたかに「腐海」(「風の谷のナウシカ」)と共に生きる知恵を学ばねばならない。 どんなに困難でも、自然エネルギーへの転換しかない。風力・太陽光・地熱・バイオマスなどを組み合わせ東北全域を自然エネルギーの特区にするような、大胆で将来を見据えた提案がほしい。日本にはその技術も経済力もあり、再生へのチャンスもある。」と述べておられる。NHKが報じたすべての学校を対象とした内閣府の推計によれば、一昨年春、学校を卒業した人などのうち、就職できなかったり早期に辞めたりした人が大学や専門学校では2人に1人、高校では3人に2人の割合に上っている。若者の雇用が非常に深刻な状況になっている。日本銀行の白川方明総裁でさえ、13日の政策決定会合後の記者会見で、「電力供給について不確実性が残っているなか、「創エネ」「省エネ」「畜エネ」といった、エネルギーを巡る様々な技術革新や新たなビジネスモデルの構築も推進されつつある。こうした前向きな動きが新しい需要の創出につながり、ひいては、日本経済の中長期的な成長力を高めていくことが期待される。」と発言している。東北をはじめ全国の各県でも自然エネルギーの開発に取り組むところが出て来ている。しかし、相変わらず原発再稼働にこだわり続けている現政権からは、電力の買い取りの新しい仕組みを初めとして、自然エネルギーを積極的に進める姿勢は見られない。新しいクリーンな産業を生み出しつつ新規雇用の確保を実現しようとする未来へ向けたビジョンなど全くうかがえない。赤坂教授の言われるように「下」からの動きで日本を変えて行くしかないだろう。
猫柳 早春に川沿いで見ることが多く、細くとも折れにくい逞しい木だ